顕幸真影(十代)(けんこうしんえい) [目録を見る] [ 宝物解説へ ]
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勝興寺第10代住職・顕幸(1555~1604)の肖像画である。檜扇と念珠を持って高麗縁の上畳に斜め右向きに座し、僧綱襟を立てた鈍色の法衣に、白地の袈裟を着けている。
『富山県史』通史編Ⅱ886頁所載「本願寺勝興寺系図」によれば、三条公頼(1495~1551)の娘(六角定頼猶子)と細川晴元(1514~63)との間に生まれた娘の一人が勝興寺第9代住職・顕栄(1509~84)と結婚し、その間に生まれたのが顕幸であるとされている。さらに、細川晴元の娘の一人が朝倉義景(1533~73)と結婚し、その間に生まれた娘(すなわち顕幸の従姉妹)が、顕幸の室となる法妙(?~1603)である。
「安政三年勝興寺殿御由諸抜書」(高岡市教育委員会編『勝興寺伽藍』所収)によれば、顕幸は「顕榮殿御嫡男、母者管領細川右京大夫晴元殿御養女実者西三条殿息女 信楽院様御簾中様之御妹」となっている。信楽院は、本願寺第11世・顕如(1543~92)で、三条公頼の娘を室としている。
父が貝塚で頓死した天正12年(1584)に、勝興寺住職を継職。石山合戦後の豊臣政権下で勝興寺と本願寺の運営に尽力した。没後まもなく制作された本図の裏書は本願寺第12世・准如が認めており、勝興寺第11代住職・顕称(1578~1638)に下付された。
(高田克宏)
【参考文献】『釈尊と親鸞 親鸞編 第6期出品 解説』龍谷大学 龍谷ミュージアム,平成24年(2012)