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真田邸、真田公園と歴史の道を歩き、文武学校を過ぎた広小路の右手、腰板張、白壁の塀が続く松代藩重鎮の家。江戸期を通じ、殿町の萱葺の家に住んでいたが、江戸時代末期に藩主の館・花の丸御殿の一部を現在地に移築し居住したと云う。主屋は木造平屋建(一部中二階)、桟瓦葺の建物。薬医門の先、右手北東隅に江戸時代後期の鎮守社がある。切妻、桟瓦、平入で、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は海鼠壁。覆屋棟に六連銭の真田家表紋と雁金、洲浜の同裏紋の瓦を載せる(国登録有形文化財)。なお、真田勘解由家は、二代藩主真田信政の長男・勘解由信就を始祖とする真田家の分家。信就は、母親が側室(二代目小野お通)であった事などから、藩主の跡継ぎとならず、分家して勘解由家を起した。真田家の家督は末弟幸道が継ぐが、幸道が死去した際、跡継ぎの男子がなく、勘解由家七男信弘が四代藩主となっている。その後、信安(五代)、幸弘(六代)と勘解由家の家系からの藩主が続いた。