親鸞聖人伝絵(しんらんしょうにんでんえ) [目録を見る] [ 宝物解説へ ]
親鸞聖人伝絵は鎌倉時代後期、覚如上人によって初めて絵巻として制作された。この初稿本は戦乱のうちに失われたが、康永2年(1343)、再び覚如によって制作された巻子装の伝絵が今日も東本願寺に伝えられている。本願寺中興の祖・蓮如(1415~99)以降、全国に広がる門徒の組織化が進められるとともに、大勢への布教に一層効果的な掛幅装の伝絵を本願寺が下付する動きが本格化したという。そのほとんどが康永本に基づく図様を示し、勝興寺に伝わる伝絵もその一例といえる。
勝興寺本はその裏書から、永正16年(1519)に本願寺第9世・実如(蓮如五男。1458~1525)より勝興寺第8代住職・実玄(1486~1545)へ与えられたものであることが知られており、富山県内に残る伝絵の中では最も古いものの一つとされる。当時の寺は安養寺村末友(現・小矢部市)に寺基を移したばかりであり、裏書にはその所在が示されているほか、永正14年(1517)に佐渡・殊勝誓願興行寺の継承を認められ、「勝興寺」という寺号を称するようになったことを示す史料としても重要である。
4幅の掛幅装の本作では、すやり霞で区切られた物語が下方から上方へと展開していく。第一幅には、9歳の親鸞が慈円のもとで剃髪し仏門に入る場面から、弟子・蓮位の夢に聖徳太子が現われて親鸞が阿弥陀仏の化身であると告げる「蓮位夢想段」までを描く。第二幅には親鸞が師・法然の教えを継ぐものとして表わされている。第三幅では旧仏教側からの圧力により佐渡へ流され、放免後も地方に留まりながら教化を進めていく姿、第四幅では入滅葬送後に大谷廟堂に安置された影像を描き、親鸞の教えがますます広がることを予感させて終わる。
(高田克宏)
【参考文献】『高岡の名宝展』高岡市美術館,平成21年(2009)