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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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善光寺道名所図会
(○寂蒔(じゃくまく)村)
また、家ごとに遠目
鏡
(とおめがね)(注7)があり、千隈川の向こうにある姨捨山をながめるといいます。,(注7)望遠
鏡
のことですが、この時代「家ごとに」望遠
鏡
を備えていたのでしょうか。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(森村)
西清水堂/東清水堂/寺前/金井/南金井/宮阪/仙石/古屋/南殿入/北殿入/東小路/西小路 山:
鏡
台山,興正寺/禅透院(ぜんとういん)/観龍寺/念仏寺/華厳寺 学校: 有明学校 古跡・名勝:
鏡
台山
善光寺道名所図会
(○寂蒔(じゃくまく)村)
村 53左 ○菽蒔村立場なり、真田織の帯打紐等を名物とす、奇麗なる土産 なり、又家毎に遠目
鏡
ありて
パスファインダー
(善光寺の火災と復興)
善光寺 の火災と復興について調べる キーワード 概要を知るための ツール 資料リスト 吾妻
鏡
,信濃史料 [第3巻] 信濃史料刊行会/編 信濃史料刊行会 1952ー1970 吾妻
鏡
鎌倉幕府,(『国史大辞典』より) 内容紹介 『吾妻
鏡
』7巻(信濃史料③389)文治3年(1187)7月27日-善光寺再興,を 命ずる源頼朝下文 『吾妻
鏡
』11巻[曼荼羅供](建久2年1191)・31巻[五重塔供養](嘉禎3年,「正和2年(1313)癸丑3月22日に、信州善光寺焼失」とあり、同様の記事 が『北条九代記』『神明
鏡
』
善光寺道名所図会
(目録)
檀越略系 堂内年賀式 光明常燈 戒檀廻 法然上人旧跡 親鸞聖人旧蹟 笹字名号 善光寺四号
鏡
の
松代まちあるきマップ
(34慧日山長明寺)
戦国時代の地侍で建久五年源頼朝上洛の際、寺尾太郎、寺尾三郎太郎がこれに従ったとの『吾妻
鏡
』の記事がある
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中之条村)
/中澤/上前田/東町/額面/関石/破々下/大長田/一ノ口/久々田/中前田/下前田/西前田/木ノ田/大
鏡
/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大門村)
指月山常福寺 学校: 大門学校 古跡・名勝: 佛嵓墓/與三塚/行者越/大門峠/古戦場/三ッ塚/
鏡
石
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(蓮村)
/深沢/南原/下原/日向/西原/大平/大林/柳久保/隠久保/五里久保/道源沢(どうげんざわ)/宝蔵/
鏡
山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(加増村)
/朝皇真開神(ちょうこうしんかいしん)ノ社/加増稲荷社 古跡・名勝: 塚/古城址/侍屋敷址/旭の
鏡
石
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(湖東村)
カツラヰ出/鼻欠/野馬捕/市在/石在/小坂/赤ママ/大石平/菖蒲ヶ沢/唐堀/伊勢宮/□雪/正光寺/□
鏡
/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(常和村)
稲荷社/社宮司社/鈴木稲荷社 寺: 最明院/大昌寺/観音寺 学校: 興仁学校 古跡・名勝:
鏡
ノ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(富士山村)
久保峠道 社: 富士嶽神社/山神社/佐加神社/蚕影社/天神社/諏訪社/明神社/八幡社/佐芝社/松尾社/
鏡
社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(坂木村)
しんこうじ) 学校: 阪城学校(さかきがっこう) 古跡・名勝: 葛尾城(かつらおじょう)墟/
鏡
台山
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(河合村)
キーワード 字地: 山田/小原/勝間/非持/山室/芝平/荊口 山: ミツケ谷/惣稱黒津山/
鏡
山
パスファインダー
(信濃の高僧)
規庵祖円 南院国師 関山慧玄 無相大師 妙心寺 此山妙在 性海霊見 西仏坊 康楽寺 浄賀 等順 道
鏡
慧端,虚無僧:聖と俗の異形者たち 武田
鏡
村/著 三一書房 1997.12 虚無僧の祖とされる心地覚心(法燈円明国師
パスファインダー
(三吉米熊)
長野県小県郡蚕種同 業組合沿革史草稿、小県蚕業学校、丸子農商学校、上田蚕糸専門学 校、微粒子病、顕微
鏡
、,長野県技手として顕微
鏡
による微粒子病の検査を普及させたことや県 勧農課に勤務中に農商務省命令で欧州視察
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
り七尋半より段々、] 大檜百六十本 大槻[廻り十一尋、其外大樹森々たり、] 神宝 鵜ノ丸の太刀
鏡
一面
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(長野町)
寿量坊/常行坊/甚妙坊/善行坊/玄証坊/大本願/堂照坊/堂明坊/兄部坊/随行坊/常円坊/正信坊/淵之坊/
鏡
善坊
パスファインダー
(木曽の文学)
中山道 木曽路 兼好法師 和宮 木曾義仲 菊池寛 恩讐の彼方に 芭蕉 更科紀行 幸田露伴 風流仏 泉
鏡
花
パスファインダー
(信濃の絵解き)
資料リスト 1 書名 著者名 出版社 出版年 絵解き万華
鏡
聖と俗のイマジネーション 林雅彦
善光寺道名所図会
(○筑摩 麻績)
社宝に、鎌倉から室町時代へかけての御正体10箇、室町時代の銅
鏡
があります。
パスファインダー
(山極勝三郎博士)
細胞病理学説 細胞刺激説 胃 癌発生論 癌 結核 ノーベル賞 ユング賞 市川厚一 うさぎ コール タール 顕微
鏡
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
神宝は、鵜ノ丸の太刀・
鏡
一面・霞ノ鞭、以上は宝永4亥年(1707)に調べたものです。
パスファインダー
(時報)
キーワード 「おらが村の新聞」 青年会・青年団 「知る権利」 地方自治 「社会の 照魔
鏡
」 「歴史的
秀吉と真田
(「真田」の錦絵)
外では大助が、父幸村の言い付けどおり、
鏡
を母に手渡そうとしている。
パスファインダー
(善光寺参詣と善光寺道)
恋愛詩人 泉 内容紹介
鏡
花著. 木曽路 前田青邨著. 浅間山のひと夜 大町桂月著.
『長野史料』索引
([翻刻])
扶桑略記、東
鏡
、源平盛衰 記等ヨリ汎ク群書ニ亘ル。
弘化丁未春三月廿四日信州大地震山頽川塞湛水之図
([現代訳])
『源平盛衰記』『吾妻
鏡
』などにある「信濃の奥郡」のことで、今も土地の言葉では「奥の郡」と言います。
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([解説])
六日は一日見物に費やし、先づ(まず)海を見たり、汽車にも乗て見んものと、朝早く大略の道順を聞いて、眼
鏡
橋
むしくら日記
(1巻 元)
の町ハ泥水往来の者の膝を 侵せりと云、 ○廿六日の夜善光寺の火漸消失たり、御城土堤にて眼
鏡
もてみるに,普請所に出ぬ、貫実子大馬印 [五布の吹貫]小馬印馬れんをもたせ、非常服にて出られたり、 [土堤にて目
鏡
もて,(改頁) 28 藩中死失多し、御届を見て知るへし、 ○御用のいとま、土堤にて遠目
鏡
もて,後世又あるへき事に非す、不思義の 天変というへし、 ○妻女山金比羅の宮の辺より夥敷小屋懸せり、目
鏡
にて
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
仝校長熊谷謹一君来り迎へ、且曰く、当地塩沢氏に、親鸞聖人の
鏡
を秘蔵せり。,○飛袈裟[開祖大鑑禅師遺物]○鐸二箇○古鈴○古
鏡
○古鎌二箇○上古土器○百万塔○木 製五重塔[旧飯田侯所秘蔵,其西半の最も窪き所々に、雪水を湛へ、周回五丁許、清透
鏡
の如し。
むしくら日記
(1巻 元)
お城の土手から望遠
鏡
で見ると、まるで河原のようになって、その中に山門と本堂ばかりが残って高く聳えています,(土手から望遠
鏡
で眺めると、吹貫が整然と風に翻って見えました。),◯仕事の合間に土手に出て望遠
鏡
で西の山々を毎日のように見ていると、虫倉山の崩れはたいそう激しいものです,望遠
鏡
で見ると、昼間は多分女ばかりで居ります。
地震後世俗語之種
([翻刻])
戊申晩春折節眼病に脳むこと既に半月、眼
鏡
(改頁) 5 , 堂照坊・堂明坊・兄部坊・白蓮坊・正智坊・渕之坊・常円坊・ 行蓮坊・向仏坊・徳行坊・
鏡
善坊
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 群山環抱儼成欄、中貯平湖青
鏡
寒、
地震後世俗語之種
([現代訳])
戊申(嘉永元年)3月、折から眼病に苦しむことすでに半月、眼
鏡
の力を借りて書いた人は、例の地震を体験した,玉照院、以上21院、堂照坊・堂明坊・兄部坊・白蓮坊・正智坊・淵之坊・常円坊・行蓮坊・向仏坊・徳行坊・
鏡
善坊
善光寺独案内
([現代訳])
宝物 飛鉦鼓、桔梗八ッ花形
鏡
、苅萱上人の法衣、親鸞聖人御山入真影、名体不二の名号、その他にも多いが
善光寺独案内
([翻刻])
什物 (改頁) ・飛鉦皷 ・桔梗八ッ花形
鏡
・苅萱上人の法衣 ・親鸞聖人御山入真影
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
鏡
台山・有明山 につらなり、其間に更科川の流れあり。
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
また元仁二乙酉年四月十五日御止宿あり、[堂照坊第二十四世空阿大徳了意此丘の時代なり、] ○聖徳太子
鏡
の
上田の早苗
([翻刻])
) 月叟ナランカ、此時代ハ憚ル所アリテ実説ノカタリ洩シ多カルヘシ、 一都遅久礼
鏡
[
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
鏡
台山・有明山に連なり、その間に更科川が流れている。
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
○聖徳太子
鏡
の御影(浄願坊にある。
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」
([ルビ・注記])
は、本郷です、本郷はどこですと、聞くから弓 町と答へたら、能(よ)く知ってゐますといふて、馬車の眼
鏡
橋,は一日見物に費やし、先づ(まず)海を見たり、汽車にも乗 て見んものと、朝早く大略の道順を聞いて、眼
鏡
橋
むしくら日記
(4巻 貞)
をかまひ、五色の紙旙 立たり、公事方勘定役の者麻上下にて出座し、 制の同心も数多出たり、御城土堤にて目
鏡
もて
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)
七十古来稀也抔と詩ニも作れり 我朝ハ慎みよき人ハ随分 百歳の寿も保つべし 愚老当年八拾四歳いまだ眼
鏡
を
小県郡民謡集
(児童謡)
にや 此春こし らへた赤もく(注3)は あれは妹の譲りもの 白もの綸子(りんず 注4)は 母様へ
鏡
と
龍駕の跡
(龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))
殊に可笑しきは御巡幸御行列の覗き眼
鏡
(めがね)にて、村娘、里婦争ひて之を覗き、此巡幸の方が綺麗(きれい
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