勝興寺勧進に付本願寺良如消息(しょうこうじかんじんにつきほんがんじりょうにょしょうそく)
[目録を見る] [ 宝物解説へ ]
良如(1612~62)は、本願寺の第13世。父・准如時代の元和3年(1617)12月20日の出火によって西本願寺諸堂は焼亡した。再建事業は准如の代より始められ、阿弥陀堂は完成したが、御影堂再建は成らなかった。良如は寛永10年(1633)よりそれに取り組み、同13年(1636)に上棟、正保2年(1645)に外陣までを完成させた。
一方勝興寺は、寛永19年(1642)に本堂が大破したため、加賀藩前藩主・前田利常(1593~1658)からの寄進を得て再建に着手し、加越能三州での勧進許可をうけて作事を進めた。こうした経過からみて、勝興寺の再建事業は本願寺御影堂再建と並行して行われたために、門徒らに大きな負担をかけることとなった。越中一国門徒への勧進御免の本史料はそうした状況を踏まえて書かれている。正保4年(1647)には高岡町奉行・伊藤内膳が領内諸宗檀越による助成を指示しているが、良如の勧進許可はむしろそれに先立つ正保初年の、本願寺方による勝興寺再建についての取り組みを示していると思われる。
(久保尚文)
(佐伯安一) |