洛中洛外図(らくちゅうらくがいず) [目録を見る] [ 宝物解説へ ]
桃山から江戸初期頃の京都の様子を描いた洛中洛外図は、100点近く確認されている。この勝興寺本は、左隻に慶長8年(1603)4月に修築の終わった二条城、右隻に方広寺の大仏殿を描く洛中洛外図屏風の中でも、一双揃って現存する最も古い作品とされている。
本資料は、置上げ技法によって盛り上げられた粒状の文様で装飾された金雲と、緑青や群青で彩色された美しい屏風である。
右隻には、画面上方からやや右下がりに鴨川が横切って流れている。川の上方の東山を背にして右から豊国神社、方広寺大仏殿、三十三間堂、清水寺、建仁寺、八坂神社、知恩院、南禅寺など洛外の社寺が建ち並ぶ。御所は第五と第六扇をまたいで大きく描かれ、四条通、寺町通には山鉾巡行が描かれている。
左隻においては、右京の景観として嵐山から鞍馬にいたる西山から北山を背景としている。第三、第四、第五扇にわたって二条城が大きく描かれ、その左に西本願寺と東寺、右に京都所司代の屋敷や北野天満宮などが配されている。二条城の東大手門では、人々が堀川通を進む神輿渡御を見物しているが、これは慶長20年(1615)にのみ通ったルートである。また、右隻の右端には寛永元年(1624)10月までに破却される伏見城が描かれている。以上のことから、この勝興寺本はおおよそ慶長末から元和年間頃の京都の様子を描いたものとされている。
勝興寺の寺伝によれば、この屏風は鷹司関白准后(鷹司政煕(まさひろ)/1761~1840)の娘が勝興寺第20代住職・本成に嫁ぐ際、輿入れ道具として持参したものとされる。
一方、西本願寺が極めて大きく描かれていることから関心の強さがうかがえ、御影堂の室内には細かく水墨画が描かれるなど、非常に手の込んだ描写となっている。このことから、勝興寺第13代住職・准教のもとに嫁いだ本願寺第12世・准如の娘の輿入れの際に持参したものであるという見解もある。
作者は、狩野永徳の次の世代の絵師である孝信門下の手によるものと考えられている。
(高田克宏)
【参考文献】特別展『京都-洛中洛外図と障壁画の美』東京国立博物館,平成25年(2013)