このほか、注釈の中でも明記しているが、当地の方言が生き生きと記録されていることにも注目したい。
「何くれず」……何をあげようか(3頁)
「えぼ釣った」……すねる(20頁)
「ちょっくら」……ちょっと(32頁)
「お出でる」……いらっしゃる(90頁)
など、今日も生きて使われている語がある。
このうち、「~ず」については、当地で、「真田の逆さ言葉」と説かれることがある。戦国時代、敵方の武田勢を混乱させるために、わざと反対の意味の言葉を使ったという解釈である。が、これは、「当事者語源」と呼ばれるもので、言語学的な裏づけはない。確かに、戦国期以来の用法ではあるのだが、当時の語形は、「~うず」。この「う」が落ちた形で、今日も使われているというわけである。
おもしろいことに、山梨でも「~ず」を使っており、こちらでも、「武田の逆さ言葉」と称して、東信と同じ説明をつけている。すなわち、味方のみに通じるように、わざと反対の意味の言葉を使ったというのである。
一方、貴重な記録となってしまった例もある。
「なな呼んでくれと」……呼ばないでくれ(47頁)
が、その例で、長野市内でも昭和三十年台までは、採録できたようであるが、今日では当地と同じく死語となってしまった。
「なな~と」は、万葉集の時代から連綿と続いた禁止表現で、まさに「古語は方言に残る」の典型例と言える例であった。
民俗学の対象は、幅広いものだが、筆者の研究領域である方言の見地からも、本書は、貴重な用例の宝庫と言えるものである