筑豊石炭礦業史年表

キーワード:伊藤伝右衛門
/ 1ページ
No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 万延一年.12.17 1860/12/17 〔11.26〕 伊藤伝右衛門,穂波郡幸袋に出生.父伝六,母ヨシ. 23
ページ】: 47
2 企業・労働・災害(明治21~) 明治二九年.10.2 1896/10/2 幸袋工作所(資)(嘉穂郡大谷村)創業,発起人松本健次郎・伊藤伝右衛門・安川敬一郎・麻生太吉・中野徳次郎・貝島太助・平岡浩太郎ら,鉱山用機械を製作,資本金7万5000円. 23/160/442
ページ】: 183
3 生産・流通(明治21~) 明治三一年.9.- 1898/9 牟田炭坑(嘉穂郡鎮西村),中村伍平より中野徳次郎・伊藤伝右衛門へ移譲. 479
ページ】: 190
4 生産・流通(明治21~) 明治三一年.10.- 1898/10 伊藤伝右衛門・中野徳次郎・有田正雄・大屋孫十郎ら花瀬坑区を共同で譲受ける(1903年牟田炭坑々区に合併). 23
ページ】: 190
5 生産・流通(明治21~) 明治三四年.2.- 1901/2 伊藤伝右衛門,中野徳次郎と共同で津田守房採掘中の平原坑区(嘉穂郡鎮西村)を譲受('03年牟田炭坑坑区に合併). 388/23
ページ】: 202
6 生産・流通(明治21~) 明治三五年.8.28 1902/8/28 泉水炭坑,伊藤伝右衛門が譲り受ける. 482
ページ】: 206
7 地域社会 明治三六年.3.1 1903/3/1 衆議院議員選挙,当選者,門司市菊地武徳・小倉市青柳四郎・久留米市内藤新吾・福岡市平岡浩太郎,郡部は征矢野半彌・多田作兵衛・堤猷久・田布惟義・野田卯太郎・竹内美代吉・藤金作・伊藤伝右衛門・佐々木正蔵・木下学而. 223
ページ】: 209
8 生産・流通(明治21~) 明治三六年.12.- 1903/12 牟田炭坑,さきに買収した花の瀬・平原の2坑区を統合し,3坑区合計31万1897坪の統一坑区とし,伊藤伝右衛門・中野徳次郎の共同経営となる. 388/479
ページ】: 210
9 地域社会 明治三七年.3.1 1904/3/1 衆議院議員総選挙当選者,門司毛利保太郎,福岡平岡浩太郎,小倉古賀庸三,久留米浅野陽吉,郡部は藤金作,野田宇太郎,多田作兵衛,伊藤伝右衛門,井手武右衛門,征矢野半弥,佐々木正造,田布惟蔵,中村雄蔵,武内美代吉.政友8人・憲政3人. 223
ページ】: 213
10 生産・流通(明治21~) 明治三八年.4.- 1905/4 牟田炭坑・相田炭坑の両坑は伊藤伝右衛門・中野徳次郎の共同経営であつたが,牟田は伊藤,相田は中野の単独経営となる. 23/388
ページ】: 216
11 生産・流通(明治21~) 明治三九年.2.- 1906/2 伊藤伝右衛門,中鶴炭坑本坑(遠賀郡長津村)開坑.9月,竪坑開坑. 23
ページ】: 220
12 生産・流通(明治21~) この年 1907 ▷伊岐須炭坑,伊藤伝右衛門より八幡製鉄所に122万円で譲渡. 23
ページ】: 230
13 生産・流通(明治21~) 明治四一年.11.- 1908/11 新手礦業所(遠賀郡長津村)岡田三吾(第十七銀行頭取)から伊藤伝右衛門へ鉱業権移譲,残柱式採掘を採用. 388/479
ページ】: 234
14 生産・流通(明治21~) 明治四一年 1908 【生産・流通補遺】筑豊主要炭坑(1000万斤以上),粕屋郡-津波黒(貝島太助),敷島(尼崎伊三郎),新原海軍(海軍省),篠栗(平田専治),長礼(岩谷松平),宇美(入交栄次),植木(岡田三吾).遠賀郡-高松(堀通夫),三好(三好徳松),新手(貝島太助),大隈(岩崎久米吉),第二三好(三好徳松),大隈(大隈炭鉱),岩崎(岩崎久米吉),中鶴(伊藤伝右衛門),大辻第四(貝島太助),京殿(蔵内次郎作),新手礦業所(伊藤伝右衛門),大辻(貝島太助),中川(山本豊吉),鞍手郡-本高江(岡藤美之助),鴻之巣御徳(宮河良一),木屋瀬(恵木岩吉),西川旭(井上静雄),新入(三菱),室木(大倉久米馬),三井本洞(三井),鬼馬(古河),三笠(塚本兎三郎),御徳海軍(海軍省),大之浦(貝島太助),古河西部(古河).嘉穂郡-製鉄所二瀬(農商務省),明治(明治鉱業),小富士(三枝与三郎),鯰田(三菱),筑紫(篠崎寿三郎),芳雄(麻生太吉),豆田(麻生太吉),綱分(麻生太吉),三井山野(三井),第二鴻之巣(宮河仲次),熊田(中野徳次郎),宮之浦第二(天羽邦二),穂波(石田収),牟田(伊藤伝右衛門),忠隈(住友吉左衛門),浦田(原田専三郎),上山田(三菱),平山(田島信夫),笹原(花村久助),相田(中野徳次郎),下山田(古河),阿部鯰田(阿部市兵衛),清藤(堀三太郎).田川郡-起行小松後藤寺(久良知重彦),佐々木(佐々木恒平),添田(阿部安次郎),糸田(田島嘉次郎),宮尾(久良知治市),本添田(桝谷彦助),豊国(明治鉱業),仲津原(豊前採炭),金田(金田鉱業),大原(久良知利久蔵),野田(宮城大三),峰地(蔵内保房),三井田川(三井),方城(三菱),宮崎豊州(宮崎儀一),金谷新(金谷鉱業),赤池(明治鉱業),第三峰地(蔵内保房),峰地(蔵内保房),香春(桑原政),大任(豊前採炭),第二金谷(野田喜一郎).企救郡-第二鷲嶺(蔵内保房). 442
ページ】: 235
15 生産・流通(明治21~) この年 1909 ▷伊藤伝右衛門,泉水炭坑(鞍手郡西川村)を開坑. 23
ページ】: 240
16 地域社会 明治四三年.4.8 1910/4/8 嘉穂郡立技芸女学校創設,伊藤伝右衛門が校舎購入費を寄贈.5.5授業開始. 14/86
ページ】: 243
17 地域社会 明治四四年.4.- 1911/4 福岡県多額納税者15人中,7人は筑豊の坑業家.麻生太吉・安川敬一郎・伊藤伝右衛門・堀三太郎・蔵内保房・松本健次郎・中野徳次郎.6.10福岡県多額納税者互選会開催,15名投票中,14票で麻生太吉当選. 318/542
ページ】: 247
18 生産・流通(明治21~) 明治四四年.10.- 1911/10 田川郡香春炭坑は三井が,遠賀郡鳳凰炭坑は伊藤伝右衛門が買収. 318
ページ】: 246
19 生産・流通(明治21~) この年 1912 ▷伊藤伝右衛門,朝倉郡宝珠山村で,代理人名義の4坑区を出願,逐次拡張し10坑区950万坪を占有,のち宝珠山炭坑を開坑. 23
ページ】: 254
20 生産・流通(明治21~) この年 1912 *この頃筑豊大手炭坑の所有坑区,三井鉱山40坑区6295万坪・三菱27坑区2132万坪・貝島太助17坑区1145万坪・麻生太吉34坑区1055万坪・安川敬一郎16坑区582万3000坪・中野徳次郎20坑区58万坪・蔵内次郎作10坑区514万坪・堀三太郎4坑区66万1000坪・三好徳松8坑区343万3000坪・伊藤伝右衛門15坑区・古河西部鉱業4坑区325万3000坪・製鉄所2坑区328万坪・住友198万坪. 542
ページ】: 254
21 生産・流通(明治21~) 大正二年.7.26 1913/7/26 伊藤伝右衛門,鳳凰炭坑(遠賀郡長津村蓮花寺)を継承,第二新手炭坑と改称. 361
ページ】: 258
22 生産・流通(明治21~) 大正三年.3.24 1914/3/24 貝島鉱業(株),鞍手郡香井田村坑区7万4161坪を大倉久米馬より買収,大之浦坑区に合併.25日大辻坑区深部14万0568坪を伊藤伝右衛門より買収,大辻坑区に合併. 68
ページ】: 262
23 企業・労働・災害(明治21~) 大正三年.5.1 1914/5/1 伊藤商店・古河鉱業共同経営の協議成立し,中鶴・新手二坑・泉水・牟田の各炭坑を事業所とする資本金300万円の大正鉱業(株)設立登記.持株の半数を古河が取得,役員は伊藤・古河より各4人宛選出,社長に伊藤伝右衛門,専務に井上定次(古河)が就任,石炭販売を古河鉱業に委託. 23/318/482
ページ】: 263
24 企業・労働・災害(明治21~) 大正四年.9.23 1915/9/23 伊藤伝右衛門,財団法人伊藤家育英会設立を申請して認可される.出資金20万円. 23/86/542
ページ】: 271
25 地域社会 大正五年.4.12 1916/4/12 嘉穂郡,郡立嘉穂中学校設立準備費として鉱業組合が寄付した3万円の使途を変更,嘉穂育英会を設立して基金とする.麻生太吉・中野徳次郎・伊藤伝右衛門を願問に推薦. 86
ページ】: 273
26 地域社会 大正五年.11.11~14 1916/11/11~
1916/11/14
陸軍特別大演習を筑紫平野一帯で実施,大本営を福岡市に置く.13日福岡・佐賀両県の実業功労者25人を大本営に召見,うち礦業家は安川敬一郎・麻生太吉・松本健次郎・中野徳松・伊藤伝右衛門・堀三太郎ら6人. 318/453
ページ】: 277
27 生産・流通(明治21~) 大正七年.5.- 1918/5 林真一,不動炭坑(田川郡大任村)・香春炭坑(田川郡勾金村中津原)を開坑(不動炭坑は'22年一時休止.香春炭坑は'29年4月伊藤伝右衛門と共同して香春鉱業(株),'33年4月九州電気軌道(株)の経営に移る). 45/431
ページ】: 288
28 地域社会 大正七年.12.初旬 1918/12 日田鉄道(株)創立.蔵内次郎作・伊藤伝右衛門等が発起,添田・日田間の鉄道敷設を意図. 453
ページ】: 293
29 地域社会 大正八年.6.28 1919/6/28 九州産業鉄道(株)創立(田川郡猪膝中村武文等の発起,麻生太吉・伊藤伝右衛門等の出資により,既設の九州産業(株)弓削田石灰工場を買収).社長田中徳次郎,本社後藤寺町.船尾山の石灰石採掘・加工販売と田川・嘉穂両炭田の鉄道連絡を目指す.'34年11月産業セメント鉄道(株)と改称. 35/295
ページ】: 297
30 地域社会 この年 1919 ▷(資)幸袋工作所,資本金150万円の株式組織となる.伊藤伝右衛門社長に就任. 23
ページ】: 299
31 地域社会 大正一〇年.10.21 1921/10/21 柳原白蓮(〓子),夫,伊藤伝右衛門に対する絶縁状の全文を公開(宮崎龍介と結ばれる). 542
ページ】: 309
32 地域社会 昭和二年.7.22 1927/7/22 伊藤伝右衛門別邸(福岡市),いわゆる〝赤銅御殿〟漏電のため焼失,損害80万円. 542
ページ】: 341
33 企業・労働・災害(明治21~) 昭和一〇年.12.7 1935/12/7 日本石炭坑夫組合員,中間町で第2回災害防止大演説会を開催中,大正中鶴の労務係および暴力団により襲撃される.同組合は伊藤伝右衛門糺明団本部を設けて闘争を展開. 324/618
ページ】: 383
34 企業・労働・災害(明治21~) 昭和一一年.8.- 1936/8 宝珠山鉱業(名)(伊藤伝右衛門),株式会社に組織変更. 480
ページ】: 389
35 生産・流通(明治21~) 昭和一五年.7.28 1940/7/28 日本炭業(株),朝倉郡宝珠山村の宝珠山炭坑(伊藤伝右衛門)を譲りうけ経営権を同系の上山田炭坑に移譲. 249/23
ページ】: 410
36 企業・労働・災害(明治21~) 昭和一六年.6.20 1941/6/20 伊藤伝右衛門,大分県別府にある時価178万円の別荘を海軍省に献納.水交社建設にあてる. 453
ページ】: 417
37 地域社会 昭和一六年.12.15 1941/12/15 筑豊・嘉穂・三池の3貯蓄銀行合併し福岡貯蓄銀行設立,頭取伊藤伝右衛門. 828
ページ】: 419
38 企業・労働・災害(明治21~) 昭和二二年.12.15 1947/12/15 大正鉱業社長伊藤伝右衛門没. 361
ページ】: 465
/ 1ページ