第二編 浅間山

 はじめに、浅間山は富士山と並び称される名山であり「地理学者は之を活火山最良の好標本なりと称し、詩人騒客は『煙ばかりは埋れぬ』絶景に賛美の声を捧ぐ」と述べています。そのあと、浅間山は上信国境にあり、山の構造は二つの外輪山と火口丘によって成り立っていることが記されています。以下、浅間山を構成刷りそれぞれの山や谷、川、池などとともに、二五二〇メートルの火口丘浅間山(現在公表されている標高は二五六八メートツ)について詳しく述べられています。火口丘は《お釜》といわれ、常に白煙が漂い、火口の深さは八二〇尺、溶岩石・・・と続き「蒸気など漏出す。すさまじき哉。自然の力も又」と書いています。
 次に、浅間山の裾に並ぶ「浅間三宿」の軽井沢・沓掛・追分を北国往還の宿として紹介しています。「軽井沢は夏季三月(みつき)避暑の客を迎ふるが故に、外人などの来遊するもの甚だ多く、一時殷賑を極むと雖も、それも盛夏の短期間に過ぎず。又沓掛、追分の如きも近来停車場の新設せらる々ありて避暑客の来る者多しと聞けど」昔の賑わいはほとんど見られないとしています。信越線の開通によって、三宿が衰退したことがわかりますが、外国人の避暑地として夏季だけはにぎわっていたことがわかります。現在見られる三宿(軽井沢)の街(ホテル、商店、人家等が並ぶ)は、外国人のほか日本人の富裕層が別荘を建てるようになってから後のことです。
 「吹き飛ばす石も浅間の野分かな」(芭蕉)であった浅間山の裾野は近来、広野を開墾するとともに植林をし、山の中腹にまで林が及んでいるので自然林のようになってきた、したがって、土壌が育ち田畑も見られるようになった、と山林造成の大切さを述べています。
 このあと、天明三年に流れ出した溶岩流の凄さや上州側の浅間山裾野に広がる溶岩台地について述べ、「北上州鬼押出の遺跡」図を挿入しています。
 終わりに内村鑑三の論を載せています。いわく『人類の本能は山を以て神殿を築くの地と定めたり。オリムピアの山頂、是希臘(ぎりしゃ)全土の上に天智の降臨する處なりき。・・・』と。第四編「浅間神社考」につながる結びとなっています。