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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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信州飯田町家控
([解説])
信州
飯田町
家控 / 主な内容としては、(1)鎌倉時代から江戸時代までの主な領主の変遷(2)
飯田町
の出来ていく過程(3)
飯田町
町人,の山利用(7)
飯田町
町人の町役・職人の国役や扶持(8)
飯田町
の火災・地震(9)酒株・質屋(10)在郷町,「信州
飯田町
家扣」には、江戸時代前半の
飯田町
の成り立ちやしくみが、いろいろと書かれています。 ,この「信州
飯田町
家扣」と類似した記録は、飯田市内にいくつも残されています。,」(座光寺村 北原源三郎所蔵)・「信州
飯田町
屋覚書」(
飯田町
松屋治助所蔵)・「飯田旧事略記」(
飯田町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(飯田町)
飯田町
地域 南信 市町村名 現在(令和2年):飯田市(いいだし) 明治初期:
飯田町
(いいだまち,坂西氏/毛利秀頼/京極高知/小笠原秀政/脇坂氏/堀氏 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
飯田町
之全図,史料ID:6-1 1-4 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
飯田町
史,/長野県下伊那郡
飯田町
小史 /
飯田町
パスファインダー
(江戸時代信州飯田町の火災)
江戸時代信州
飯田町
の火災 トピック(テーマ) 江戸時代信州
飯田町
の火災 ねらい,キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト 雑誌 江戸時代の信州
飯田町
に発生した火災について,、その概要や復興のた めの飯田藩のお救いや町人たちの見舞の実態、消防体制の整備につ いて知る
飯田町
,の火災一覧、被災者への対応、
飯田町
の消防組織、
飯田町
出火 の場合や上郷(飯田藩北部)下郷(飯田藩南部),
飯田町
役場/編
飯田町
役場 1925
飯田町
役場が、町の主な歴史をまとめたもの 長野県史 近世史料編 / 江戸時代信州
飯田町
の火災
パスファインダー
(江戸時代の飯田藩と飯田町)
江戸時代の飯田藩と
飯田町
トピック(テーマ) 江戸時代の飯田藩と
飯田町
ねらい,飯田藩 脇坂氏 堀氏
飯田町
13町 5町 地子米 年寄 問屋 庄屋 組頭 商品流通, 御用金 御定借 飯田城と近世の
飯田町
(伊那文庫 8) 平沢清人/著 伊那史学会 1972.2,さらに江戸時代の
飯田町
の町役人や地子米(年貢)など基本的なこ とがまとめられている。,
飯田町
の問屋を務めた桜井盈榮が、町役人仲間の家にあった
飯田町
の古記録を借用して写し取り3冊にまとめたものである / 江戸時代の飯田藩と
飯田町
信州飯田町家控
([翻刻])
信州
飯田町
家控 / [翻刻] 信州
飯田町
家扣 1 (改頁) (改頁) 2,給ふ躰故、供人 大勢ハ叶ハ須、越後国ニて暇を賜り信州ニ入 当郡の郷士を従へ押領すと云う 一
飯田町
,有之田畑を出来分と申慣 し候、此故伝馬町迄御曲輪惣御堀の内也、其後京極様 後家来光増右衛門と申人
飯田町
割,有之候村まで持参致候連名之御書付ハ 初筆の村へ相届け夫より村継ニ仕候、 右五通り十八町を
飯田町
,依而堀外記様御子長吉様を御養子ニ 被遊御家督相続堀玄蕃親賢公ト御改被遊候 一元禄十三辰年三月廿四日
飯田町
惣曲輪御改御役人中様
信州飯田町家控
([現代訳])
信州
飯田町
家控 / 一
飯田町
の初めは、松尾町1丁目に坂西公4代目兵庫頭様の時、伊勢の者がこの地へ来て、初めて町家を建てて商売,その後京極様家来光増右衛門という人に、
飯田町
割を仰せ付けられました。,右の5通り18町を
飯田町
といいます。 ,一元禄13(1700)年3月24日、
飯田町
惣曲輪の御改めがあり、御役人様が見分をされ、同25日に城下寺方,しかし
飯田町
は別条ありませんでした。
御城下古法并市場古法書抜書集
([解説])
飯田町
町人だと思われますが、誰であるのかわかりません。,また
飯田町
の周辺農村に在郷町ができるようになり、商売の特権を主張する
飯田町
に対して、時代の変化に対応して,
飯田町
町人の訴えを受けて、飯田藩は
飯田町
の特権を認めつつも、新たな在郷町の動きも認め、商売をしてよい品物,享保期までに
飯田町
を中心としたこの地域の商品流通にかかわる約束がだんだん定まり、
飯田町
の形が出来上がりました,他の
飯田町
町人、
飯田町
内の変化に合わせ約束の変更を求める
飯田町
町人、商品生産を掌握し、商品流通の活発な
伊那繁昌記
([解説])
吉川源美は
飯田町
中ノ町(仲ノ町)に「擴榮堂」という店を持っていました。,
飯田町
では①
飯田町
の成り立ち②太宰の松③藤女(山口不二)④原稲太郎「飯田と韓国の気候梗概」などがのっています,現在のような大型店はなく、
飯田町
では多くの専門店が並んでいた様子がわかります。,この本の発行から100年後も
飯田町
内外で営業をしている店も何軒か載っています。,知名度の高いところでは、上柳喜右衛門(
飯田町
長・衆議院議員)・野原文四郎(
飯田町
長・飯田市長)・原耕太郎
拾八町家並帳
([解説])
[解説] [目録] 松川町資料館 伊坪達郎 江戸時代の
飯田町
の成り立ちやしくみについて知ることのできる,宝暦2年と天保2年の家並帳は、太田浅太郎『
飯田町
小史』(大正14年)の中に掲載されているものですが、原史料,
飯田町
は18の町から成り立っています。,間口の長さが記されていますが、
飯田町
の家持たちの納税(地子米という)は、間口の長さに応じて納められていました,この史料ではわかりませんが、
飯田町
には店を持つ商人や振商い(行商)をする商人、様々な職人が居住していて
寺子屋入門記録「壱番入門記録」
([解説])
壱番入門記録』は、江戸時代の文化年間(1804~1818)から明治7年(1874)にかけ、信州伊奈郡
飯田町
知久町,塾のある
飯田町
は勿論のこと、飯田藩領内の村々や飯田藩領外の村々からも来ています。,
飯田町
には5つの寺子屋があったと言われていますが、宮下塾はその中でも最も筆子の多い塾でした。,
飯田町
の中は勿論のこと、東京をはじめ各地から多くの志が寄せられました。,宮下塾から育った子どもたちは、
飯田町
の中や全国へ出て活躍しました。
パスファインダー
(信州飯田・下伊那の百姓一揆・騒動)
について、今田村(現飯田 市龍江)中原治部右衛門の記録した歎願日記や一揆に関連した基礎的 な史料
飯田町
組頭日記,御城下紙問屋一件始末記ー 池田寿一/編 近世文書館設立準備会(飯田市立図書館内) 1967.12 内容紹介
飯田町
,の組頭が記録し、のちに清書された
飯田町
の記録、文化12年に 起こされた紙問屋一揆について、
飯田町
商人の,1)~(3) 平沢清人/著 伊那 1963 2-1~7,3-3~7、4-1~3 養蚕業の発展と伊那郡
飯田町
宿継要書留
([解説])
飯田町
の内5町(伝馬町1~2丁目・桜町1~3丁目)の問屋(町役人の職)を勤めた大原氏の記録帳であることがわかります,
飯田町
18町のうち5町は、13町のように地子米という税は収めておらず、伝馬役を勤めていていました。,の継送りをする伊那街道の宿場と、荷物を付け通す中馬稼ぎの人たちや、荷物を送り出したり受け取ったりする
飯田町
商人,飯田城下町の発達に伴い、様々な荷物が
飯田町
へ運ばれ、さらに継いで遠方まで運ばれるようになりました。,明和6(1769)年から明和7年にかけての争いは、
飯田町
商人が決められた駄数の荷物を宿継にしなかったことから
パスファインダー
(信州中馬と伊那街道)
キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト 中馬 宿場 問屋 馬宿 伊那街道
飯田町
,伊那史料刊行会/編 歴史図書社 1975.5 戦前から活字化されまとめられてきた「中馬一件記録集」「
飯田町
組頭,およびはたらきについてまとめている 東海と伊那 正木敬二/著 正木敬二 1978 中馬運送の成立や運んだ商品、
飯田町
,内容紹介 5 書名 著者名 出版社 出版年 塩沢仁治/著 ほおずき書籍 1992 中馬による
飯田町
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(3.本書に登場する草創期の信州教育を担った教師たち)
特に、8月2日に飯田に入ったところでは「
飯田町
に達せんとする時、宮下要太郎君も亦出て迎へて、共に飯田高等小学校
宿継要書留
([翻刻])
、此 以後国法被仰出候儀茂可有之 哉之段被聞奉承知候 (改頁) 此儀
飯田町
, (改頁) 22 堀大和守城下 信州伊奈郡
飯田町
, 罷成候様ニ御慈悲之段奉願候 右御吟味ニ付少茂相違之儀 不申上候以上 信州伊奈郡
飯田町
,茂向後通馬・継馬双方勝手たる べき次第之訳、 御書下頂戴仕以後御裁許之趣 急度相守、於只今
飯田町
,も 甚迷惑仕候、前々より中馬ニて継送り候荷物 有之候、則証拠も有之義ニ御座候も、且市田村より
飯田町
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(南深志町)
まつもとし) 明治初期:南深志町(みなみふかしまち) 幕末から明治初期:本町/博労町/伊勢町/中町/
飯田町
宿継要書留
([現代訳])
市田村より
飯田町
へ荷物1駄について宿並の駄賃は32文になります。,
飯田町
は信州の馬継場ですので、松本より格別荷の扱いが多くあります。,そのほか
飯田町
・松本を離れ間の村々より出す荷物はおよそ左の通りです。 ,かつまた
飯田町
は御大名様の御通行はありません。,松本よりは承知の上荷物が出ましたが、
飯田町
よりは1駄も差し出されません。
犀川を下る記
(2.天竜川通船)
神子柴村孫市の通船 17世紀に入ると信・遠国境辺には通船が展開していたといわれますが、18世紀後半、
飯田町
正木屋清左衛門
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
(資金供給源の(株)第十九銀行略史)
1878年12月1日開業した第六十三国立銀行(松代町)および1880年1月15日開業した第117国立銀行(
飯田町
パスファインダー
(江戸時代飯田・下伊那の水害)
歴史 上 (第7章第4節) 飯田市歴史研究所/編 飯田市教育委員会 2012.9 飯田松川の水害や
飯田町
パスファインダー
(米騒動)
長野県史 通史編 第8巻 近代2 長野県史刊行会 信毎書籍 1989.3.31 長野県下の
飯田町
パスファインダー
(水戸の浪士伊那路通行)
信濃教育会下伊那部会(新編 歴史図書社) 1916 (新編 1975) 内容紹介 水戸浪士の
飯田町
通過
パスファインダー
(長野県の5つの国立銀行)
国立銀行(飯山町、18 77年)、第63国立銀行(松代町・稲荷山町、1878年)そして第117国 立銀行(
飯田町
木曾山林学校
(校友会の起源と岐蘇林友の発達)
後略) 36年、37年の2ヶ年に、第2号、第3号の会報が発行せられて、これは信州は下伊那の
飯田町
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
そのうち塩・茶・魚については、
飯田町
より買い請けるようにと指示された。 ,
飯田町
として前代未聞の争いであった。 一同7月5日争いが済み、裁許が仰せつけられた。
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
飯田町
に逹せんとする時、宮下要太郎君も亦出て 迎へて、共に飯田高等小学校に赴く。
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
被遊候、伝馬町之者共之内 御大法背塩を卸候発頭人茂右衛門・由右衛門両人縄御掛 牢舎被 仰付候、
飯田町
前代未聞之大公事也
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