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善光寺道名所図会
(○筑摩 麻績)
○筑摩
麻績
33 6町ほど相対して宿場をなしています。,(注)
麻績
宿は、鎌倉時代に新補地頭として下総(しもうさ、いまの千葉県の北部・茨城県の一部)から来た
麻績
服部,
麻績
城の館跡は中町の裏にあります。,
麻績
氏は天文22年(1553)に武田氏に攻められて上杉氏」へ逃げ、のちにふたたび
麻績
へ入りましたが、小笠原氏,
麻績
神明社は宮本にあり、伊勢神宮内宮の
麻績
御厨の惣社として平安末期の創建です。 / ○筑摩
麻績
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(麻績村)
麻績
村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
麻績
村(おみむら) 明治初期:
麻績
村(おみむら,) 幕末から明治初期:
麻績
村/矢倉村/野口村/市野川村/下井堀村 幕末から明治初期(よみ):おみむら,: (森林)神明ノ森/(冷泉)宮本・大シフラ・西谷 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
麻績
村全図,史料ID:8-1 6-13 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
麻績
村誌 /
麻績
村
善光寺道名所図会
(○筑摩 麻績)
○筑摩
麻績
33右 六町程相対して巷をなす、其余町裏に散在す、稲荷山宿へ三里、 此間猿ケ馬場,入口左側に仏眼山法善寺[曹洞派、寺領八石]の黒門の脇に庚申の祠反 古塚等あり、又宿中程北裏の山手に
麻績
山光明寺,[天台宗]といふ 寺有り、此は
麻績
式部太夫が城趾なり、[式部太輔甲州へ属して、十騎の軍役たりし、] / ○筑摩
麻績
善光寺道名所図会
(○筑摩 青柳)
○筑摩 青柳 31左 五丁程相対して巷を成す、
麻績
宿へ壱里十丁なり、卯の方の、山に青柳氏の城趾,を通るにや、小笠原家ヘ一応 の届もなく無礼の様子なり、殊に怨敵たりし憤りあれバ、取合始り ける、
麻績
,二間壱尺高サ八尺、巾九尺なりとぞ、是に依て旅人并に牛馬の往来 聊も煩ハしき事なく、野を越え山を越つゝ
麻績
宿
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(日向村)
日向村 地域 中信 市町村名 現在(令和2年):
麻績
村(おみむら) 明治初期:日向村(ひなたむら,風間/野間日影/荒立/入/袖/向日影/野間 山: 聖(ひじり)山 川: 安坂川 道路:
麻績
,史料ID:8-1 7-13 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
麻績
村誌
善光寺道名所図会
(○筑摩 青柳)
麻績
宿へ1里10町です。東方の山に青柳氏の城趾があります。城主は青柳近江守清長・同伊勢守頼長です。,上杉景勝に志を通じて、小笠原家ヘ一応の届もなく無礼であり、ことに怨敵の憤りがあれば、取り合いがはじまる、
麻績
,野を越え山を越えつつ、
麻績
宿に到ります。
善光寺道名所図会
(○筑摩 会田)
籏下なりしが、武田家の鋒先強勢なるに依て、甲州へ降て十 騎の軍役たり、小笠原帰国の後、会田・青柳・
麻績
三家
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上川手村)
北村/御法田/白牧/蛼/矢ノ沢 山: 上野山/透ケ原山/二場城山/黒尾山 川: 犀川/池沢川/
麻績
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(今井村)
川: 鎖川(くさり)川/用水溝 橋: 山橋/赤坂橋 道路: 橋場道/松本道 社:
麻績
社
パスファインダー
(長野県の動脈 篠ノ井線)
中央本線 長野自動車道 姨捨 スイッチ バック 峠 廃線跡 冠着山 振り子電車 SL 松本市 長野市
麻績
村,安曇野市 筑北村
麻績
村 千曲市 1 書名 篠ノ井線:信州の東西をつなぐ 著者名,アーカイブ 長野県の動脈 篠ノ井線 雑誌 インターネット 新聞 中山道の洗馬宿から松本、
麻績
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(生坂村)
ノ平・南/須沼・原/本村木戸/雪根/込地/重ケ/入山/丸山 山: 榾山 川: 犀川/池沢川/
麻績
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(当郷)
飯縄山 川: 阿鳥川 渡・堰: 柿本堰/澤袋池/鹽ノ入池 橋: 高橋 道路: 松本街道/
麻績
街道
善光寺道名所図会
(善光寺道(北国脇往還))
向かい、郷原(ごうばら)・村井・松本・岡田・刈谷原(かりやはら)・会田(あいだ)・青柳(おおやぎ)・
麻績
,刈谷原・会田・青柳・
麻績
等は何れも戦国期の領主の城下町の一部を利用して宿造りをしたと考えられています。
パスファインダー
(草創期の善光寺)
善光寺信仰 百済 日本書紀 扶桑略記(ふそうりゃっき) 色葉字類抄・伊呂波字類抄(いろはじるい しょう) 若
麻績
東人,…(『国史大 内容紹介 辞典』より) 「推古天皇十年壬戌四月八日、信濃国の人若
麻績
東人上洛し、下向の,…本国
麻績
村に下著し、寺を 造りて居え奉り、四十一年の礼拝供養す。」
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上郷村)
/野底川/弓矢川/栗沢川/土曽川/大島川 道路: 伊那街道 社: 八幡社/諏訪社/護老神社/
麻績
神社
パスファインダー
(小平甚右衛門)
これは明治2 年から3年にかけて起こった飯田二分金騒動、上田騒動、会田・
麻績
騒 動から中野騒動に至る世直,戊辰戦争 贋二分金騒動 小作貧農蜂起 豪農層 強訴 打ちこわし 南山一揆 木曽騒動 上田騒動 会田・
麻績
騒動
違作書留帳
(4、『松本市史』記述の天保の飢饉)
11月に、
麻績
(東筑摩郡
麻績
村)・安坂(同郡筑北村坂井)で騒動がおきたとの風聞がたつと、こんどは神戸村
パスファインダー
(善光寺縁起)
本多善光 善佐 弥生 日本 書紀 物部氏 物部尾輿 物部守屋 蘇我氏 蘇我稲目 蘇我馬子 聖 徳太子
麻績
,縁起堂淵之坊本善光寺如来絵伝 若
麻績
侑孝/監修 淵之坊 2013.12 善光寺淵之坊は縁起堂と称
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(坂北村)
小田子沢/未地/原/町/平/寺沢/大側/荻/百瀬/日影 山: 東山 川: 東条(ひがしじょう)川/
麻績
善光寺道名所図会
(『善光寺道名所図会』の構成)
松本にもどって、善光寺道を岡田・苅谷原・会田、立峠を越えて乱橋・法橋を過ぎ、青柳宿・
麻績
宿から猿が馬場峠
犀川を下る記
(1.犀川通船の盛衰)
から北国脇往還(善光寺街道)を経由して善光寺まで荷物を運ぶには、「岡田村・刈谷原村・会田村・青柳村・
麻績
村
戸隠善光寺往来
([翻刻])
推古天皇 十年草創而、伊奈郡 (改頁) 10
麻績
里宇沼村ニ建 寺
善光寺道名所図会
(○筑摩 会田)
小笠原氏が帰国のあとは、会田・青柳・
麻績
3家とも滅ぼされました。
伊那の中路 わがこころ
(わがこころ)
十四日は雨天の中、太刀峠、赤豆坂を越え、青柳の宿場に着き、切り通しを経て
麻績
の里に休んだ。
パスファインダー
(『平家物語』と信濃)
21世紀らいぶらりー 平家物語 人間の哀れさ 信濃毎日新聞 夕刊4ページ 2000.3.27
麻績
パスファインダー
(信濃博物学会)
「メンデリズムと長野県」 <執筆は小林英一> メンデルの遺伝に関する学説は、臼井勝三(東筑摩郡
麻績
村出身
パスファインダー
(姨捨山の文学)
日本遺産に姨捨の棚田 「月の都」更級 信濃毎日新聞社 2020.6.20 朝刊 おらが村・里山からPR
麻績
戸隠善光寺往来
([現代訳])
推古天皇10年、伊那郡
麻績
里(おみのさと)宇沼村に寺を建てたのが始まりで、その後皇極天皇元年、仏のお告
パスファインダー
(『平家物語』と木曽義仲)
後白河 法皇 源頼朝 白鳥河原の勢揃い 横田河原合戦 倶利伽羅合戦 琵 琶法師 洗馬 依田城 別所温泉
麻績
パスファインダー
(明治3年(1870)の農民一揆(松代騒動))
内容紹介 「明治二年の農民一揆」「明治三年の農民一揆」の項に、飯田二分 金騒動、上田騒動、会田・
麻績
騒動
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
そのほか6か所は、
麻績
・苅谷沢・潮・仁熊・会田、上生坂で、以上7か所が同じときに勧請されました。
「信濃博物学雑誌」(第3号雷鳥特集)
([解説])
第七号(明治三十六年十月)から第九号(同三十七年三月)にかけて、臼井勝三(東筑摩郡
麻績
村出身・岐阜県師範学校勤務
パスファインダー
(善光寺の物語・紀行文・文学)
雑誌名 文学 巻号頁数 48巻9号 2 論題名 「善光寺道中記」について・・・文化末年
麻績
俳人
信濃名勝詞林
(信濃の記)
にあらましくなりて、駒の足は雲を分る心地なり、柏崎より贈りし堅甲(けんこう)の花簦(はながさ)もあやうく麓に下り、
麻績
パスファインダー
(善光寺史の研究)
1922年 大正7年8月から10年9月まで百余回新聞に掲載されたもので、筆者は 内容紹介 若
麻績
竺道
豆から日記
([翻刻])
黄鳥をまち儲けたりうしろ山 海野 雪嶺 (改頁) 15 うくひすをまうしくらせし日暮哉
麻績
,匊二 (改頁) おしげなく家鴨流るゝ雪解かな 山平林 松柏 あハ雪に啼は妻こふ烏かな
麻績
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
えし、生まれ変わっても崇敬していたが、如来の不思議な考えで、聖明王の後身は日本の信濃国に生まれ、伊奈郡
麻績
,つは善光寺より犀川を渡り、芝村の阿弥陀堂を拝し、千曲川を越えて松代の城下に出、ここから塩崎、稲荷山、
麻績
,大宝山正行寺 東派御坊所(塩崎から稲荷山、
麻績
、青柳、会田、刈谷原、岡田、この間12里。
善光寺道名所図会
(○筑摩 松本)
(注)善光寺道は松本から岡田宿・会田宿・青柳宿をへて
麻績
宿へと向かいますが、「図会」では、まつもとから
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
又生を改め帰敬有けるに、如来異の方便に依て、 聖明王の後身此日夲に化して信濃国に生れ、伊奈郡
麻績
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
和漢三才図会 欽明天皇十三年本尊如来自百済国渡来、而未信、 推古天皇十年草創、建寺於伊奈郡
麻績
続里宇沼村
上田の早苗
([翻刻])
爾後五官祝及諏訪藩の士族の子弟、年十五 歳に満たざるものを選て職を襲ハしむ、宝亀三年水内郡金刺舎人若
麻績
等八人
違作書留帳
([現代訳])
本宅でも、奥の間へ道具飾りがすばらしいことだ、その夜は何の沙汰もなく、穏やかだった、 十一月二日
麻績
,(おみ、東筑摩郡
麻績
村)・安坂(あざか、東筑摩郡筑北村坂井)に騒動が起こったといい、松本へ飛脚、急いで
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
推古天皇10年に創始され、伊奈郡
麻績
の里宇沼村に寺を建てた。
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
職員等は本日
麻績
泊にて、十七日長野に帰る予定なれと も、記事は生徒解散の日に於て筆を止めつ。
違作書留帳
([翻刻])
本宅ニ而も奥の間へ 道具餝めざましき 事なり、 其夜何の沙汰もなし おだやか 〇十一月二日
麻績
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