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拾八町家並帳
([解説])
一軒一軒の区画の中に書かれているのは、(1)屋号や町役人の格(2)名前(3)
間口
の長さ(4)五人組などです,町役人は、年寄・問屋・問屋格・庄屋・庄屋格などで、
間口
の長さが長かったり、家を何軒か持っていたりします,
間口
の長さが記されていますが、飯田町の家持たちの納税(地子米という)は、
間口
の長さに応じて納められていました,1間は約1.8mですから、
間口
が5軒あれば約9mということになります。,平均的な家の
間口
は5間と言われていますが、それより
間口
の短い家もたくさんあります。
松代まちあるきマップ
(6旧白井家表門)
この門は、江戸時代末期の弘化三年(一八四六)、表柴町に建てられたもので、全長二十メートルの広い
間口
を持
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(手塚村)
堰/二ノ堰/三ノ堰/四ノ堰/瀧野出水/龍王出水/十人出水/手塚池 橋: 二タ俣橋/一ノ瀬橋/佛狭
間口
橋
松代まちあるきマップ
(9山寺常山邸)
江戸末期~明治初期建立の表門は長屋門形式、
間口
約二十二mで、現在松代城下に残る最大の門。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大井村)
/コシキ田/沢田/極楽坂/番屋/峠反/上坊/小林/門口/下リ松/柳大門/権現山/反田/下坊/片坂/狭
間口
信州飯田町家控
([現代訳])
町屋古法の間数は右の通りなので、5
間口
を以て1軒とします。,3町を割付け、町奉行渡邊九兵衛様・高野瀬久兵衛様、その他御役人・御家老様御判物を下され、1軒
間口
5
間口
,一町年寄は諸役を免除され、地子米は
間口
13間分免許されます。 ,一3問屋は諸役を免除され、地子米は
間口
10間分免除されます。,一庄屋6人は地子米
間口
5間分免除されます。
信州飯田町家控
([翻刻])
町役ニ被仰付松川江人足出し候、此割付松尾町二丁目 池田町本町二丁目此三町ハ本役と定、小間五
間口
,より人足弐拾 四人、但し一ケ月二人積り、外拾町ハ半役と定め五
間口
一軒 より拾弐人宛ノ出之相勤候,、惣而町屋古法之間数右之 通ゆゑ、五
間口
を以壱軒とす、隣家との庇合片方より弐寸 (改頁,則三町割付御書付町御奉行渡邊九兵衛様 高野瀬久兵衛様、其外御役人御家老様御判物 被下候、壱軒
間口
五
間口
, ハ御免許事 一三問屋諸役御免并居宅
間口
拾間分ハ地子米御免 毎年米八俵宛壱人ニ被下置候事
善光寺道名所図会
(○筑摩 洗馬)
間口
5間・奥行5間の板葺の建物で、役人が常駐していました。
信州飯田町家控
([解説])
間口
に応じて上納する「地子米」についてはよく知られていますが、辻番・井普請人足・松川や野底川の橋掛け人足
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
本堂(高さ10丈の二重作り、
間口
15間、奥行き29間3尺、柱数136本)四方四門の号、東は定額山善光寺,山門(高さ6丈6尺7分、
間口
11間1尺3寸、奥行き4間2尺4寸) 二王門(高さ3丈9尺2寸、
間口
6
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)
北小野村大出古田長十郎 室と成ル扠(さて)当家祖父団治本家より別家分知致し 唯今の酒屋之家屋敷之処南之方
間口
七間四尺是江家作致,作り御教被成候内茂吉様も御 成人御稼被成候而共々御苦労被成松島新町油屋茂兵衛殿 北ノ屋敷へ六
間口
,いたし素 建ニ而持こたへ兼売ニ出シ候所休戸勘左衛門殿世話ニ而金九両弐 分ニ而買請表弐間通続たし表
間口
六間
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
3月15日、4月8日、7月14日、15日、16日、10月15日である) ○三門 高さ6丈6尺7分、
間口
,○仁王門(高さ3丈9尺2寸、
間口
6間4尺6寸、奥行き4間1尺2寸。
龍駕の跡
(龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))
間口
五間奥行六間半数室に分れ二方を廻らすに一間半許りの廊下(ろうか)を以てす。,行在所の新築は聖上を迎へ奉りたる後、町役場に使用)御門は旧来のものにて新築せしは
間口
四間、奥行六間の平屋造,なり、昔より続ける古き茶屋にして、加州侯の休憩所たりし事も有れど、其構造は他の本陣等に比ぶべくも非ず、
間口
六間,御假宮より少しく低き処に供奉員の休憩所を設けたり、是は堀立にて
間口
六間奥行二間なりしと云ふ。
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
そこで横町に借家人があっても裏屋と同じようだと聞くので、今後横町では役儀を勤めないで、角屋は横町の
間口
,塩1駄について恵比寿塩1升ずつ市で取っておき、その町内の
間口
で割って分けていた。
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
然上ハ横町ニ借屋之者有之候而茂裏屋同前与相聞候間、向後 横丁ニ而役儀不勤、且又角屋横丁江引廻シ之
間口
弐間者商
地震後世俗語之種
([翻刻])
(改頁) 内職出店梅笑堂 ◯地所駒帰橋西側之際、
間口
三間半
地震後世俗語之種
([現代訳])
中野治兵衛様 (1-46図について) 内職の出店梅笑堂 ○場所駒返り橋西側の際
間口
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