刑和璞百鶴百猿図

百猿図刑和璞百鶴図


刑和璞百鶴百猿図(けいかはくひゃつかくひゃくえず)     [目録を見る]   [ 宝物解説へ ]
 本図の画題は、中国の道士・邢和璞(けいかはく)である。唐の玄宗の時代に長安に現われ、その能力が道術を好む者たちに高く評価されたという。江戸時代、邢和璞は非常に好まれた画題で、正月には福禄寿や寿老人に次いで書き初めの画題に選ばれている。脇幅の猿は、「猴」(猿の意)が「侯」と同音である上に、樹上にいることを高い身分であるとみて出世を意味する。
 作者の晴川院養信(せいせんいんおさのぶ)は、狩野尚信を初祖とする木挽町狩野家第9代である。11代将軍家斉、12代将軍家慶、右大将家祥(後の13代将軍家定)に仕えた。文政2年(1819)法眼の位につき、天保5年(1834)法印となる。文政11年(1828)頃から会心斎とも名乗る。本図の落款は「晴川院法印養信筆」「中務卿印」の白文方印を捺し、天保5年以降の作とわかる。本図と落款印章とも一致する作品としては、徳島市立徳島城博物館蔵「西王母・瀧図」三幅対があげられる。天保9・10年(1838・39)の江戸城西の丸御殿再建、および天保15年~弘化2年(1844~45)本丸御殿再建の障壁画(現焼失)などの精力的な制作を行なった。粉本主義に陥り評価の低い江戸時代の狩野派の中にあっては例外的な名手として知られる。養信の子・勝川院雅信(しょうせんいんただのぶ)の弟子には狩野芳崖、橋本雅邦、木村立嶽などが出た。

(高田克宏)


【参考文献】『浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ-守り伝える美とおしえ-』龍谷大学 龍谷ミュージアム,平成29年(2017)