蓮如上人真像(開基)

蓮如上人真像(開基)


蓮如上人真像(開基)(れんにょしょうにんしんぞう)     [目録を見る]   [ 宝物解説へ ]
[裏書]
    大谷本願寺釋實如(花押)
  大永二年壬午 十二月三日書之
加州石河剱村之内
 蓮如上人眞影
清澤願得寺常住物也
        願主釋實悟

 本願寺第8世・蓮如(1415~99)の肖像である。画中に、「本願寺前住釈蓮如」の識語と、『教行信証』総序より4行「弘誓強縁多生/叵値真實浄信/億劫叵獲偶獲/行信遠喜宿縁」が書かれている。僧剛襟付きの黒衣に白い袈裟を着け、高麗縁の上畳に左を向いて座す。右手は檜扇、左手に念珠を持つ。画面の擦過・剥落が進んで像容が見えづらいが、面猊には比較的顔料がよく残り、蓮如の気骨溢れる人柄を偲ばせるような、生彩に富んだ表情が見て取れる。
 裏書にある願主の実悟(1492~1583)は、蓮如の第23子(第十男)。永正10年(1513)石川郡剱村清沢坊(願得寺)に入るが、翌年、実賢宗主擁立事件に連座し、本願寺内での立場が悪化した。享禄4年(1531)大小一揆(享禄の錯乱)により、寺基を焼失。本願寺第10世・証如(1516~54)の勘気を蒙り、諸国を流浪。天文19年(1550)許され、永禄年間(1558~69)に、石川郡剱村清沢の旧号を移して、河内(現・大阪府門真市御堂町)に光明山願得寺(現・大谷派別格寺院 古橋御堂)を創建した。
 本画像の裏書の紙や筆致は、大永2年(1522)のものとは思えないごく新しいものである。しかし、画像の様式そのものは、やや形式化しているものの、室町時代末期のものとみて差し支えないように思われる。
 なお、本画像の裏書に合致する内容の文書が、「下間頼秀奉書」(『雲龍山勝興寺古文書集』6)として勝興寺に蔵されている。内容は、年次不明2月朔日付、願得寺蔵蓮如御影の安置を認めるものである。ただし、『勝興寺古文書集』においても、『富山県史』通史編Ⅱ822頁においても、官途名・花押からして、偽文書と考えられると指摘されている。
 本画像の現・裏書は、この偽文書とともに偽作されたものと考えられる。典拠となった旧・裏書が存在し、加州石川郡時代の願得寺の常住物が、勝興寺に伝来し、その裏書をもとに偽文書が作られた可能性もあるが、現時点では不明と言わざるを得ない。

(高田克宏)


【参考文献】『浄土真宗と本願寺の名宝Ⅰ-受け継がれる美とこころ-』龍谷大学 龍谷ミュージアム,平成28年(2016)