八弧釜「梔子摘八稜山水図釜」(はちこかま「くちなしつまみはちりょうさんすいずかま」)
[目録を見る] [ 宝物解説へ ] 本資料には、「烏帽子形南蕃水指」と共に、天正13年(1585)8月、佐々成政(1539~88)と戦うため越中へ下向した際に勝興寺が協力したことへの謝礼として、羽柴秀吉より与えられたという伝承がある。
また、勝興寺の書付に、この釜は「八稜山水図釜落口、桔梗で、天和三年に没した京都住大西某の作」と記されていたという。書付の記事に該当する釜師に、没年は一年違うが京釜師の名門、大西家の第2代・大西浄清(じょうせい)がいる。浄清は京都三条釜座の住人で、文禄3年(1594)に生まれ天和2年(1682)に没した。初代・大西浄林の作風を継ぎながら新風を吹き込んだ名釜師として知られている。
本資料は、八稜の弧面を凹面に構成した独特の形で、梔子をかたどった摘(つま)みの胴蓋も品が良く、釜体が薄造りで格調が高い。作風からみて浄清の作に違いないと思われるが、文禄3年生まれの浄清の作品を天正13年に秀吉から拝領することはあり得ない。