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木曾山林学校
(◎発刊の辞)
会報の初刊は恰(あたか)も草木の甲拆(こうたく:草木が芽を出すこと)したるものに比すべく、今後日光雨
露
の,校友諸君、彼(か)の日光雨
露
の潤ひを適当ならしむるものは抑(そもそ)も誰ですか。
パスファインダー
(木曽の文学)
中山道 木曽路 兼好法師 和宮 木曾義仲 菊池寛 恩讐の彼方に 芭蕉 更科紀行 幸田
露
伴 風流仏 泉鏡花,4 書名 著者名 出版社
露
伴全集【第1巻】 幸田
露
伴/著 岩波書店 出版年 1978,風流仏は木曽街道須原宿の冬の日の二夜を中 心として描かれたもので、幸田
露
伴の出世作。
秀吉と真田
(北条の兵、名胡桃城を奪取)
家康は裁定の検使津田・富田の二人にまず知らせるように指示し、きっとその両人から秀吉に披
露
(報告)されるだろう,定めて披
露
申さるべく候。将又(はたまた)菱喰十到来、悦喜せしめ候。
パスファインダー
(御牧ケ原大運動会)
キーワード 佐藤寅太郎 東郷平八郎 北佐久教育会 日
露
戦争 海軍記念日 北 佐久郡 概要を,出版年 小諸市誌 近現代篇 小諸市誌編纂委員会/編 小諸市教育委員会 2003.7 日
露
戦争,出版年 佐久の代議士 中村勝実/著 櫟 1989 佐藤寅太郎を取り上げた項で、明治38年日
露
戦争
パスファインダー
(小林一茶と『父の終焉日記』)
概要を知るた めのツール 1 書名 著者名 出版社 出版年 正岡子規 中村六左衛門 束松
露
香,また、信濃毎日新聞で俳句欄を担当した束松
露
香が「俳諧寺一茶」を連 載し、それまで無題だった日記に『父の,7 書名 著者名 出版社 出版年 俳諧寺一茶(長野県稀覯本集成 第1期明治・大正編) 束松
露
香
木曾山林学校
(木曽御料林雑詠十首)
改頁) 14 いまは御料となりにけるかな 深山木もめくみの
露
にうるほひて
善光寺道名所図会
(○筑摩 郷原)
碑陰に「安永四(一七七五)未十月十二日 連中五尺庵
露
白」とあり、当地の江戸時代の俳人で菅江真澄とも親交,のあった俳人青柳
露
白の建立したもので、当地方の芭蕉の句碑としては古いものです。
木曾山林学校
(砂漠の夜)
母につれられて○○に遊びし事や、教科書を息もつがず読んでいた弟の顔や、
露
じめりした朝の2里の路を飛鳥の
パスファインダー
(春秋庵加舎白雄(かやしらお))
安永 江戸日本橋 鉄砲町 春秋庵 別所北向観音芭蕉塚 俳諧寂栞(さびしおり) 白井烏 酔(うすい) 松
露
庵烏明,解説、肖像、四季詠草、長谷寺詠草、遺稿、別所北 向観音芭蕉塚建立の文、白雄短冊、俳諧寂栞、白井烏酔・松
露
庵烏明
分県之建白
(県歌「信濃の国」)
作曲した北村季晴(すえはる)のオルガンで女子部生徒が遊戯をしながら披
露
したといいます。
浅間山
(第五編 浅間山の地質及び岩石)
第四章 山麓の水成岩と應用地質 山麓の水成岩が
露
出していることは極めてまれであるとしています。
パスファインダー
(佐久市湯原神社式三番)
佐久市 旧臼田町湯原 湯原神社 9月例大 祭 式三番 三番叟「 翁」 序 対面 ワカ 扇舞 万才楽
露
払,式三番の構成は大きく二つに分かれ、「翁」は序、対面、ワカ、扇舞、万 才楽で、「三番叟」は
露
払い(揉みの
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(東条村)
胡麻/蘿蔔/蕪菁/茄子/南瓜/胡瓜/豌豆/馬鈴薯/胡蘿蔔/葱/柿/桃/杏/梨子/木綿/松茸/雑茸/松
露
/
木曾山林学校
(寂の姿)
に離れた孤雁(こがん)の悲しげなるにも、夜毎の草叢(くさむら)に細り行く虫の音色にも、秋来てふ思ひの
露
はに
木曾山林学校
(短歌)
▲何にも彼も我が物顔で草の宿に 夜
露
を浮びて眠り明せる。
松本繁昌記 上・下
(内容)
さをわすれて、酔った勢いで路上の氷に足をとられて転び「頭を抱えて起つ者あり、腰を押えて悩む者あり」、児童は
露
店,十一日には、きびしい寒さもいとわずに、
露
店商がわれさきにと町にあつまり、氷の地面に筵を敷き、戸板をならべ
木曾山林学校
(ペテロ大帝と脱走兵)
スタン 若し
露
(ロシア)皇帝の配下の耳へでも入るものなら大変困るからね ぺテロ
露
皇帝ぺテロはそれに,スタン どっこい皇帝は
露
西亞(ロシア)にあり、我輩は和蘭(オランダ)にあり。,士官 膝まづけ、ぺテロ大帝
露
国皇帝だぞ。,丁度和蘭(オランダ)を発つ時に評判だったが、
露
国皇帝は或る造船所で働いたとか云ふ事だ。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(永江村)
鴨田(かもだ)/鳥居田(とりいだ)/大持平/天神平/銅抜窪(どうはらいくぼ)/樽/鳥谷ヶ峰/雪頽除/郷
露
(
木曾山林学校
(廿周年記念号の終に)
余等微衷(びちゅう:わずかなまごころ)を
露
(あらわ)さんと欲するも、身(み)、翻江撹海(ほんこうかくかい
蚕かひの学
([現代訳])
霧の
露
は雨の
露
より悪い。 ・桑一駄に繭一斗と多収穫を目指すのであれば、多くの桑を用いること。
明治2年 組合取極書
([翻刻])
4 一 三ツ目祝其外赤飯配り申間敷事 但 聟嫁之里方へ者祝ひ可遣事 一 披
露
と
パスファインダー
(善光寺参詣と善光寺道)
書名 著者名 出版社 出版年 長野県文学全集 [第2期/随筆・紀行・日記編 第1巻] 幸田
露
伴,/[ほか]著 荒井 武美[ほか]編集 郷土出版社 1989.11 乗興記 おんばこ 幸田
露
伴著.
秀吉と真田
(家康重臣石川数正の秀吉への寝返り)
如何様の相談致し候哉、存ぜられず」、目付けを遣わして様子が分かったら報告申し上げる、この趣を(景勝に)披
露
していただきたい
明治2年 組合取極書
([現代訳])
目祝いやそのほかの祝いには赤飯を配らないこと ただし 婿嫁の里へは祝いをやること 一 披
露
だ
おらが春
([翻刻])
天地ふしき のなせるわさにて、いにしへ甘
露
を降らせ、 乙女の天下りて舞しためしなきにしもあらす。,ゝ 留主中も釣り放しなる紙帳かな ゝ 山番の爺か祈りし清水かな ゝ 蓮の葉に此世の
露
ハ,/\と芽を出して嬉しけなり けるを、東隣ニて家ニ家を作り足し ぬるからに、月日の恵ミとゝかす、雨
露
の,はゝ 山の山おろしに吹折れ/\て、晴れ/\しき 世界ニ芽を出す日ハ一日もなく、ことし 五十七年、
露
の,
露
の世ハ
露
の世なからさりなから 一茶 去四月十六日、みちのくにまからんと善光寺迄 歩ミけるを、さはる
パスファインダー
(上小思想対策委員会)
ねらい 「二・四事件」直後に、上田市長が主導して「赤化排撃」を目的に「共産 党戦術の暴
露
」
木曾山林学校
(創立20周年を迎へて所感を述ぶ)
それで卒業生諸君に御願ひ致した所、満腔の愛校心を発
露
せられ、記念事業を企てゝ下すつたことは感謝に堪へざる
パスファインダー
(明治9年(1876)新築の開智学校)
の開智学校の時代を、創設、教員、初期試験、教育会議、衰頽、 復興、就学率、図書館、奨学規定、日清・日
露
戦争
パスファインダー
(南・北佐久の文学)
神津猛 破戒 藤村 木内高音 赤い鳥 建設列車 とうげの旗 中島孤島 香坂 檀一雄 若山牧水 幸田
露
伴
パスファインダー
(信濃の絵解き)
www.knowledge.pref.nagano.lg.jp/index.html 長野県内図書館横断検索 善光寺縁起 絵解き 文語で披
露
信州浅間焼之事
([解説])
夫は麦舟という号を持つ「名俳」で、「一紅は建部涼袋に学び、夫麦舟とともに高崎における吸
露
庵系俳諧の中心
パスファインダー
(木下尚江)
普通選挙を請願するの趣意 日 本最初の普選の宣言 幸徳秋水 星亨 足尾鉱毒事件 田中正造 古 河市兵衛 日
露
戦争
パスファインダー
(佐久市浅科上原の鳥追い祭り)
年月日 2020.1.8 2 記事 家内安全へ「鳥追い祭り」 地元の子ども、獅子舞披
露
木曾山林学校
(我が故郷の森林状態)
殊に小学校等にては日
露
戦勝紀念として町村より林野を寄付せられ、教員引卒の下に生徒の造林をなすもの多し。
パスファインダー
(善光寺地震)
信濃毎日新聞社 出版年 1977年 内容紹介 永井善左衛門幸一の「地震後世俗語之種」の絵、末松
露
香
木曾山林学校
(1.木曽ノ天然)
(こうとけん:べにつつじ)所在山渓を彩るの (改頁) 或は白
露
已
木曾山林学校
(過去20年より将来の20年へ)
然して余輩等の社会に踏出した明治38年当時は日
露
戦の最中であり、人員は払底し且学校出といふものゝ極めて
おらが春
([現代訳])
天地不思議の起こす現象によって、その昔天が甘
露
を降らせたり、乙女が天下って舞ったという例もないわけではない,めておいたところ、つやつやと芽を出して嬉しそうだったが、東隣で家に家を作り足したので、月日の恵みが届かず、雨
露
の,山颪(やまおろし)の風にに吹き折られ続けて、晴れ晴れとした世界に芽を出す日は一日もなく、今年で57年、
露
のようなはかない
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
和田山の
露
と消えても石文に 動きなき名を止めつるかな 樋橋にて暫時休息し、路すから草花数十種,せんとするに、昨日折来て、花瓶に指置ける、草花の少し 萎(しお)れたれは、 なか/\に折さらましを朝
露
の, 手折れて嬉しき袖もぬるゝ哉 (改頁) 5 一夜はかりの
露
の,忽疑神物出、竜角
露
中天、]曰く仙床磐。[此磐誰遊息。上可坐千人。我亦携家去。好与遠猿鶴隣。],各家の店頭路傍の樹 蔭等に至るまて筧(かけい)を架し之を引きて、自他適意の使用に任せたれは、都下甘
露
の
木曾山林学校
(◎林業試験苗圃演習地)
したが、総て地明、植付、手入、運搬などみな生徒の労力によつてなしたのであるが、地明1町歩の内、岩石等の
露
出
上田案内
([解説])
町の芸妓は、大工町と袋町、棗河岸を居住地と定められ、それぞれの店へ出向いて芸を披
露
した。
木曾山林学校
([注記])
卒業後、校友會報には毎号のように通信をよこしていたが、招集され騎兵隊に配属されて日
露
戦争に従軍。
木曾山林学校
(校友会の起源と岐蘇林友の発達)
この心機一転の気宇(きう:心のひろさ)は第36号以後の林友紙上躍如として
露
はる。
「長野県下ノ小学教員二告ル文」
([ルビ・注記])
フノナキユヘ全体痼瘁(こすい)(注6)遂ニ肺病(注7)ニ係(ママ)リ、 多年ノ勒(ママ)学モ一朝ノ
露
トナリ
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
輓近海外諸国ノ絹ヲ需用スルコト益々増加シ今ヤ殆ント日用品トシテ取扱 ハルヽニ至リ彼ノ南阿ノ事件(注4)日
露
ノ,(注3)上野(群馬県)・信濃(長野県) (注4)南ア戦争(一八九九~一九〇二年) (注5)日
露
戦争
小県郡民謡集
(成人謡)
○小諸(こもろ)出ぬけて唐松こそば(注6)松の
露
やら涙やら。,(明治三十八年 日
露
戦役(せんえき 注14)に起因す) ○いやだいやだよ高襟(はいから 注15)さんはいやだ
善光寺道名所図会
(○別所温泉)
日
露
戦争のあと、東郷平八郎が上田に来て、依田川が千曲川と合流する付近で舟遊びをしたことに由来して、この
信州浅間焼之事
([翻刻])
せめていかきといふものを泥のうちにふせて、そ の目よりもりたる水をのミ、
露
の命をさゝ へたれども、
善光寺独案内
([翻刻])
鳥飼久蔵 宮内省御用 御菓子所 求肥餅 御用品 元祖杏製 更紗梅 仝 甘
露
漬,――― 和漢洋薬品洋酒類 (商標)医療器械有効売薬 絵具染料薫料各種 四季秘用 花の
露
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「諸事日新録 沢和徳扣(ひかえ) 慶応四戊辰年六月朔日ヨリ」)
矣嗚呼危哉 うへもよく下もよろしと治まるは もの々直すへて安くなる時 七月廿六日 夜明前より朝雰
露
ふかし
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