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年表種別 |
年月日表記 |
西暦 |
できごと |
備考 |
1
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全国石炭関係
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明治一年.8.7
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1868/8/7
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〔6.19〕 長崎製鉄所を長崎府に属させ,判事井上馨に管理せしめる. 162
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2
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全国石炭関係
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明治六年.1.-
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1873/1
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井上馨,生野をはじめ全国10ヵ所の鉱山を官営とし,開掘企画し,正院に建議.2月2日裁可. 668
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3
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全国石炭関係
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この年
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1873
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▷福井忠次郎・品川弥二郎・井上馨らは合資組織の石炭会社を創立,山口県厚狭郡内の借区権の大半を独占. 551
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4
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全国石炭関係
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明治七年.8.-
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1874/8
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井上馨,高島炭販売を工部省より先収会社に委託され,払下げ運動をおこす.その後,後藤象二郎の参加を知り手を引く. 668/162
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5
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二二年.3.中旬
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1889/3
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農商務大臣井上馨,宮崎県よりの帰途,筑豊の諸炭坑を巡視. 453
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6
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二四年.3.3
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1891/3/3
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井上馨,田川郡金田炭坑視察の目的で直方着,貝島家に休息し貝島太助を知る. 68
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7
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二九年.11.14
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1896/11/14
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井上馨,桐野炭坑(鞍手郡宮田村)・大谷炭坑(笠松村)を視察,貝島邸に記念植樹. 68
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8
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三一年.10.30
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1898/10/30
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井上馨,貝島太助邸で事業拡張のため鉱業組合に清国視察をすすめる. 630
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9
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三一年.12.25
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1898/12/25
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安川敬一郎,井上馨・浅野総一郎らと協議し,若松築港拡張の資金を製鉄所50万円,国庫補助50万円とし残額70万円を炭坑業者,40万円を東京で分担することを決定. 457
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10
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地域社会
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明治三二年.8.-
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1899/8
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九州鉄道株主のうち,仙石社長に不満をもつ者で改革派を組織し,借入金の過多,職員の過多など5項目を掲げて営業方針を批判し,臨時総会の開催を請求.9.19~23九鉄重役派,井上馨に無条件仲裁を依頼,井上,三井八郎右衛門・岩崎彌之助を交え,改革・重役両派を招いて懇親会を開く.10.16井上馨・益田孝・片岡直温・根津嘉一郎・住江常雄は経営事情を現地で調査.翌年2.7九鉄調査委員会裁定事項を決定,職員の淘汰経費節減の必要を指摘し,重役の進退は不問とする.2.10井上馨両派を招き練達した役員の招へい,各主要駅で公衆電報を取扱う,各駅で送迎切符を発行,また赤帽をおくなどの業務改善を勧告. 542/382/707/668
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11
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全国石炭関係
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明治三三年.8.17
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1900/8/17
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井上馨,東洋市場において英炭t20円に対し日本炭が供給不足にも拘らずt6円であることに着眼,安売り防止策の必要を示唆.貝島・平岡・麻生・安川ら売炭同盟の運営策を協議. 68/542
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12
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三五年.5.2
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1902/5/2
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井上馨,菅牟田大之浦・桐野・満之浦の各坑を視察,3日,金田坑視察. 68/453
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13
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生産・流通(明治21~)
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明治四〇年.7.10
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1907/7/10
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三井鉱山,井上馨・貝島太助の斡旋で麻生太吉より藤棚炭坑を譲受く.三井本洞炭坑と改称して8.17より操業開始(以下三井本洞と略称). 506
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14
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地域社会
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明治四二年.10.15
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1909/10/15
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貝島家.有賀長文と原嘉道に起草を依頼した家憲発表式を,東京井上馨邸で行う. 542
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15
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治四四年.5.25
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1911/5/25
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炭坑合同問題に関し,井上馨の来県を機に,有力炭坑主が直方に会し協議.三井・三菱・古河・住友,これに地元坑主貝島・麻生などを合同して会社組織にすることを討議,将来の課題として検討を約す. 68
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16
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地域社会
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大正四年.9.2
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1915/9/2
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元老井上馨死去(9.1没,81歳)に伴い,貝島一家葬儀に参列,山元で追悼会執行. 542
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