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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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古今百馬鹿 ([解題])

古今百馬鹿 / 古今百馬鹿   [目録] 古今百馬鹿 元高校教師 高木保和  式亭三馬の2巻3冊の滑稽本。,たいこもち)馬鹿」「腹自慢をする大食(たいしよく)馬鹿」の四項の描写をしている。,三馬は百の馬鹿を描写する意志があったのだろうか。,馬鹿の表現を幾つか挙げているが、前述した四項目のみで『古今百馬鹿』は終わっている。,またおのおのの馬鹿の最後は「万一あらば大きな馬鹿」でまとめている。  
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (馬越村)

馬越村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):上田市(うえだし) 明治初期:馬越村(まごせむら,字地: 藤之木/湯道/雁前/上向沖/青木/中河原/内堀/下前沖/立石前/本町/新町/上町/猫狭/入馬越,/寺山/中馬越/西之宮/羽黒/野山/堂平/嶮岨林/十二/古城/東之宮 山: 野山/子檀岳/コクサギ,/馬背神社西ノ宮/皇大神社/山神社/白山社/三峯社/秋葉社/蚕影社/社宮司社/飯縄社/雷社/白山社/羽黒社,/紬布/木綿布/縫織 その他特記ワード: 浦野庄 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 馬越村 / 馬越村
善光寺道名所図会 (○筑摩 洗馬)

○筑摩 洗馬 16左    洗馬から郷原(善光寺道の宿場)まで1里半、塩尻(中山道の宿場)まで1里,京都から江戸まで69宿のうち、洗馬は39宿にあたります。,義仲馬洗水は、太田の清水といいます。洗馬宿を出て左の方にあり、太田村のなかです。,木曽義仲が馬を洗ったので、この名がついています。,肘松が、洗馬を出て塩尻の方へ別れる坂口にあります。 / ○筑摩 洗馬
善光寺道名所図会 (○筑摩 洗馬)

○筑摩 洗馬 16左   郷原へ壱里半[善光寺道なり、]塩尻へ壱里三十町[中山道筋なり、]京師より,   20左   神明宮[宿をはなれて右手の堤にあり、当所の産土神とす、天照太神を崇祀る、] 義仲馬洗水,[太田の清水といふ、洗馬訳を出て、左の方にあり、太田村の内な り、木曽義仲馬をあらひしより、今に此名,あり、是より十八丁西に元洗馬あり、木曽川 にあづま橋をわたせり、古道といふ、]木曽川[是は中山道の木曽川,北流して所々の谷 川落あひて大河となり、松本の西にいたり、熊倉の橋辺より犀川といふ、] 肘松 洗馬を / ○筑摩 洗馬
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (洗馬村)

洗馬村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):塩尻市(しおじりし) 明治初期:洗馬村(せばむら,) 幕末から明治初期:本洗馬村/小曽部村/岩垂村 幕末から明治初期(よみ):ほんせばむら/こそぶむら,家事縫織 その他特記ワード: (林)阿礼位岨竹林 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 洗馬村 / 洗馬村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (御馬寄村)

御馬寄村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):佐久市(さくし) 明治初期:御馬寄村(みまよせむら,) 幕末から明治初期:御馬寄村/上木戸/下木戸/木戸口/流鏑馬/的場 幕末から明治初期(よみ):よませむら,熊野/下平/ハマイ場/白土/川端/田中島/菱池沢/宮田/三反田/袖ノ田/土手/起シ/的場/上木戸/流鏑馬,民業女: 製糸工女・農事補助と養蚕/冬・春紡織 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 御馬寄村全図 / 御馬寄村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (馬瀬口村)

馬瀬口村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):御代田町(みよたまち) 明治初期:馬瀬口村,誠身学校 物産1: 米/大麦/小麦/大豆/小豆/粟/蕎麦/稗 民業男: 耕耘/(農間)中馬稼,繕島・大谷地・長野原/中沢・フツチ・小浅間/南原・向原 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 馬瀬口村 / 馬瀬口村
パスファインダー (信州中馬と伊那街道)

信州中馬と伊那街道 トピック(テーマ) 信州中馬と伊那街道 ねらい 江戸時代,様子を学ぶ キーワード 概要を知るた めのツール 資料リスト 中馬 宿場 問屋 馬宿 伊那街道, 飯田町 桜町 松本 岡崎 吉田 (豊橋) 宿継 付通し 荷歩銭 商品流通 荷物 中馬訴訟 明和裁許,1 書名 信州中馬の研究―近世日本陸上運輸史の一齣― 著者名 出版社 出版年 内容紹介,1と同じ 中馬制の記録(長野県民俗調査報告) 長野県教育委員会/編 長野県教育委員会 1959 中馬 / 信州中馬と伊那街道
拾八町家並帳 (傳馬町壱丁目)

傳馬町壱丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向,小店 甚兵衛持 車屋 辻番  馬場町 / 傳馬町壱丁目
拾八町家並帳 (傳馬町弐丁目)

傳馬町弐丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向 / 傳馬町弐丁目
パスファインダー (善光寺白馬電鉄(善白鉄道))

善光寺白馬電鉄(善白鉄道) トピック(テーマ) ねらい キーワード 概要を知るための ツール,資料リスト 雑誌 善光寺白馬電鉄(善白鉄道) 昭和11年(1936)11月の営業開始,81‐96ページ に「善光寺白馬電鉄」が紹介されている。,小林計一郎に聞く 私の生きた長野の昭和(三)長野電鉄・善光寺白馬 電鉄 小林玲子・小林竜太郎/聞き手・,構成 長野 2005.9 243号56‐59 善光寺白馬電鉄の研究 吉沢誠/著 信濃 1971.7 / 善光寺白馬電鉄(善白鉄道)
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い ([現代訳])

浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い / [現代訳] 恐れながら書付をもってお願い申し上げます 入会で、浅間山のふもとの山から馬草・刈敷・薪
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い ([翻刻])

浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い / [翻刻] 乍恐以□(書)付奉御願申上候 浅間根岸山江入合ニ而馬草・刈敷・薪等刈取候ニ付、 □(村
浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い ([解説])

浅間山焼けにより馬草などを取ることができないため小物成免除願い / 史料2は、浅間山が大噴火して北麓の鎌原村(現群馬県吾妻郡嬬恋村)をはじめとする広い地域に大被害を与えた,史料によれば、岩村田町は入会で浅間山山麓から馬草・刈敷・薪などを採取してきた。
宿継要書留 ([解説])

いと伊那街道16宿との争論の裁許書  ③宝永3(1706)年  伊那郡中馬と筑摩郡中馬との争論の裁許書, ⑤宝暦12(1762)年~宝暦13年宝暦の中馬一件、中馬御検使米倉幸内・高橋八十八へ差し出した書類,こうした自分馬での物資輸送は,のちに中馬と言われるようになりました。  ,宝永3(1706)年筑摩郡の中馬が伊那郡の中馬を訴えるということがありました。,伊那郡の中馬は、筑摩郡の中馬を新馬と呼び、自らの優位性を主張したが、裁許により同じように自由にできることになりました
信州善光寺御堂額之写 ([解説])

江戸時代の善光寺は、本堂に絵馬を奉納する習慣がありました。,「御堂額」とは、善光寺の本堂に奉納された絵馬のことです。,取り外された絵馬の一部は現在、日本忠霊殿内の善光寺史料館に展示されています。  ,その絵馬は「幽霊の絵馬」として本堂内でも有名なものでした。,現在この絵馬は善光寺史料館に展示されています。  
宿継要書留 ([翻刻])

筑摩郡  中馬之村々より江戸表江出訴、則伊奈郡  中馬方之者共被召呼御吟味之上、  筑摩郡中馬方願之通被,・桜町より伝馬役相勤  可申事    但馬数四疋以上者村々より    伝馬可差出事 一従飯田より,、通馬継  馬双方勝手次第と有之候者、中馬  江之被仰渡ニ而宿場ニ拘候儀ニ者  無之、尤商荷物付送,無之町並之屋敷斗ニ而、作出候産物 并中馬稼仕候者無御座候ニ付、人別 家数馬数等御傳馬相勤候分左ニ,、中馬仲間勝手を 以継馬いたし候而者、商人荷物ヲ中馬ニ致、     (改頁)   馬継場ニ而者御用通行斗之人馬相勤相
宿継要書留 ([現代訳])

宝永年中については中馬・新馬口論の時、だんだん調べの上、村々より付け出す荷物は、どの道筋も今後通馬・継馬双方自由,また伊那街道宿並御用の御伝馬や旅人の継馬を勤めれば、中馬荷物は継荷になるので、宿並の通継馬仰せ付けられるようにお,去る甲年中馬の御裁許証文に、当時中馬稼ぎをしていた678か村を中馬村に定め、馬数も格別増やさず、その所々,宝永3戌年筑摩郡の中馬を伊那郡より新馬と言われると、筑摩郡村々より訴え出て、御吟 味の上、通馬・継馬双方自由,馬継場問屋の申し立ては、中馬仲間 が勝手に継馬をしては、商人荷物を中馬につけると、馬継場では御用通行
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (北城村)

北城村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):白馬村(はくばむら) 明治初期:北城村(ほくじょうむら,明加/花園/桐山/中花園/大入/堀田/峯方/一ノ倉/押堀/舟山/高島/平川/真畔/五町林/楠川/砂原/馬場平,の墓/塩島但馬守城跡 物産1: 米穀/雑穀/稗・麻 物産2: 馬 民業男: 薪炭/猟/農事,ID:10-1 3-14 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 白馬の,歩み/白馬村誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (豊里村)

小海町(こうみまち) 明治初期:豊里村(とよさとむら) 幕末から明治初期:松原村/八那池村/鎰掛村/馬流村,まながしむら 『長野県町村誌』 2巻 p2683に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 馬流,まながし)/杉尾(すぎお)/芦平/人本/二タ小池/鎰掛(かにかけ)/八那池(やないけ)/松原/御射山/御射馬/,衣脱川/猪名湖/長湖/外無名小池/無名沼/溜池二箇所/川除 渡・堰: 福山堰/八那池堰/鎰掛堰/馬流堰,橋: 鎰掛橋/馬流橋 道路: 甲州街道/稲子村への支道/諏訪郡に入る経路/諏訪北山村へ至る経路
絵頭入書百性往来童子宝全 ([翻刻])

[翻刻] 百性往来      4 凡百性取扱文字 農業耕作之道具 鋤鍬鎌犂馬把 钁竹把鉄把箆,#160; 堰齟齬関板羽口 柵迄逐一目論見 帳を以、年々村方之 物入りを可分別者也、 肥者下□馬糞馬,御領私領之村々 定大助遠村加助 役并ニ助郷問屋人 馬割触順番宿駅     (改頁),      10   之到着御用無指 支様馬指之任指 図、継送荷物宰 領中へ渡之、,飼料之粮可用、扨又     (改頁)      16   牛馬之馬喰牛ハ□
御城下古法并市場古法書抜書集 ([翻刻])

 致候訳者、伝馬町伝馬町筋近年塩店多罷成穀  類等荷替塩自由ニ致候儀、畢竟馬問屋より塩売続候故段々,塩之義伝馬町より申上候者、市場ニても馬問屋ニ而も買分    仕候段申上候ニ付、拾三町江御尋被遊候故馬問屋共申上候口, セ申候段者、余り塩仕切塩馬問屋場ニ御座候ニ付、伝馬町江売  申候、伝馬町之儀近年塩店多罷成、奥筋川東口,根羽より参り候馬    大横町通り者      武節・津具并こほれ馬  右之通相究、荷付ケ馬参り候宿,にて売払申候事、  如斯市場被 仰付市馬付候処、大横町馬宿宜候故  哉、こぼれ馬と名付皆大横町江参候而
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (山本村)

明治初期:山本村(やまもとむら) 幕末から明治初期:古見村/針尾村/小野沢村/小野沢新田村/西洗馬村,にしせばむら 『長野県町村誌』 3巻 p2988に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 西洗馬(,にしせば)/小野沢(「おのざわ)/針尾(はりお)/古見(こみ)/御馬越(おんうまごえ)/大石原/御道開渡,/山神社 寺: 光輪寺/薬師堂/古川(こせん)寺/十王堂 古跡・名勝: 武居城址/旭城址/御馬越,柿/松茸 物産2: 生糸/蚕種/白木/薪炭/蚕籠/繭 民業男: 農桑/半山業/採薪・焼炭/作馬輸送
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (神坂村)

現在(令和2年):中津川市(なかつがわし) 明治初期:神坂村(みさかむら) 幕末から明治初期:馬籠村,ゆぶねさわむら 『長野県町村誌』 3巻 p3165に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 馬籠,比丘尼寺/砦/三坂古道/湯舟/兼好屋敷/愛宕山 物産1: 素麺/塩漬梅/塩漬蘿葡 物産2: 馬/,野猪/鹿/狸/兎/鶏/雉子/山鶏/小鳥/椀榡/茶盆/薄板/生糸 民業男: 農業/(農間)酒屋・牛馬売買
浅間山 (第八編 浅間登山)

第八編 浅間登山 はじめに、浅間山麓のことわざには「二度行く馬鹿に行かぬ馬鹿」とある、浅間山に行かないのはその,通りだが、二度行くのも馬鹿というが、これは浅間山を知らぬものの言うこと、これこそ大馬鹿者だと述べ、浅間山登山
柳髪新話浮世床 ([解題])

国民図書刊) 元高校教師 高木保和  『浮世床』は『浮世風呂』の後を承けた、ともに落語の影響のある式亭三馬の,初編3冊は文化10(1813)年、二編2冊は翌年刊行で三馬作。,三編3冊は文政6(1823)年、三馬の死後の刊行で作者は滝亭鯉丈(りゅうていりじょう)。,三馬は本書に髪結床の主人鬢五郎登場させることにより、単純な会話小説に小説的必然を与えている作品といえよう,三馬は自己宣伝がうまい。
善光寺道名所図会 (善光寺道(北国脇往還))

江戸時代には善光寺へ向かう道筋は、たいてい善光寺道といわれていましたが、とくに、中山道(なかせんどう)の洗馬(,村井・松本・岡田・刈谷原(かりやはら)・会田(あいだ)・青柳(おおやぎ)・麻績(おみ)宿を経て、猿ケ馬場,まず、洗馬・村井宿間の道路を切開いて奈艮井川東岸の人びとを移して郷原宿をつくり、村井氏の館跡近くへ村井宿,善光寺道は脇往還のため、宿場の規模も中山道にくらべると小さいものでしたが、25人・25疋の人馬を備え公用人馬,松本の南の出川、会田宿と青柳宿の間の立峠の麓の乱橋・西条、猿ケ馬場峠下の桑原などが間宿と呼ばれていました
御城下古法并市場古法書抜書集 ([現代訳])

ところが市場仲買・馬問屋・中馬追・13町で申し合わせ、馬問屋で買い分けをすることになった。,一馬問屋たちが言った通り、伝馬町筋へ塩を売ることをやめにするということだが、余り塩は仕切塩で馬問屋場にあるので,   大横町通りは       武節・津具からくる馬やその他の馬 右の通り決め、荷を付けて来た馬が宿,このように市場の割り当てを仰せ付けられ市へ馬をつけてきたが、大横町の馬宿は都合がよいので、こぼれ馬と名付,但し送り荷物は、馬方病気や病馬となっても、そこからほかの馬を雇っても、13町の内各々の所まで荷物の送り
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (千代里村)

現在(令和2年):小海町(こうみまち) 明治初期:千代里村(ちよさとむら) 幕末から明治初期:馬越村,ごかむらしんでんむら 『長野県町村誌』 2巻 p2691に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 馬越,落合川除/家ノ下川除/清水下川除/堰下川除/中通川除/岩井堂川除 渡・堰: 相沢堰/溝ノ原堰/大堰/馬越堰,米/大麦/小麦/大豆/小豆/蕎麦/粟/稗/大角豆/人参/蕪菁/蘿蔔(すずしろ)/胡蘿蔔/牛房/芋/馬鈴薯,生繭/屑蛹/生糸/真綿/麻布/藁筵/松板/屋根板/炭 民業男: 農桑/薪伐/炭焼/産物小荷駄賃馬/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (神城村)

神城村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):白馬村(はくばむら) 明治初期:神城村(かみしろむら,物産2: 畳縁布/畳糸 民業男: 農業/(農間)麻/薪採・運送諸荷物の駄賃持稼・猟業・漁猟・牛馬売買,・酒造・絞油・肴振売・商業・中馬稼・酒類売捌・木挽杣職人・大工職・鍛冶職・屋根職・紺屋職 民業女:,ID:10-1 3-13 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 白馬の,歩み/白馬村誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (傍陽村)

現在(令和2年):上田市(うえだし) 明治初期:傍陽村(そえひむら) 幕末から明治初期:曲尾村/洗馬村,/上洗馬村/下洗馬村/軽井沢村 幕末から明治初期(よみ):まがりおむら/せばむら/かみせばむら/しもせばむら,/大久保/三墓/桂沢/柳浦/萩田/中村/表/峯山/宮ノ前/柏木/兒岩/中島/年中/手城/堤入/白石/馬建,(ばば)塚 山: 燕岳/大松尾山/湯ノ入山/天狗岩/雄鴻岳/地蔵嶽/傍部山/太郎山 川: 洗馬川,/赤石橋/十郎橋/仏岩橋/大芝原橋/太良橋 道路: 松代道/保科道 社: 誉田足玉神社/上洗馬神社
信州飯田町家控 ([翻刻])

  池田町通りハ      平谷辺より参候馬   本町三丁通りハ     駒場筋并近村より参候馬,  知久町三丁通りハ    横畑・根羽より参り候馬   大横町ハ        武節・津具并こぼれ馬, 右之通り相極荷付馬参候宿ニて売払申候事、如斯市馬  被仰付、市馬付候処、大横馬宿宜敷候故歟こぼれ,ニ申談じ候、馬  宿田町塩屋小右衛門大横町又兵衛本町塩屋嘉兵衛  三宿相談相極、馬方壱人ニて馬三疋宛追来候処,       町  也、同前伝馬宿ニ被仰付町名  桜町と御付被成る候、御伝馬相勤候故町役御地子米
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (新治村)

/小諸堂/金井淵/南足/堰口/東沖/押出シ/西通/東通/穴山/宮ノ前/下丑越/赤渋/丑越/丑越河原/馬込,ノ坂/苗間/中反/下滝沢 山: 森泉山 川: 湯川 渡・堰: 茂沢川/丑越用水/葭際堰/馬込堰,寺: 東光寺/長秀院 学校: 周度学校/仁沢学校 物産1: 米/大豆/稗/蕎麦/粟/黍/馬鈴薯,物産2: 木綿布/馬沓 民業男: 農桑/(農間)賃馬稼 民業女: 農事専業/(農隙)縫織
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (発地村)

令和2年):軽井沢町(かるいざわまち) 明治初期:発地村(ほっちむら) 幕末から明治初期:発地村/馬取萱村,小倉/六郎地/西山/大原/横谷/木下/沢田/湯川原/下原/鷲穴/荒熊/中山/長畑/鳥巣/渋沢/長日向/馬越,/新道/馬渡/揚口/上郷/東山/銀杏木/常光寺/尾高根/五反田/三畝歩/高町/中井/久保田/念仏橋/山崎,/祖父ケ久保/萩原/上久保/杉瓜 山: 八風山/押立山(一名御巣鷹山) 川: 湯川/発地川/馬取川,栗/葭/萱 物産2: 鹿/雉子/白木綿/草蓑/薪/炭 民業男: 農桑/(農間)採薪・焼炭・賃馬稼
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (瀬戸川村)

『長野県町村誌』 1巻 p262に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 瀬戸川/成就/馬曲,/土合/神出/輪ノ内/沢入/馬曲ノ内川手/野間/季平/桐山/持京/神楽岡/明賀/蔵別当/鳥立/宮ノ入/,: 県三等道路 社: 小川神社/瀬戸川神社 寺: 法蔵寺 古跡・名勝: 小川古山城墟/馬曲
寛保二壬戌歳満水記 ([現代訳])

れとはいわないが大声でさけぶ声や、わめきさけび、大声で わめきさけぶ光景を目前に、耳をふさぎたくなる、馬は,、合わせて32疋    内、上御厩にて流馬17疋     下御厩にて流馬15疋   松代城下の内,疋    新馬喰町 一9軒流家   一10軒潰家、27人流死、    西寺尾村 一53軒潰家 ,疋流死、土手押流 90間余、馬道3分1破損、    上五明村 一男女合58人流死 馬2疋流死、,  惣合64疋 内上馬33疋、駄馬32疋、  道抜水難   惣合3万1641間[町ニ〆527丁、里数
信州飯田町家控 ([現代訳])

や近村より来る馬   知久町3丁通りは、横畑・根羽より来る馬   大横町は、武節・津具やこぼれ馬,馬宿田町塩屋小右衛門・大横町又兵衛・本町塩屋嘉兵衛三宿の相談が決まり、馬方1人で馬3疋ずつ追ってきたが,月の10日迄は伝馬町が伝馬役を勤め、11日より晦日迄は桜町が伝馬役を勤めることになっています。,伝馬町が言うには、昔は伝馬町へも塩・肴の荷物が市廻りで付けられてきた。,その日の市の余り塩は、馬問屋へ卸すように近年申し合わせ、馬問屋が市場より買い分け、自分の心得で伝馬町へも
寛保二壬戌歳満水記 ([翻刻])

かまびすしく、あわれとやいわん、よばわる声、きやうくわん大きやう くわん目前にありて、耳のふたとなる、馬ハ,   内上御厩ニテ流馬十七疋     下御厩ニテ流馬十五疋   松代之内橋流事附御領内訴出時分不残村順訴次第不同,一木町橋 一紺屋町橋 一片端(羽)町橋 一御馬出橋 一上御厩脇橋 一下御厩橋  ,、土手押流     九拾間余、馬道三分一損之、    上五明村 一男女合五拾八人流死 馬弐疋流死,  惣合六拾四疋 内上馬三拾弐疋、駄馬三拾弐疋、  道抜水難   惣合三万千六百四拾壱間[町ニ〆五百弐拾七丁
落噺無事志有意 ([解題])

近代日本文学大系 第22巻』1927年 国民図書刊) NPO法人上田図書館俱楽部 園原覚  烏亭焉馬は,そんな焉馬のもとには『浮世風呂』の式亭三馬や『偐紫田舎源氏』の柳亭種彦なども訪れ、門弟には初代立川談笑,や三遊亭銀馬など著名な落語家がいる。,と、古典や御伽噺などの調子を織り交ぜた、あらゆる文芸分野に関心と才覚を有した焉馬らしい噺始めがうかがえる
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書 ([現代訳])

現代訳] 恐れながら書付をもって願い上げ奉る口上の覚え 一、望月宿は去年戌八月の大満水によって伝馬役屋敷二十軒,そのうえ田地もおびただしく流失し、伝馬役を務めかねる困窮状態です。,そこでお願いしたいのは、田地の堤防工事はしていただかなくても、宿場が維持でき、伝馬役を務めることができるように
寛保三年二月宿の堤防工事嘆願書 ([翻刻])

翻刻] 1       乍恐以書付奉願上候口上之覚 一望月宿去ル戌之八月大満水ニ而、当宿御伝馬,役屋敷弐拾軒並裏家・土蔵・木小屋等迄流  失仕、此度御見分被成下置候通ニ御座候、  其上田地夥敷流失仕、御伝馬役相勤,難儀至極ニ奉存候、依之  乍恐奉願上候ハ、田地川除地之儀者仮不被成  下置候共、駅宿相立往々御伝馬役相勤
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部 (著者、絵師等)

左上に「ゆふれい絵馬」が掲げられていて、見上げている人がいます。,これは『信州善光寺御堂額之写』にも取り上げられた有名な絵馬で、「幽霊の絵馬」として現在は善光寺史料館に
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (高野村)

中島/真畔島/江津/東町/淀沢/上沖/中沖/下沖/蟹沢/仙石峯/五リ原/宮沢/平/荒井/壱毛平/穴田/馬場,/島仁田/田頭/源九郎/前林/原/池下/石橋/馬頭/西野平/立道/町屋平/成揚/上野平/吉原街道/赤砂,大久保 山: 東山/大林山/西山/町屋山/浦山/虚空蔵山/久保山 川: 小川 渡・堰: 馬頭池
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (広戸村)

下滝沢/李平/西畑/高根平/道陸神/前畑/大久保/大久保反/上滝沢/滝沢道/苗間ノ上/北池畑/南池畑/馬越淵,民者城/内城山妙音寺廃址 物産1: 米/小麦/大豆/稗/粟/蕎麦/黍 物産2: 繭/木綿布/馬沓,民業男: 農桑/(農間)賃馬稼 民業女: 農桑/(農間)蚕・木綿布 その他特記ワード:
小諸洪水流失改帳 ([翻刻])

六供田町本町辺を押流し、大手江水入、足柄御門、三ノ御門押流、     (改頁)      4   馬場裏押水,、上ノ袋町ヲ押し、下ハ押兼五郎左衛門屋敷庭より裏門塀押流、御馬屋外塀、御中間部屋流、三ノ御門西南北谷江水落申候,、 右為注進、同二日立十六時馬飛脚之所ニ、道中所々高水、仍而漸々二日立七日午ノ中刻過ニ中嶋平六・中田傳右衛門着府,改頁)   一 淡路家内   男壱人          女三人          馬壱疋,  内  男 百五拾弐人     (改頁)    女 百七拾弐人  馬 
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (開田村)

社: 熊野社/八幡社/白山社 寺: 随松庵/源流庵/釈迦堂 古跡・名勝: 城山/平岩/右馬尉屋敷,/石碑/関址関谷(せきや)/円山 物産1: 米/大豆/粟/稗/小豆/蕎麦/馬鈴薯/蒲筵/萱筵/太布,/菅蓑/葡萄ハバキ 物産2: 馬 民業男: 農業/商/鍛冶 民業女: 農業/(農間)織縫・
犀川を下る記 (1.犀川通船の盛衰)

1.犀川通船の盛衰 (1)宿場と中馬の反発  松本から北国脇往還(善光寺街道)を経由して善光寺まで,荷物を運ぶには、「岡田村・刈谷原村・会田村・青柳村・麻績村・稲荷山村・丹波島村の七か村が中馬稼ぎの村であった,それは、通船が実現すれば、宿場が衰退する、牛馬の駄賃稼ぎが無くなる、堰の取水に問題が生じる、鮭漁ができないなどの,しかし、商品流通の促進を図る松本藩の後押しと、勘定奉行のとりなしがあり通船を進める側と反対する宿場、中馬側,明治35年篠ノ井線開通後は松本からの出航は廃止され、鉄道で運ばれた荷物は明科駅でおろされ、荷物は陸路荷馬車
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中川村)

向田/上原/山崎/塩ノ入/日向/横川橋の前/原山/下平/上平/槙寄/塩沢口/横川/沖田/平林/水上/馬場,/日向/馬舟/会吉/鳩屋/大沢/根小原/岩戸/両瀬/両瀬橋の前/中村/瀬場左馬/日影/大門/井方沢/小岩井,藤池耕地溜井/藤池耕地溜井/藤池耕地溜井/矢久耕地溜井 橋: 奴橋/奴橋下橋/日向橋/官林橋/両源橋/馬舟橋,刻煙草/葉煙草 物産2: 繭/薬品桔梗 民業男: (農間)煙草刻製造・炭焼・職銃・薪稼・駄賃附馬稼
昔語質屋庫 ([解題])

近代日本文学大系 第16巻』1927年 国民図書刊) 上田市マルチメディア情報センター 井戸芳之  曲亭馬琴作,作者の曲亭馬琴は1800年代前半の代表的読本作者である。  ,これらの反論と考証は、質草の道具類が話していることになっているが、実際は作者の馬琴の意見であることは明,つまり、本書は読本の形を借りた馬琴の論考だと言える。,その論考は膨大な文献に基づいていて、馬琴の博覧強記ぶりが伺える。  
天明三年浅間騒動記 ([翻刻])

夜中食事も 不喰野道・山坂の弁なく逃走りし故、老人・ 小供ハ情力労れ途中に倒れ死るもあり、 中にも牛馬ハ,身にまとふものもなけれハ石に打 れ死る事数しれす、助し牛馬も十日計り 飼扶持もせす水ものまされハ只命,12 事夥し、此利根川ハ関東第一之大河にて 板東太郎と云さしも名高き大河一面の泥 水となり、人馬の,を 打立、夫より内山・志賀之辺え押寄、中込・野沢・ (改頁) 19 三ツ塚・原新田・下県・御馬寄,く、此事村々より上田え注進する事櫛の歯を ひくがごとし、上田ニ而ハ兼而用意せし事なれ ハ早速物頭馬上
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