顕如書状

顕如書状


顕如書状(けんにょしょじょう)     [目録を見る]   [ 宝物解説へ ]
 本願寺十一世顕如(一五四三)の塩曳五尺贈答に対する礼状である。顕如が宗主であった時期の閏正月は元亀三年(一五七二)および天正十一年(一五八三)の二度ある。天正十一年のその時期には顕如は鷺森を離れて畿内各地を歴遊中であったから、おそらく元亀三年であろう。同年夏には勝興寺らの率いる北陸一向一揆は、富山城などにおいて、越後より出陣してくる上杉謙信勢と決戦に及ぶ。贈答一つにも歴史の重みがうかがえそうである。顕如は答礼として銭百疋(一貫文)を勝興寺に贈っている。

(久保尚文)


     「勝興寺殿 顯如」
 如嘉章改春之かしょうのごとく かいしゅんの
 祝詞萬幸/\、殊しゅくしばんこうばんこうことに
 壹結塩曳五尺送ひとゆいしおびきごせきおくり
 賜候、尤彰悦之至候、たまわり候 もっともしようえつのいたりに候
 隨而百疋進之候、誠したがってひゃっぴきしんじ候 まことに
 述吉慶計候、弥きちけいのぶるばかりに候 いよいよ
 無由断、法義可被相ゆだんなく ほうぎあいたしなまる
 嗜事、自何以肝べきこと なによりもってかん
 要候、取乱之条、令ように候 とりみだしのじょう
 省略候也、穴賢々 々、しょうりゃくせしめ候なり あなかしこ あなかしこ
  閏正月十八日 顯如  花押
    勝興寺殿

(佐伯安一)