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善光寺道名所図会
(○筑摩 青柳)
東方の山に
青柳
氏の城趾があります。城主は
青柳
近江守清長・同伊勢守頼長です。,
青柳
は滅びました。 ,
青柳
のはずれに石山の切り通しが2か所あります。,(注)
青柳
宿は、
青柳
氏が戦国時代に館を中村から移して町を形成し、街道を館前方まで引上げました。,
青柳
切通しは、天正8年(1580)に
青柳
氏が切り開き、その後、享保元年(1716)・明和6年(1769 / ○筑摩
青柳
善光寺道名所図会
(○筑摩 青柳)
○筑摩
青柳
31左 五丁程相対して巷を成す、麻績宿へ壱里十丁なり、卯の方の、山に
青柳
氏の城趾,あり、城主
青柳
近江守清長・同伊勢守頼長 なり、始は信濃衆一味なりしかとも、伊勢守代に甲州の武田家に属,しがたきに依て、小笠原方より和 談ありて、後に松本へ招く、二の郭辺に兵士を伏せ置伊勢守を討取 り、即時に
青柳
,軍不意に発り、防き (改頁) 33右 戦ふ事能ハず、落城して
青柳
滅亡,せり、
青柳
を出放れて石山の切通二箇所あり、天正八庚辰年八月、
青柳
伊勢守藤原頼長代に切開くといふ / ○筑摩
青柳
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(金沢村)
市町村名 現在(令和2年):茅野市(ちのし) 明治初期:金沢村(かなざわむら) 幕末から明治初期:上
青柳
村,/下
青柳
村/川久保新田村/大沢新田村/木船新田村/大池新田村 幕末から明治初期(よみ):かみあおやぎむら,掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 金沢耕地/大沢耕地/大池耕地/木船耕地/川久保耕地/
青柳
耕地,/金川橋/中河原橋/垢離取橋/宮沢橋/大早川橋/小早川橋 道路: 甲州街道/伊那街道 社:
青柳
社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(坂北村)
):筑北村(ちくほくむら) 明治初期:坂北村(さかきたむら) 幕末から明治初期:刈谷沢村/中村/
青柳
町村,秋葉社/八幡宮/秋葉社 寺: 岩殿(がんでん)寺/碩水(せきすい)寺/清長寺 古跡・名勝:
青柳
旧城主,の墓/
青柳
の古城址/竹場古城地/仁熊山古城址/東光院廃寺跡/法輪院廃寺跡/宝珠院廃寺跡/長者原の古址/,
青柳
の切通し 物産2: 刻煙草/葉莨煙草/中折紙/生糸 民業男: 農業/(農間)薪炭・工業・商業
善光寺道名所図会
(○筑摩 法橋)
○筑摩 法橋 28左 間の宿なり、法橋は西条村の小名にて、四丁程相対す、
青柳
宿へ三 十町なり, (略) 29左 仁熊山の古城地は村より亥の方にあり、
青柳
伊勢守持城
善光寺道名所図会
(○筑摩 法橋)
青柳
宿へ30町で、南西の方角の山に古城地があります。鬼熊左衛門尉という人の居城といいます。,仁熊山の古城地は、村から北北西の方角にあり、
青柳
伊勢守の持城です。
善光寺道名所図会
(善光寺道(北国脇往還))
)宿で分かれて北に向かい、郷原(ごうばら)・村井・松本・岡田・刈谷原(かりやはら)・会田(あいだ)・
青柳
,刈谷原・会田・
青柳
・麻績等は何れも戦国期の領主の城下町の一部を利用して宿造りをしたと考えられています。,松本の南の出川、会田宿と
青柳
宿の間の立峠の麓の乱橋・西条、猿ケ馬場峠下の桑原などが間宿と呼ばれていました
善光寺道名所図会
(○筑摩 会田)
の 籏下なりしが、武田家の鋒先強勢なるに依て、甲州へ降て十 騎の軍役たり、小笠原帰国の後、会田・
青柳
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(相之島村)
なかせぎ)/悪水吐水門(あくすいばきすいもん)/悪水吐関板留場(あくすいばきせきいたとめば) 橋:
青柳
橋
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大町村)
道路: 北国脇往還/長野往還 社: 若一王神社/高根神社/窯神/太神宮 寺: 霊松寺/
青柳
寺
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行
(長野師範学校卒業証書授与式)
第九 卒業生
青柳
由平、読方ヲ教授ス。 第十一 卒業生永井総吉、唱歌ヲ教授ス。
善光寺道名所図会
(『善光寺道名所図会』の構成)
松本にもどって、善光寺道を岡田・苅谷原・会田、立峠を越えて乱橋・法橋を過ぎ、
青柳
宿・麻績宿から猿が馬場峠
犀川を下る記
(1.犀川通船の盛衰)
松本から北国脇往還(善光寺街道)を経由して善光寺まで荷物を運ぶには、「岡田村・刈谷原村・会田村・
青柳
村
善光寺道名所図会
(○筑摩 郷原)
(一七七五)未十月十二日 連中五尺庵露白」とあり、当地の江戸時代の俳人で菅江真澄とも親交のあった俳人
青柳
露白
善光寺道名所図会
(○筑摩 会田)
小笠原氏が帰国のあとは、会田・
青柳
・麻績3家とも滅ぼされました。
パスファインダー
(移庁・分県運動)
として― インターネット 著者名 雑誌名 出版年 巻号頁数 1 サイト名 URL
青柳
直良
パスファインダー
(安曇野・大町の文学)
キーワード 臼井吉見 相馬黒光 相馬愛藏 荻原碌山 中村屋 研成義塾 井口喜 源治 清沢冽
青柳
優
パスファインダー
(信州の山城を歩く)
栄えた祢 津氏の祢津城など 長野の山城ベスト50を歩く 河西克造/編 サンライズ出版 2013.4
青柳
城
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(長倉村)
春日山/大道南/小丸/前沢/相生/関/大谷地/反目/在原/中ノ沢/石橋/河原/飛鳥/眉見/儘田/吉原/
青柳
パスファインダー
(井口喜源治)
相馬 愛蔵 内村鑑三 荻原碌山 浅井洌 東穂高禁酒会 キリスト 芸妓置 屋設置反対運動 相馬安兵衛
青柳
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(協和村)
下高呂/吹上/平石/ヌタノ沢/新林/大里窪/道場日影/滝ノ宮/中島/大西/大行原/本城/塚田/水迫/
青柳
パスファインダー
(善光寺の物語・紀行文・文学)
発行機関 信濃毎日新聞社(データベース) 年月日 2004.8.31 3 記事 会田宿
青柳
宿
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
を渡り、芝村の阿弥陀堂を拝し、千隈川を越へ松代の城下に出、是より 塩崎、稲荷山、をみ、
青柳
,大宝山正行寺 東派御坊所[塩崎より稲荷山、をみ、
青柳
、会田、厂ヶ原、岡田、此間十二里。
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
善光寺より犀川を渡り、芝村の阿弥陀堂を拝し、千曲川を越えて松代の城下に出、ここから塩崎、稲荷山、麻績、
青柳
,大宝山正行寺 東派御坊所(塩崎から稲荷山、麻績、
青柳
、会田、刈谷原、岡田、この間12里。
おらが春
([翻刻])
かな 吾山 しら梅に烏芋商ふ戸口かな 蠖堂 なかゝりし春の名残をけふやしる 一朗
青柳
,穴蟹 てふひとつあふなけに来るなかれ哉 正斎 咲まてにしてもらひけり福寿草 可咲
青柳
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
(注)善光寺道は松本から岡田宿・会田宿・
青柳
宿をへて麻績宿へと向かいますが、「図会」では、まつもとから
上田の早苗
([翻刻])
死後家臣ノモノ幸村ノ馬具ヲ持来リ、鷹匠町ノ小庵へ納メ菩提ヲ弔フ ト云フ[此馬具後ニ亡タリ、]此家来ハ
青柳
清庵林庄右衛門
地震後世俗語之種
([翻刻])
春は梅か香を慕ひて初音哢(さへづる)鶯軒を歴廻(へめぐり)、桃桜 笑を含み、海棠露を含の時に臨て、
青柳
糸
地震後世俗語之種
([現代訳])
梅の香りを慕って鶯が初音をさえずりながら軒を巡り、桃や桜が咲き海棠(かいどう)の花に露が置く頃には、
青柳
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