筑豊石炭礦業史年表

キーワード:中野徳次郎
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 安政四年 1857 〔12.-〕 中野徳次郎,穂波郡二瀬村にて出生. 87
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2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1871 ▷中野徳次郎,義父が経営する遠賀郡香月村城ノ前坑に入坑. 87
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3 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1873 ▷中野徳次郎,遠賀郡香月村名前坑を操業,若松相場1万斤1貫919文の高値つく.また伊岐須・勢田で骸炭製造に着手し造幣局(大阪)に納入を志すも失敗(中野談). 542
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4 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1873 ▷山本勝右衛門,穂波郡相田村天笠谷で底3尺を採掘するも破産し,中野徳次郎の斤先掘に従事(中野談). 542
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5 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1874 ▷中野徳次郎,博多より月2円の借料で車力を入手,石炭運搬に使用するも好結果を得ず(車力積載量は1000斤だが実際は800斤積). 542
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6 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1876 ▷中野徳次郎,田川郡赤池で広島人の示唆により一つ車(孤輪車)の運搬車を製作. 542
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7 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1876 ▷松本潜は穂波郡中村・幸袋村と同郡川津村・伊岐須村に至る地所鉱区72万0351坪の採掘権を得て,4月先づ二瀬村大字相田字梅の木谷に開坑し,中野徳次郎を坑主代理とする. 160
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8 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1879 ▷玄洋社箱田六助ら,庄司字観音谷で石炭採掘をはじめる.中野徳次郎,その運搬を請負う. 321
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9 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1883 ▷中野徳次郎,遠賀郡梅ノ木坑で,石炭捲き揚げに2人~3人で操作する足踏み機械を考案,また2120間の運炭道路に,偽似レールを敷設. 542/321
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10 企業・労働・災害(明治21~) この年 1890 ▷白土善太郎・中野徳次郎・山田文右衛門,明治第一坑の採炭請負となる,実費支払のため資金に難渋. 205/398
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11 生産・流通(明治21~) 明治二四年.4.- 1891/4 松本潜,高雄炭坑(穂波郡二瀬村)を開坑.支配人中野徳次郎・伊藤伝六('97年旧相田炭坑区を漸次増区し72万5000坪に拡張). 321
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12 生産・流通(明治21~) この年 1891 ▷中野徳次郎,香月新三郎・貝島太助・添田美稔ら所有の穂波村平恒地区の借区を買収('92年の冬鬼山炭坑を開坑,五尺層の煽石採掘). 321
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13 生産・流通(明治21~) 明治二六年.5.- 1893/5 野見山五八郎ほか3人,相田炭坑(嘉麻郡二瀬村)を取得('94年2月中野徳次郎が所有). 479
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14 生産・流通(明治21~) 明治二六年.11.- 1893/11 この月若松港への輸送方法別と炭坑名,川艜・鉄道併用-三菱鯰田・勝野・赤池・峰地・田川採炭・目尾・金田・豊国・第二大之浦・直方・本洞,鉄道のみ-新入・忠隈,川艜のみ-高野・大辻・大城・小松・第一大浦・庄司・第二新手・下堺本洞・堀三太郎・肥春・碓井・尾上保太郎・土手ノ内・京野・金剛・明神・日焼古田・吉田・潤野・大藪・貝島伝平・浦田・松尾法幹・黒川・神崎泰三・正善・中野徳次郎・第一新手・内田良五郎・宮尾・小正・西川・鞍手煽石・嘉麻煽石・田川煽石・諸口. 542
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15 企業・労働・災害(明治21~) この年 1894 *福岡県下石炭採掘高1万斤以上の炭坑名,( )内は鉱業人名.粕屋郡-旅石(八尋佐平ほか3人),植木(高山卯右衛門),仲原(大藪好太郎).遠賀郡-大辻(左納権一),第二新手(九州炭鉱),頃末(久保田信之ほか1人),名前(平田作助),吉田(安永兵太郎),水巻(春田惟),第一大隅(中西七太郎).鞍手郡-本洞直方(許斐鷹介),神田(田代又右衛門ほか4人),新西川(井上友次郎),勝野(森清高吉ほか5人),勝野(近藤廉平),本洞(山本周太郎),新手(加藤仁太郎ほか2人),瑞穂(渡辺壮兵衛),新入(三菱),大之浦第一(木村正幹),大之浦第二(木村正幹),鴻ノ巣(占部三折ほか9人),京野(古野三郎ほか2人),日焼古田(許斐正雄),金剛(仲西七三郎ほか2人).嘉麻郡-笠松(麻生太吉ほか1人),碓井(三菱),嘉麻(野見山米吉),鯰田(三菱),大城(安川敬一郎ほか3人).穂波郡-忠隈穂波(久保盛明),相田(中野徳次郎ほか2人),伊勢谷(山口角平),庄司(住友吉左衛門),高雄(岩崎弥之助),潤野(広岡信五郎),目尾(杉山松太郎).三池郡-三池(三井三郎介).企救郡-足立(原口大成),富野(原口大成ほか1人).田川郡-糒(平岡浩太郎ほか2人),奈良(山本喜七郎ほか1人),金田(柏村信),赤池(安川敬一郎ほか1人),田川採炭坑(福島良介),川崎(佐々木恒平ほか6人),川宮(平岡辰次郎ほか3人). 427
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16 生産・流通(明治21~) この年 1894 ▷中野徳次郎,大分炭田(穂波郡上穂波村)の坑区を買収して開坑('98年松本健次郎と共同経営). 87
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17 地域社会 明治二九年.1.23 1896/1/23 (株)嘉穂銀行創立総会,資本金18万円,頭取麻生太吉,副頭取金光豊吉,取締役花村久助・野見山米吉・麻生惣兵衛・中野徳次郎・矢野喜平次(3.4飯塚町に開業). 426/9
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18 企業・労働・災害(明治21~) 明治二九年.10.2 1896/10/2 幸袋工作所(資)(嘉穂郡大谷村)創業,発起人松本健次郎・伊藤伝右衛門・安川敬一郎・麻生太吉・中野徳次郎・貝島太助・平岡浩太郎ら,鉱山用機械を製作,資本金7万5000円. 23/160/442
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19 生産・流通(明治21~) この年 1896 ▷貝島太助,中野徳次郎に続いて大分坑区(嘉穂郡)の買収に乗り出す.両者で坑区の出願を競う. 87
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20 生産・流通(明治21~) 明治三〇年.8.- 1897/8 熊田炭坑(嘉穂郡熊田村熊ケ畑),借区40万坪に中野徳次郎開坑.また位登炭坑(田川郡猪位金村位登),蜂谷政次郎が開坑. 321
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21 生産・流通(明治21~) 明治三一年.9.- 1898/9 牟田炭坑(嘉穂郡鎮西村),中村伍平より中野徳次郎・伊藤伝右衛門へ移譲. 479
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22 生産・流通(明治21~) 明治三一年.10.- 1898/10 伊藤伝右衛門・中野徳次郎・有田正雄・大屋孫十郎ら花瀬坑区を共同で譲受ける(1903年牟田炭坑々区に合併). 23
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23 生産・流通(明治21~) 明治三四年.2.- 1901/2 伊藤伝右衛門,中野徳次郎と共同で津田守房採掘中の平原坑区(嘉穂郡鎮西村)を譲受('03年牟田炭坑坑区に合併). 388/23
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24 地域社会 明治三五年.8.10 1902/8/10 第7回衆議院選挙.県内では政友会8,憲政本党5,無所属1.炭坑主から中野徳次郎・平岡浩太郎が当選. 453/542
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25 生産・流通(明治21~) 明治三六年.12.- 1903/12 牟田炭坑,さきに買収した花の瀬・平原の2坑区を統合し,3坑区合計31万1897坪の統一坑区とし,伊藤伝右衛門・中野徳次郎の共同経営となる. 388/479
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26 生産・流通(明治21~) 明治三八年.4.- 1905/4 牟田炭坑・相田炭坑の両坑は伊藤伝右衛門・中野徳次郎の共同経営であつたが,牟田は伊藤,相田は中野の単独経営となる. 23/388
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27 生産・流通(明治21~) 明治三八年.5.- 1905/5 熊田炭坑(嘉穂郡熊田村,中野徳次郎),運搬車道の開さくに着手. 482
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28 生産・流通(明治21~) この年 1905 ▷中野徳次郎・松本健次郎,共同で大分炭田(嘉穂郡)の開発に着手. 87
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29 企業・労働・災害(明治21~) この年 1905 ▷中野徳次郎,相田炭坑・熊田炭坑・亀山炭坑を開発し事業漸次隆盛. 87
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30 地域社会 明治三九年.12.25 1906/12/25 筑豊水力電気会社,創立準備会を大分県庁で開催.中野徳次郎・山本信雄その他中津・日田より発起人参集. 542
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31 生産・流通(明治21~) 明治四一年.2.- 1908/2 亀山炭坑(粕屋郡志免村)創業,坑業人中野徳次郎.年末,職工男21人,日雇男45人・女4人. 442
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32 生産・流通(明治21~) 明治四一年 1908 【生産・流通補遺】筑豊主要炭坑(1000万斤以上),粕屋郡-津波黒(貝島太助),敷島(尼崎伊三郎),新原海軍(海軍省),篠栗(平田専治),長礼(岩谷松平),宇美(入交栄次),植木(岡田三吾).遠賀郡-高松(堀通夫),三好(三好徳松),新手(貝島太助),大隈(岩崎久米吉),第二三好(三好徳松),大隈(大隈炭鉱),岩崎(岩崎久米吉),中鶴(伊藤伝右衛門),大辻第四(貝島太助),京殿(蔵内次郎作),新手礦業所(伊藤伝右衛門),大辻(貝島太助),中川(山本豊吉),鞍手郡-本高江(岡藤美之助),鴻之巣御徳(宮河良一),木屋瀬(恵木岩吉),西川旭(井上静雄),新入(三菱),室木(大倉久米馬),三井本洞(三井),鬼馬(古河),三笠(塚本兎三郎),御徳海軍(海軍省),大之浦(貝島太助),古河西部(古河).嘉穂郡-製鉄所二瀬(農商務省),明治(明治鉱業),小富士(三枝与三郎),鯰田(三菱),筑紫(篠崎寿三郎),芳雄(麻生太吉),豆田(麻生太吉),綱分(麻生太吉),三井山野(三井),第二鴻之巣(宮河仲次),熊田(中野徳次郎),宮之浦第二(天羽邦二),穂波(石田収),牟田(伊藤伝右衛門),忠隈(住友吉左衛門),浦田(原田専三郎),上山田(三菱),平山(田島信夫),笹原(花村久助),相田(中野徳次郎),下山田(古河),阿部鯰田(阿部市兵衛),清藤(堀三太郎).田川郡-起行小松後藤寺(久良知重彦),佐々木(佐々木恒平),添田(阿部安次郎),糸田(田島嘉次郎),宮尾(久良知治市),本添田(桝谷彦助),豊国(明治鉱業),仲津原(豊前採炭),金田(金田鉱業),大原(久良知利久蔵),野田(宮城大三),峰地(蔵内保房),三井田川(三井),方城(三菱),宮崎豊州(宮崎儀一),金谷新(金谷鉱業),赤池(明治鉱業),第三峰地(蔵内保房),峰地(蔵内保房),香春(桑原政),大任(豊前採炭),第二金谷(野田喜一郎).企救郡-第二鷲嶺(蔵内保房). 442
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33 地域社会 明治四四年.4.18 1911/4/18 九州水力電気(株)設立,資本金800万円,社長浜口吉右衛門・取締役中野徳次郎ほか,筑豊の各炭坑および北九州への工業用電力供給が目的. 86/108/121
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34 地域社会 明治四四年.4.- 1911/4 福岡県多額納税者15人中,7人は筑豊の坑業家.麻生太吉・安川敬一郎・伊藤伝右衛門・堀三太郎・蔵内保房・松本健次郎・中野徳次郎.6.10福岡県多額納税者互選会開催,15名投票中,14票で麻生太吉当選. 318/542
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35 生産・流通(明治21~) この年 1911 ▷宮崎豊州炭坑(田川郡川崎村),相田炭坑(嘉穂郡二瀬村,中野徳次郎),起行小松(久良知重彦),何れも事業縮小. 318
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36 生産・流通(明治21~) 明治四五・大正元年.11.16 1912/11/16 熊田炭坑(嘉穂郡熊田村,中野徳次郎経営),ベルト式撰炭機に,中塊水洗機を併設. 318/480
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37 全国石炭関係 この年 1912 ▷中野徳次郎,伊王島と沖の島坑区を,4000円で買収.中野家が単独所有. 87
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38 生産・流通(明治21~) この年 1912 *この頃筑豊大手炭坑の所有坑区,三井鉱山40坑区6295万坪・三菱27坑区2132万坪・貝島太助17坑区1145万坪・麻生太吉34坑区1055万坪・安川敬一郎16坑区582万3000坪・中野徳次郎20坑区58万坪・蔵内次郎作10坑区514万坪・堀三太郎4坑区66万1000坪・三好徳松8坑区343万3000坪・伊藤伝右衛門15坑区・古河西部鉱業4坑区325万3000坪・製鉄所2坑区328万坪・住友198万坪. 542
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39 生産・流通(明治21~) 大正二年.11.- 1913/11 中野徳次郎,坑区を分割して亀山炭坑々区(粕屋郡志免村)を設定('13年末坑夫数,男369人・女177人).'19年9月東邦炭礦(株)に移譲. 482
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40 生産・流通(明治21~) 大正四年.7.- 1915/7 相田炭坑,中野徳次郎の個人経営となる(徒来は松本潜・伊藤伝六らとの共同経営). 482
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41 地域社会 大正五年.4.12 1916/4/12 嘉穂郡,郡立嘉穂中学校設立準備費として鉱業組合が寄付した3万円の使途を変更,嘉穂育英会を設立して基金とする.麻生太吉・中野徳次郎・伊藤伝右衛門を願問に推薦. 86
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42 企業・労働・災害(明治21~) 大正七年.6.10 1918/6/10 中野徳次郎没,('02年以来鉱業組合常議員,採掘経営鉱山10数ヵ所,筑豊鉱業界の重鎮).6.16葬儀執行. 318/453
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