歌絵

歌絵左幅歌絵中幅歌絵右幅


歌絵(うたえ)     [目録を見る]   [ 宝物解説へ ]
 中幅 「大そらにむれたる田づのさしなからおもふ心のありげなるかな」(伊勢)
 左幅 「五月山この下やみにともす火は鹿のたちどのしるべなりけり」(紀貫之)
 右幅 「時雨ゆへかつくたもとをよそ人は紅葉をはらふ袖とかやみむ」(平兼盛)
 和歌はすべて、寛弘3年(1006)頃に成立した勅撰集の『拾遺和歌集』から採られている。
 「大空に」は伊勢、「五月山」は紀貫之、「時雨ゆへ」は平兼盛作である。左幅の「五月山」のみは、左行から始まり右行で終わるように書かれている。絵はそれぞれの歌に詠み込まれた空や鶴、鹿や火、紅葉に袂などのモチーフを色鮮やかに描いたものである。
 和歌の筆者は、有栖川幟仁(たかひと)親王(1812~86)、二条斉敬(なりゆき)権大納言(1816~78)、近衛忠房権大納言(1838~73)である。絵の作者である藤原哲長(あきなが)(1827~69)は、嘉永6年(1853)3月に従四位上となる堤哲長で、岸派風の絵をよくするという。嘉永6年以降であれば、画中の和歌の筆者の官位については、すべて合致する。
 幕末、鷹司政煕(まさひろ)(1761~1840)息女で、勝興寺第20代住職・本成の室となった広悟(?~1867)のような公家出身の住職夫人がもたらしたものであろうか。

(高田克宏)


【参考文献】特別展『とやまの寺宝-花鳥山水 お寺に秘された絵画たち-』富山市佐藤記念美術館,平成26年(2014)


 [和歌筆者略歴]  『系図纂要』による
  ・有栖川幟仁親王
     文化9年(1812) 正月5日生まれ。幼名・八穂宮。
     文政6年(1823) 9月23日 親王宣下。
     弘化4年(1847) 8月4日 二品中務卿賜随身兵杖。
     明治19年(1886)没す。
  ・二条齊敬
     文化13年(1816)生まれ。
     文政11年(1828)2月3日 権中納言。
     天保2年(1831) 6月23日 権大納言。
  ・近衛忠房
     天保9年(1838)生まれ。
     嘉永元年 権中納言。
     嘉永4年(1851)権大納言。