古銅鑼(こどら) [目録を見る] [ 宝物解説へ ]
現在この銅鑼が収められる木箱の蓋裏に書付があり、元の共箱は明治42年(1909)に破損のため新調したといい、そこに豊臣秀吉の所持品が寺に下賜されたものであるという由来が記されていたようである。
秀吉は、羽柴姓を名乗っていた天正13年(1585)8月に越中へ入り、旧織田方のうち自らへの臣従を拒んでいた富山城主・佐々成政(1539~88)を攻める。これに先立つ7月、秀吉は「古国府寺内」への諸軍勢乱入を禁じる文書を出しており、この禁制は現在も寺に伝えられている。前年まで佐々方に取り込まれていた勝興寺はこれ以降、秀吉・前田方に与すこととなった。この銅鑼や烏帽子形南蕃水指、八弧釜「梔子摘八稜山水図釜」などは、そうした歴史をふまえ、秀吉との結びつきを示そうとするものかもしれない。
(高田克宏)
【参考文献】『高岡の名宝展』高岡市美術館,平成21年(2009)