企業・労働・災害(明治21~)

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No 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 明治二一年.2.14 1888/2/14 松本潜出願の石炭坑(穂波郡潤野村ほか)に坑夫取締りのため巡査1人の配置許可される. 453
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2 明治二一年.4.11 1888/4/11 田川郡池尻村佐々木某・大久保某・岩川某が坑法違反のため煽石約4万斤を没収される. 453
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3 明治二一年.4.19 1888/4/19 芦屋・若松間の二子嶋湾口浚渫のため,坑業組合は川艜1艘につき2銭を徴収. 453
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4 明治二一年.4.- 1888/4 黒崎・若松間の洞海湾で強風時に川艜の転覆することあり,遠賀郡藤木村に波止を築造して避難港を計画,予算1000円. 453
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5 明治二一年.5.4 1888/5/4 筑前坑業会社,中尾伊作らにより設立,資本金20万円(1株100円の2000株中,1500株は発起株). 453
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6 明治二一年.6.20 1888/6/20 筑豊礦業会社,設立発起人会を小竹町で開催.出席者6郡より44人. 453
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7 明治二一年.7.- 1888/7 鞍手郡御徳村権現堂地区の炭層,'68年4月以来燃焼中,同村人民惣代ら県知事に対策を願出る. 453
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8 明治二一年.10.4 1888/10/4 田川石炭坑業会社,設立を出願.資本金30万円,発起人園田熊太郎・佐々木正懋・高瀬九三治・植田與六・早川龍蔵. 456
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9 明治二一年.10.15 1888/10/15 三光社(潤野炭坑),設立満1周年祝賀会を挙行,来賓に坑夫の非常警戒演習を披露. 453
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10 明治二一年.10.- 1888/10 鞍手郡勝野村塩頭溜池の貯水が減少.原因は炭坑の鉱害と推定. 453
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11 明治二一年.11.2 1888/11/2 斯波炭坑(鞍手郡直方切貫),鉱害による2ヵ年間の堤防修築工事は期限を過ぎるも施行が遅延.下境村外2ヵ村の惣代,小倉治安裁判所へ修理履行を訴訟. 453
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12 明治二一年.11.26 1888/11/26 貝島太助,鞍手郡上大隈村村民に石炭借区出願承認の報酬として金1600円を贈与.営業中は1カ年毎に100円ずつを'91年より8月を期限として贈与することを契約. 453/69
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13 明治二一年.11.26 1888/11/26 貝島太助,私財を投じ私立大之浦小学簡易科を設立,全国鉱業界教育施設の嚆矢.校舎は2間に5間の小屋,収容定員40人のところ本年は男10人,女5人,教員1人. 68/453
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14 明治二一年.12.上旬 1888/12 穂波郡相田炭坑,古洞より出水,死者4人. 453
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15 明治二一年.12.25 1888/12/25 粕屋採礦会社,同郡内の予備炭田試掘を海軍省より許可される.この日関係町村の戸長を招き祝賀会挙行. 453
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16 この年 1888 ▷頭領山本政右衛門,田川郡糸田村付近の中元寺川48間の河流変更を独力で施工. 342
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17 この年 1888 *福岡県下の石炭採掘高(三池を除く)10億8851万8794斤,筑豊5郡採掘高,遠賀郡1億6706万7772斤,鞍手郡4億0500万0000斤,嘉麻郡1億3370万6300斤,穂波郡1億4801万6051斤,田川郡1億6003万7261斤.遠賀・田川の増量著しい. 442
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18 この頃 1888 *石炭業と農業雇傭.遠賀郡-炭坑業・鉄道工事などのため農事雇傭が困難.鞍手郡-炭坑業の興隆で賃金が騰貴,広島県その他近郡より雇入れ.嘉麻郡-炭坑に他府県から出稼者が多く流入し賃金騰貴,農民もこれに走り日雇・年雇が欠乏.穂波郡-多数の坑夫採用のため,農家の雇入困難,賃金も高値.田川郡-農家の下男・下女は坑夫になり他郡村から雇入れても坑夫になり契約を不履行. 447
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19 明治二二年.1.4 1889/1/4 中原屋,原田五六(田川郡香春)より鞍手郡木月・中山・豊前の糒・宮床・大隈各炭坑の周旋願を受ける. 360
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20 明治二二年.1.4 1889/1/4 木月炭坑(鞍手郡),借区につき同村の一村民と,5000円の承諾金および出炭1万斤につき8銭を村方に支払うことを約定. 453
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21 明治二二年.1.9 1889/1/9 中原屋,金田村人民と石炭借区14万坪の約定,承諾金500円. 360
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22 明治二二年.1.上旬 1889/1 筑前坑業会社・田川坑業会社・六郡坑業会社,3社合併の談合成る. 453
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23 明治二二年.1.24 1889/1/24 貝島太助,穂波郡長尾村民と石炭坑区につき約定,塊炭に限り1万斤につき9銭を村の炭坑委員に支払う. 69
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24 明治二二年.1.下旬 1889/1 海軍予備炭田解放運動の件で,坑業組合石野総長上京,随行者久良知・安川・麻生・杉山・許斐・行実ら坑主総代と県知事も上京. 360
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25 明治二二年.1.- 1889/1 嘉麻郡山野村福光太三郎ほか3人,同郡上山田村地内における石炭採掘につき,同村人民惣代松岡健三郎ほか7人と定約書を締結.坑口器械場・新道路の田畑分は時価5割増,山林原野は反当り28円で売買し,廃業の節は旧地主に無代価譲渡,小屋敷地などは田畑共に附口米倍増,山林原野は反当り附口米4俵で借受け,採掘石炭は坑口において1万斤につき9銭宛地益金および村費補助を村方に納入することなどを約定. 487
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26 明治二二年.2.20 1889/2/20 筑豊5郡炭坑主,鞍手郡直方で集合.川艜運賃などにつき討議. 453
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27 明治二二年.3.10 1889/3/10 三菱,元海軍卿川村純義名義の中山・植木両炭坑坑区を譲受け,以後三菱の筑豊進出の端緒となる. 669
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28 明治二二年.3.11 1889/3/11 早川岩次郎,田川郡弁城村に開坑のため村方に50円,開坑の村方と地主に50円,以後毎年120円を報酬金として贈与することを村民と約定. 469
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29 明治二二年.3.中旬 1889/3 農商務大臣井上馨,宮崎県よりの帰途,筑豊の諸炭坑を巡視. 453
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30 明治二二年.5.27 1889/5/27 松大路信允・大藪好太郎(御笠郡太宰府村),田川郡糸田村鼠ケ池に開坑を計画,村民と約定成る('90.10.3三井物産への借区交換願を申出る). 293
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31 明治二二年.5.- 1889/5 渡辺壮兵衛(宮田村戸長),公職を辞し貝島の傘下に入り,金融・出納・販売の要務に就任. 68
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32 明治二二年.5.- 1889/5 田川郡の予備炭田解放と借区取得を目ざす各派,合同し田川採炭会社発起株主総会を東京で開催.資本金を65万円とする('90.3.3 100万円に増資).8.20~22さらに博多で総会開催し社長福島良助,委員兼支配人金子辰三郎,相談役渋沢栄一,種田誠一,委員兼会計検査中尾卯兵衛,委員兼相談役下沢善四郎,委員園田熊太郎の各役員を推薦. 728
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33 明治二二年.6.- 1889/6 福岡県令,第73号で採炭特別課税を廃止. 376
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34 明治二二年.7.5 1889/7/5 前田正名,農商務省より田川郡・鞍手郡石炭坑区審査処理委員を命ぜられる,11.20退任. 139
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35 明治二二年.7.18 1889/7/18 連日降雨,新手・猪田・本洞・古賀・山部・峰地の各炭坑が浸水. 360
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36 明治二二年.7.25 1889/7/25 中原屋,千田勇太郎と企救郡城野村に開坑のため,村へ200円を贈与し,出炭1万斤につき5銭を支払うことを契約. 360
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37 明治二二年.8.21 1889/8/21 中原屋,企救郡蜷田村に炭田試掘を計画,村方より水利不都合の苦情あり中止. 360
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38 明治二二年.8.下旬 1889/8 高須炭坑(遠賀郡),坑夫が賃銀要求して事務員と紛議,事務所に乱入し事務員負傷.採炭に支障あるため筑豊6郡坑夫取締所の斡旋で穂波地方より坑夫を雇入れ採炭. 394
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39 明治二二年.10.6 1889/10/6 貝島太助,鞍手郡大隈村村民と石炭借区出願承認の報酬として1600円,営業中は1ヵ年100円宛('91年8月まで)を贈与することを約定. 69
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40 明治二二年.10.24 1889/10/24 山部村民惣代飯野復兵衛ら,近藤廉平名の鞍手郡直方山部石炭借区出願書類に山部村民・地主惣代の名を乱用したとして郡長に無効を申請. 15
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41 明治二二年.10.29 1889/10/29 中原屋,高坊山炭坑(企救郡城野村)借区につき,前渡金50円,即金50円,開坑時65円,着炭時65円,1万斤採出毎に利益5銭の支払を村民と約定. 360
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42 明治二二年.11.18 1889/11/18 日本郵船下関支店支配人秋葉静,勝野石炭所々長に就任('91年5月退任). 767
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43 明治二二年.12.20 1889/12/20 田川採炭会社,本社を博多中間町から田川郡弓削田村大字奈良に移転. 728
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44 この年 1889 ▷田川郡金田坑区の出願競争で神田村村長島津治市は出願者の独断を責め2000円を拠金させ金田村の基本財産に繰入れる. 83
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45 この年 1889 ▷三菱社,新入・鯰田両炭坑及び芦屋・若松出張所の事務取扱規程を定める.各炭坑・出張所は独立機関として事務主任が一切を掌握. 510
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46 この年 1889 ▷貝島太助,直方多賀町に新居完成.三層楼の個人邸宅として九州にその比なしと評判. 68
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47 明治二三年.1.16 1890/1/16 三菱,鯰田炭坑傭員職工其の他の職制を制定. 510
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48 明治二三年.1.30 1890/1/30 福岡市古川嘉平,鞍手郡笠松村の官有地・民有地を借区し村民と定約.報酬金1750円,村益金1万斤につき10銭を川勘場台帳で計算,民有地借区の田畑益金は毎年2円. 465
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49 明治二三年.2.13 1890/2/13 田川郡白土・福田・添田・岩瀬・真木の村民21人が連署,借区設定につき坑業主・郡役所の不法を農商務大臣に提訴(却下). 45
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50 明治二三年.3.28~29 1890/3/28~
1890/3/29
筑豊6郡の大棟領,直方町で集会.警官立会のうえ坑夫取締の件を協議. 456
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