伝説のおぼうさん

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峨山がさんさまというおぼうさんは毎朝50km走ったんだって

峨山がさんさまは、毎朝、永光寺ようこうじでおきょうをおとなえした後、50km以上いじょう横浜よこはま小田原おだわらくらい)はなれた總持寺そうじじへ走って行ったんだ。總持寺そうじじでは、峨山がさんさまを待つ間は「大悲心陀羅尼だいひしんだらに」というおきょうをわざとゆっくりおとなえし、到着後とうちゃくごは、ふつうの速さにもどしたんだよ。今でも總持寺そうじじでは、毎朝このやり方でおきょうをおとなえしているよ。

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釈迦しゃかさまの弟子でし尊者そんじゃ

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釈迦しゃかさまの弟子でしには得意技とくいわざがあるよ

まん中にいるのはお釈迦しゃかさまで、その両どなりにいるのは、お釈迦しゃかさまの弟子でしたちだよ。向かって右が、いろいろなモノへのこだわりをすてられるマカカショウ尊者そんじゃ、左が、話を聞くことやおぼえることが上手なアナンダ尊者そんじゃなんだ。この2人以外いがいにも、教えをいち早く理解りかいできるシャリ尊者そんじゃやシュホダイ尊者そんじゃ不思議ふしぎな力を使えるモクレン尊者そんじゃやシュボダイ尊者そんじゃ、多くの人に教えを広めるフルナ尊者そんじゃやカセンネン尊者そんじゃ、正しく物事を見ることができるアナリツ尊者そんじゃがいたよ。かれらは弟子でしの中でも、もっともすぐれていた10人だから十大弟子じゅうだいでしとよばれたんだ。十大弟子じゅうだいでしは、それぞれの得意技とくいわざを使ってお釈迦しゃかさまをささえたんだよ。

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伝光録でんこうろく

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ひかりとはお釈迦しゃかさまの教えのことだよ

釈迦しゃかさまからはじまった仏教ぶっきょうを、インド・中国ちゅうごく・日本で受けつぎ、つたえ広めた53人のおぼうさんのエピソードや言葉が書かれた伝記でんきなんだよ。總持寺そうじじを開いた瑩山けいざんさまと弟子でしがまとめたものなんだ。「伝光録でんこうろく」という題名は、お釈迦しゃかさまの教えを「ひかり」にたとえて、それを「つたえる」「ろく」という意味なんだ。瑩山けいざんさまは、お釈迦しゃかさまの教えをつたえていくことを大切に思っていることが分かるよね。だからこの本には、お釈迦しゃかさまの教えは、ごはんやお茶と同じように、日常にちじょうの中に当たり前にあるものなんだと書かれているよ。

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禅宗ぜんしゅう武士ぶし

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鎌倉かまくら時代、禅宗ぜんしゅう武士ぶしの間で大ブームとなったんだ

禅宗ぜんしゅうはきびしい修行しゅぎょうを通じて自分自身と向き合うんだ。それが、自分で自分をきびしくきたえる武士ぶしのキャラクターと合っていたんだね。だから、鎌倉かまくら時代に力をつけてきた武士ぶしは、すすんで禅宗ぜんしゅうを取り入れたんだ。また、禅宗ぜんしゅうのお寺と武士ぶしとが、なかよくなることもあったよ。石川いしかわ県の總持寺そうじじは写真の前田氏まえだしと、鎌倉かまくらにある建長寺けんちょうじ北条氏ほうじょうしと深いむすびつきがあったんだ。

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仏教ぶっきょう鎌倉彫かまくらぼり

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鎌倉彫かまくらぼり仏教ぶっきょうからはじまったよ

神奈川かながわ県の伝統工芸でんとうこうげい鎌倉彫かまくらぼりは木に彫刻ちょうこくをしてうるしをぬったうつわや家具だよ。鎌倉彫かまくらぼりのはじまりは、お寺の仏像ぶつぞう彫刻ちょうこくをつくるために鎌倉かまくらに集まった人たちが考えだしたと言われているよ。鎌倉彫かまくらぼりは、仏教ぶっきょう関係かんけいが深いことがわかってくれたかな。左の写真は總持寺そうじじで使われていた鎌倉彫かまくらぼりのつくえだよ。

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仏教界ぶっきょうかいのボディーガード

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仏教ぶっきょうを守る神さまがいるよ

いかにも強そうに見える金剛力士こんごうりきし仁王におう二王におう)は仏教ぶっきょう界のボディーガード(守護神しゅごしん)だよ。手に持っているのは金剛杵こんごうしょという武器ぶきで、かみなりをあやつることができると言われているよ。この武器ぶきてきをやっつけるんだ。しまにいる弁財天べんざいてん金剛力士こんごうりきし仲間なかまで、もともとはいくさの神さまなんだよ。

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總持寺そうじじのそうじ

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廊下ろうかをみがくとき、心もみがいているよ。

ぼうさんの修行しゅぎょうは、おきょうをおとなえしたり坐禅ざぜんをしたりすることだけではないんだよ。日々の生活のすべてが修行しゅぎょうなんだ。中でもそうじをすることが大切とされているよ。廊下ろうかをみがくことは、自分の心をみがくことになるからなんだ。總持寺そうじじでは、とくによごれていなくても朝と昼の2回、廊下ろうかをそうじするよ。自分の心のそうじをしているからなんだ。毎日どんな修行しゅぎょうをするのか、瑩山禅師けいざんぜんじは「清規しんぎ」という書物しょもつこまかく書かれたんだよ。

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お寺にははすのデザインの物が多い

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はす仏教ぶっきょうの教えはにています

はすの花は見る者をうっとりさせるほど見事にさくんだけど、どろの中で育つんだ。でも、どろは、きたないからここでは育ちたくない!とワガママを言わないんだよ。どろの中であっても、しっかりと根をはり成長せいちょうしてきれいな花をさかせるんだ。このはすの一生が、仏教ぶっきょうの教えとにているので、はすは、お寺で使う道具によく使われるんだね。みんなの家にお仏壇ぶつだんがあれば、はすの花がどこかにあるかもしれないよ。見つけられるかな?

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七変化しちへんげ観音かんのんさま

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すべてが見え、すべてが聞こえ、すがたをえるんだ

観音かんのんさまは世の中のありとあらゆるモノがえて、ありとあらゆる声を聞くことができるよ。あるときはほとけさま、あるときは男の子や女の子、またあるときはりゅうにすがたをえて、多くの人々を苦しみからすくってくれるよ。すくいたい気持ちが前に出すぎて、前のめりになっている観音かんのんさまもいるよ。瑩山禅師けいざんぜんじ観音様かんのんさまを大切にしていたことから總持寺そうじじにはいろいろな姿すがた観音様かんのんさまがおまつりされているよ。

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実はやさしい三宝荒神さんぼうこうじん

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おこっているように見えるけど…

三宝荒神さんぼうこうじん總持寺そうじじの守り神なんだ。顔が3つに手は6本、おこった顔をしているうえに手には武器ぶきを持っているのが分かるかな?三宝荒神さんぼうこうじんおこっているのは、わたしたちの「わがままな心」がゆるせないからなんだよ。だから、手に持った武器ぶきで「わがままな心」をやっつけてくれるんだ。いつもおこった顔をしているので、こわいイメージを持つかもしれないけれど、本当はわたしたちを「わがまま」からすくってくれたり守ってくれたりする、やさしさにあふれた神さまなんだね。

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身近な禅語ぜんご:真面目

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真面目には2つの読み方があるよ

「まじめ」な人とはうそやいいかげんなことをせずに本気で取り組む人のことだよね。ぜんの言葉では「しんめんもく」とも読むんだ。まわりの風景ふうけいに目を向けると、いつも通りのふつうの風景ふうけいが見えるよね。でもいつも通りの風景ふうけいを見られることが本当はありがたいことなんだよ。そのありのままの風景ふうけいの美しさを「しんめんもく」というんだ。じくの右から三行目に「真面目まじめ」の文字が見られるよ。見つかったかな?

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身近な禅語ぜんご主人公しゅじんこう

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主人公しゅじんこうってだれのこと?

物語の主役を主人公しゅじんこうというよ。人生の主人公しゅじんこうは自分自身だよね。でも、わたしは一人で生きているわけではなく、みんなと一緒いっしょにささえ合って生きているんだ。だから大切なのは、自分のことだけを考えるのではなく、相手のことを思いやる心だよ。ぜんの教えでは、相手とのつながりを大切にして、思いやりのある行動ができる自分を、本当の主人公しゅじんこうというんだ。じくに「主人公しゅじんこう」の文字があるね。わかるかな?

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身近な禅語ぜんご自画自賛じがじさん

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自分の絵を自分でほめる?

写真のなかった時代は、自分のすがたを絵にかいてもらったんだ。その絵を自画じがというよ。そして、他の人が、その絵にその人のすばらしさをほめる言葉を書いていたんだ。その言葉をさんというよ。そのさんを他の人ではなく、自分で書くことを自賛じさんというよ。だから、自画自賛じがじさんは、自分で自分をほめることを意味するようになったんだ。天祐道海禅師てんゆうどうかいぜんじが、自分の頂相ちんぞうに自分でさんをつけているね。「自賛じさん」の文字は見つかったかな?

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總持寺そうじじを開いた人はだれ?

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瑩山けいざんさまだよ

瑩山けいざんさまは、正式には太祖佛慈禅師たいそぶつじぜんじ弘徳円明国師こうとくえんみょうこくし常済大師じょうさいだいし開祖瑩山紹瑾大和尚かいそけいざんじょうきんだいおしょうという名前なんだ!!越前えちぜん(今の福井ふくい県)に生まれた瑩山けいざんさまは、8才のときに永平寺えいへいじ修行しゅぎょうをはじめたよ。19才のときに仏教ぶっきょうの教えをさらに深く学ぶために全国をめぐりはじめたんだ。その後、能登のと(今の石川いしかわ県)に總持寺そうじじを開いたんだよ。瑩山けいざんさまのはたらきにより、多くの苦しんでいる人々をすくうための正しい教えが全国に広まったんだ。

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これは何の動物?

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獅子ししだよ

獅子ししはライオンのことだよ。だけど、悪魔あくまを追いはらう空想上の動物として日本につたわったんだ。ちなみに写真にある「獅子吼ししく」は獅子ししがほえるという意味で、「お釈迦しゃかさまの説法せっぽう」を表してるよ。ライオンがジャングルでおたけびをあげると、動物たちがおそれしたがうように、お釈迦しゃかさまの説法せっぽうには、わたしたちの中にある悪魔あくま(わがままな気持ち)を追いはらい、正しい道にみちびいてくれる力があるんだね。

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地蔵じぞうさんってどんなほとけさま?

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みんなを見守ってくれるほとけさまだよ

地蔵じぞうさんは、人々を苦しみからすくってくれるよ。その中でも特に子どもを守ってくれると言われているんだ。お地蔵じぞうさんは、たくさんいる神さまほとけさまの中でも、いちばんの子どもの味方みかたなんだよ。ところで、お地蔵じぞうさんが地獄じごくに行ったら閻魔大王えんまだいおう姿すがたえると言われているよ。やさしいお地蔵じぞうさんとこわ閻魔大王えんまだいおうが、本当は同じほとけさまとは、不思議ふしぎな気がするよね。

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大黒だいこくさんってどんな人?

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食べ物や幸せの神さまだよ

大黒だいこくさんは、もともとインドの神さまだったけど、日本の神さまとまじり合い、今の七福神しちふくじんの1人である大黒だいこくさんになったよ。總持寺そうじじでは大黒だいこくさんは台所の神さまとしてまつられているよ。また、大黒だいこくさんは、ねがいごとをかなえる小槌こづちと幸せをもたらす宝物たからものが入っているふくろを持っているよ。

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釈迦しゃかさまってどんな人?

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仏教ぶっきょうを開いた人だよ

釈迦しゃかさまは、もともとは王子さまだったんだよ。でも、あるとき、人間は年を取ったり、病気になったり、死んだりすることを知り、なやみ苦しんだんだって。そんなときに、苦しみの中、安心して生きられる道を進んでいるおぼうさんに出会って自分の苦しみに打ち勝つことを決めたんだ。王子さまの身分をすて、お釈迦しゃかさまは、ただすわって(坐禅ざぜんをして)自分の心の中と向き合ったんだ。そうして、ある日の夜明け前、すべてをさとりブッダ(目覚めざめた人)となったんだよ。そして、自分のように苦しんでいる人々をすくったんだ。今や、お釈迦しゃかさまの教えが仏教ぶっきょうとして世界中に広まっているんだよ。

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だるまさんってどんな人?

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坐禅ざぜんをして仏教ぶっきょうのすばらしさを伝えた人だよ

名前は菩提達磨ぼだいだるま。インドのおぼうさんで、まよえる人々をすくうために中国ちゅうごくにわたって仏教ぶっきょうのすばらしさをつたえた人だよ。言葉にたよらず、坐禅ざぜんをしているすがたでつたえたのが特ちょうなんだ。お弟子でしさんができるまで9年間も坐禅ざぜんをしつづけたんだって。その努力どりょくのおかげで弟子でしから弟子でしへと受けつがれ、今や達磨だるまさんのつたえたぜんの心は世界中に広がって人々をすくっているんだよ。

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ボサツって何?

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みんなをすくうために修行しゅぎょうしている人だよ

菩薩ぼさつ菩提薩埵ぼだいさったりゃくで、ありとあらゆるモノをすくうためにほとけになろうと修行しゅぎょうする者のことをいうよ。だからみんなもほとけになろうと目指せば、広い意味で今日から菩薩ぼさつなんだ。有名な菩薩ぼさつに、人々をすくおうといういつくしみの心を持つ普賢菩薩ふげんぼさつや、この世界をありのままに見る力を持つ文殊菩薩もんじゅぼさつがいるよ。ちなみにこの絵の菩薩ぼさつさまは「三人れば文殊もんじゅ智恵ちえ」で有名な文殊菩薩もんじゅぼさつさまだよ。

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神さまとほとけさまは一緒ですか?

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神さまとほとけさまはちがうよ!でも、なかよしなんだ

日本の神様は八百万やおよろずの神といって、山や川など大自然や刀やかがみ、かさなどのモノにも宿やどっているというんだ。神さまは神社におまつりされているよ。いっぽう、ほとけさまは「目覚めざめた人」という意味で、この世界をありのままに見る力に目覚めざめ、ありとあらゆる人をすくおうと教えをいた人だよ。日本ではほとけさまにすくわれた神さまや、ほとけさまを守っている神様もいるんだ。總持寺そうじじには三宝荒神さんぼうこうじんさまなどの神さまがおまつりされているよ。

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悪い人でもほとけさまになれますか?

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ほとけさまを目指せばいつかなれるよ

釈迦しゃかさまの弟子でしに、とても才能さいのうがある提婆達多だいばだったというおぼうさんがいたんだ。提婆達多だいばだったは、だんだんお釈迦しゃかさまのことをよく思わなくなって、ついにはころそうとしてしまい、地獄じごくへ落ちてしまうんだ。だけど、お釈迦しゃかさまは「彼は遠い昔、私をほとけにみちびいてくれた人だから、たくさんの時間はかかるが、いつかかならずほとけになることができるよ。みんなは、悪いことをして地獄じごくに落ちずにさとりを開いてね」と話したんだ。悪いことをすればほとけさまから遠ざかり、よいことをすれば近づくんだね。

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ぼうさんってどんなごはんを食べているの?

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精進料理しょうじんりょうりだよ

曹洞宗そうとうしゅうでは、どのようないのち平等びょうどうであるとかんがえているよ。だからべてよいいのちひとつもないんだ。でもべないときられないわたしたちは、ほとけさまのように心穏こころおだやかにみな仲良なかよきるためいただくんだ。べるときにも生命に感謝かんしゃしてていねいにいただくこと。また、食べ物をそまつにしないこと。このようにごはんと向きあうことも大切な修行しゅぎょうなんだ。食事しょくじ修行しゅぎょうだから「精進料理しょうじんりょうり」なんだ。

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苦しみってどこから来るの?

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自分自身が生みだしているんだ

仏教ぶっきょうでは「」はただくるしいということでなく、「思い通りにならない」という意味なんだ。じゃあ、その「」はどこから来てるのかというと?そう、自分自身が生みだしているんだね。お釈迦しゃかさまや「羅漢らかん」とよばれる方々は、みんな自分自身の「」と向き合い、その解決かいけつ方法をつたえてくれたんだ。それが、ほとけの教え = 仏教ぶっきょうなんだよ。

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總持寺そうじじでは修行しゅぎょうって何をするの?

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あたりまえのことを一つ一つ丁寧ていねいにおこなうよ

毎日の坐禅ざぜん修行しゅぎょうはもちろん、顔をあらうこと、ごはんを食べること、勉強をすること、眠ること、毎日あたりまえのことを一つ一つ大切に丁寧ていねいにすること。あれもこれも欲張よくばらずに一生懸命いっしょうけんめいってこと。それは坐禅ざぜんの心で毎日をすごすってこと。自分が自分であるってこと。自分ではないスーパーマンに変身へんしんするため修行しゅぎょうをしているのではないんだよ。

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どっちが新しい總持寺そうじじ

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①だよ

①が神奈川かながわ横浜よこはま鶴見つるみ總持寺そうじじ。②は現在げんざいの石川県輪島わじま市にあった昔の總持寺そうじじ絵図えずだよ。總持寺そうじじは700年の歴史れきしがあるんだけど、元々もともとあった能登のと總持寺そうじじ火災かさい原因げんいんで1911年(明治めいじ44年)に現在地げんざいちにうつされたんだ。横浜港よこはまこうや鉄道の駅が近くて交通のべんがよく、自然ゆたかな高台たかだいでかんきょうがよかったことが、鶴見るつみがえらばれた理由なんだよ。よくるとえき線路せんろえがかれているね。大駐車場だいちゅうしゃじょうがまだいけだった大正時代たいしょうじだい絵図えずなんだよ。

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これは何に使うの?

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こうをたく道具だよ

これは、おこうをたく道具なんだ。よいかおりで、体全身とその場をおきよめして、そしてかおりの高いおこうを「最高さいこうおくり物」として、ほとけさまやなくなった人へおそなえしているんだよ。

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