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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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(善光寺白馬電鉄(善白鉄道))
鉄道
廃線 温泉 観光 裾花川 鬼無里 ダム 発電所 戦争 1 書名 思い出で包む善白
鉄道
,信州の
鉄道
物語(上) 消え去った
鉄道
編 小林宇一郎・小西純一/監修 信濃毎日新聞社/編 信濃毎日新聞社,2014.6 昭和62年(1987)に出版された『信州の
鉄道
物語』の復刻。,善白
鉄道
についても掲載。,「善白
鉄道
」の写真も掲載されている。 / 善光寺白馬電鉄(善白
鉄道
)
パスファインダー
(長野県の動脈 篠ノ井線)
国道19号線 や長野自動車道の開通もあり、移動が車にシフトしてきた中、この
鉄道
が長野県の発展に果たした,2 書名 信州の
鉄道
物語 著者名 発行者 信濃毎日新聞社/編 信濃毎日新聞社,の「信州の
鉄道
物語 下」に収められている。,1 書名 長鉄局二十年史 著者名 長野
鉄道
管理局/編 出版社 出版年 長野
鉄道
管理局,一般的な
鉄道
史 からではなく、それまでにあった街道の視点からという点で重要。
パスファインダー
(小島大治郎)
小島大治郎 トピック(テーマ) 小島大治郎 ねらい 依田社が敷設した丸子
鉄道
,のあと上田小県地域に
鉄道
網を張りめぐら せた実業家小島大治郎について。,鋳物師 屋を営んでいた「鍋大」小島家9代目の当主大治郎(大次郎)は、鍋大を 小島工業として発展させ、
鉄道
事業,、埴科郡西条村六工社、鋳物鋳造製糸用汽罐、小島弘 子、キリスト教、上田日本基督公会、小島鉄工所、丸子
鉄道
,明治8年、17歳で家業の鋳物業を継ぎ事業を 発展させたこと、地方
鉄道
事業を手掛け地域に貢献したこと、公共事業
パスファインダー
(昔の旅人)
旅人 トピック(テーマ) ねらい 昔の旅人 江戸時代の信州の街道、旅人のようす、明治期の
鉄道
開通,昔の旅人 雑誌 インターネット情報 出版年 1995.11 松本市域の、近代の
鉄道
,穂高古文書勉強会 穂高古文書勉強会 2014.2 穂高古文書勉強会による解読 塩および魚の移入路 :
鉄道
開通前,の内陸交通 田中啓爾/著 古今書院 1957.9 1 論題名 中山道
鉄道
開通を見こした明治中期,著者名 堀内千万蔵/著 雑誌名 信濃 出版年 1932.8 巻号頁数 No1 8号 3 論題名
鉄道
信越線
松代まちあるきマップ
(2長野電鉄河東線(屋代線)旧松代駅)
明治二十年代には
鉄道
誘致に総反対した町民だったが、近代産業の発展とともに
鉄道
輸送路の確保が町の商工業者
パスファインダー
(信州の「道」)
キーワード 黒曜石の道、塩の道・飛騨鰤の道、森林
鉄道
、信濃の峠、戸隠信仰の 道、善光寺街道、中山道,方言修業金草鞋等 概要を知るための ツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 信州の
鉄道
物語,小林宇一郎/監修 信濃毎日新聞社 2014.6 劇的に変わる今だからこそ知っておきたい信州の
鉄道
発祥,上は、高原の軽便
鉄道
、路面電車、森林鉄 道など。,24] 長野県立歴史館/編 長野県立歴史館 2018年3月 黒曜石の道、塩の道・飛騨鰤の道、森林
鉄道
善光寺案内
([解説])
その背景には、
鉄道
の発達により観光旅行が容易になったことが考えられます。,長野駅は明治21年の御開帳中に開業し、明治26年には最後に残った軽井沢・横川間が開通して、東京と長野は
鉄道
,善光寺参りは、
鉄道
により容易に行える時代になったのです。
パスファインダー
(今井五介)
蚕の品種改良 につとめ、松本商業学校を創立し、信濃
鉄道
(大糸線)の敷設、34年間 つとめた松本商業会議所会頭, 大日本一代交配蚕種 普及団 特約取引 戊戍学会商業教育 松本戊戍学校 松本商業学校 米沢武平 信濃
鉄道
,繁盛ものがたり 小松芳郎/著 松本商工会議所 2009 今井五介について、初代会頭を34年間、信濃
鉄道
敷設,初代会頭を34年間・信濃
鉄道
敷設・松本商業 学校・一代交雑種・遺訓16か条・未完の像。
小諸繁昌記
([解説])
明治三十八年(1905)十一月に、永井與三郎が編集発行した『小諸繁昌記』の緒言には、「今や、信越
鉄道
開通,明治二十年代、長野県内の
鉄道
網や道路網が整備されて交通が発達し、商品経済が発展するとともに地域意識が形成,「繁昌記」や「案内」に接することにより、その地の歴史や地理、自然、文化などをくわしく知ることができ、
鉄道
松代まちあるきマップ
(12旧横田家住宅)
その子正俊は最高裁長官、弟謙次郎は
鉄道
大臣。『富岡日記』の著者和田英の育った家でもある。
パスファインダー
(長野市篠ノ井地区)
街道や
鉄道
の分岐点として交通の要地であるばかりでなく、川 柳将軍塚古墳があるなど古くから開け、横田河原,古墳文化の宝庫」(古代)、「合戦の主戦場篠ノ井」(中世) 、「農村の 構成と農民の努力」(江戸時代)、「
鉄道
パスファインダー
(工藤善助)
鷲沢与四二、伊藤傳兵衛金 三製糸場、依田社、丸子農商学校、信濃絹糸紡績、鐘ヶ淵紡績、帝国 蚕糸株式会社、丸子
鉄道
,大正7年、依田社の社長として「丸子
鉄道
」を敷設したことな ども記されている。
木曾山林学校
(木曽御料 伐木運材の改良を望む)
比較的御料は進止(しんし:思うように支配すること)したつもりか知らないが、マッチ箱式の軽便
鉄道
や10―
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
湖の北より西に亘り、湖岸及び天龍川に沿ひ、中央 線
鉄道
岡谷駅を中心として、之を囲繞せる平野・川岸・,三十八年十一月中央東線
鉄道
岡谷迄 開通し、三十九年六月塩尻・岡谷間開通す。,本郡製糸家 が従来利用したる
鉄道
線路迄の最近距線は、篠井線 (改頁) 開通前に在,四十四年五月中央線
鉄道
全通し、関西との交通運 輸は東海道を迂回するを免れたり。,) 15 ●岡谷駅附近の盛観 旅客若し諏訪に入らば、天龍川の右岸に方り、
鉄道
犀川を下る記
(1.犀川通船の盛衰)
井線の開通、犀川線の全通と犀川通船の廃止 「明治35年篠ノ井線開通後は松本からの出航は廃止され、
鉄道
パスファインダー
(上水内郡飯綱町の歴史)
久世福商店 飯綱高原 霊仙寺山 霊仙寺湖 天 狗の湯 赤塩 いいづな歴史ふれあい館 福井団地 しなの
鉄道
北
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([解説])
でもなく、馬上ゆたかに坂下に安着、小竹屋に投宿した、」 「四日の朝早く立った、熊谷の土手は寒かった、
鉄道
工事,たり、汽車にも乗て見んものと、朝早く大略の道順を聞いて、眼鏡橋(現今の萬世橋駅の処)(注4)に出て、
鉄道
馬車
パスファインダー
(信州の通船(川の道))
三信
鉄道
を歩んだ先人 信濃毎日新聞社・朝刊28ページ 2017.8.31 ふるさとの本 千曲川大紀行
パスファインダー
(下村亀三郎)
蚕糸専門学校、丸子小学校、依田窪教育会、丸子農商学校、上田蚕糸専 門学校、信濃絹糸紡績、大屋駅、信越線、丸子
鉄道
木曾山林学校
(13.修学旅行)
運材・小谷 (改頁) 38 狩)、阿寺御料林(森林
鉄道
パスファインダー
(須坂市の歴史)
千曲川 蔵の町 三峯 紀聞 丸山舎人 堀直虎 須坂騒動 須坂県 製糸 山丸組 田中本家 越寿三郎 河東
鉄道
犀川を下る記
(犀川を下る記[全文])
潮の木戸といふ地は、篠井よ り来る
鉄道
、白坂隧道を過きて、川手に出る所なり。,此地中央接続線の
鉄道
工事始りしより、人さはになりて、家 居も数まし朝け夕けの煙立そひぬるも、進みゆくみ
パスファインダー
(依田社の製糸業)
養成所、屑物晒練所、蛹工場、石鹸工場、丸子繭糸会社、依田社病院、 丸子瓦斯会社、信濃絹糸紡績、丸子
鉄道
木曾山林学校
(シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』)
之れ前者は海洋に接し河川・
鉄道
等一般交通機関完備せるを以(もっ)て他国よりの輸入容易なる場合にして、後者
木曾山林学校
(八戸林学士森林行政論)
我私有林にありては住友別子鉱業所の如き、古川足尾銅山の如き、北海道炭鉱
鉄道
会社の如き、小樽木材株式会社
上田案内
([解説])
〇
鉄道
信越線の上田停車場(駅)は「毎日上下各七十八回の旅客車と数回の貨物を発し、乗客の群聚と貨物
分県之建白
(分県之建白[全文])
メ行ヲ塞ク者ナカラン ヤ、然ルニ翻テ北部ノ道路ヲ見ルニ路線多クハ 一貫シ、啻ニ平坦ナルノミナラス
鉄道
既
木曾山林学校
(◎殖林(しょくりん:植林)の急務)
又他の方面に於ては世の文明の進むに連れて
鉄道
の枕木、電信電話の柱、船艦、橋梁、堤防、治水などの用材、其外諸
分県之建白
(分県の建白)
それとは反対に、北部の道路を見れば、路線の多くは一貫し、ただ平坦であるだけでなく、
鉄道
はすでに東から北
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([ルビ・注記])
四日の朝早く立った、熊谷の土手は寒かった、
鉄道
工事(注1) は、此(こ)の辺までは大概には落成したとかで,三人で銀座の、松田 で昼食をして、
鉄道
馬車で浅草に赴き雑沓(ざっとう)を排して、第一 に観音堂に登,危きに近寄らざる君子の筆法に習い、直(すぐ)に雷門に 戻り、
鉄道
馬車にて、上野に下車したるも、上野公園,七月十一日から 暑中休課になるので、私は直(すぐ)に帰省の途についた、上野か ら熊谷まで、
鉄道
が開通,(注1)明治十六年(1883)日本
鉄道
により上野―熊谷 間が開通し、翌年五月に高崎まで全線が
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