1
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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嘉永二年.5.9
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1849/5/9
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〔4.17〕 安川敬一郎,福岡藩早良郡鳥飼村茶屋のうち徳永家にて出生.父は省易,母は久米,幼名藤四郎. 457
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2
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治三年.10.28
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1870/10/28
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〔10.4〕 松本健次郎,那珂郡警固村に生まれる.父は安川敬一郎,母は峯子. 491
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3
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1871
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▷旧福岡藩士松本潜と幾島徳の兄弟(安川敬一郎の兄),協力して福岡県内に小炭坑を開坑. 214
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4
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治七年.2.-
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1874/2
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安川敬一郎,兄幾島徳の戦死(佐賀の乱で)により兄松本潜と相談し鞍手郡東谷炭坑経営に着手.松本潜は大区長勤務のかたわら穂波郡相田炭坑経営. 87
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5
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治八年.1.-
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1875/1
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長雨による製塩用石炭の需要減退に災いされ,安川敬一郎の炭坑経営苦境,博多商人堺惣平より資金の融通をうけ危機を脱出. 214
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6
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1877
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▷安川敬一郎,遠賀郡芦屋町にて石炭販売業を開始.'86年店舗を若松に移し,次いで門司・唐津・神戸・大阪・東京・朝鮮に支店を設置. 318
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7
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1878
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▷安川敬一郎,神戸の石炭商岡田又兵衛と良質の相田炭(穂波郡相田村)の取引を開始. 214
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8
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1884
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▷安川敬一郎,鉱山局技師山際永吾の調査に基き,嘉穂郡相田村坑区を72万坪に拡大. 214
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9
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一九年.冬.
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1886/12
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安川敬一郎,穂波郡勢田村白土武市所有の坑区3万坪を買収し開坑準備(後の明治炭坑第一坑). 457
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10
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治二〇年.春.
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1887/4
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安川敬一郎,穂波郡勢田村の許斐六平・許斐宗三郎所有の坑区を入手,岩井伴七と折半掘を契約('95年買収し明治第二坑と改称). 214
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11
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治二〇年.10.-
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1887/10
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安川敬一郎,大城炭坑(穂波郡頴田村)を白土武市より譲受け竪坑開さくに着手(後の明治第一坑).4時間交替12時間勤務制を採用,'88年5月120尺で三尺層,6月192尺で五尺層に着炭同年内に完工,工費2万3000円.この頃明治第一坑の坑夫賃金および物価状況は坑夫賃金1人18銭(4時間2方)岡日役12銭(12時間)大工・石工20銭,米価1升4銭5厘,わら1把5厘,草鞋1足3~5厘,芦屋までの川艜運賃1万斤につき1円70銭見当(米1俵代内外). 214/205/398
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12
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生産・流通(明治21~)
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明治二一年.6.-
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1888/6
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安川敬一郎,赤池撰定坑区124万坪をもつ平岡浩太郎が事業資金に窮したため,共同経営を約定(後に買収). 457/214
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13
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1888
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*筑豊主要炭坑(1000万斤以上)と坑主,遠賀郡-大辻(宮田政市)・第二新手(詐斐鷹助)・金谷(南川正雄)・黒川(香月藤七郎)・筑紫(柴田多七),鞍手郡-新手本洞(許斐鷹助)・最上(西野伴七)・側筒谷(飯野双十郎)・来見(三野村利助)・大之浦(貝島太助)・白鶴(入江卯太郎),嘉麻郡-鯰田(麻生太吉)・大城(安川敬一郎)・穂波郡-平野(広岡信五郎)・目尾(杉山徳三郎)・相田(松本潜)・田川郡-起行(行実孫次郎)・峰地(久良知重敏)・小松ケ浦(和田武生)・宮尾(柳沢茂). 376
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14
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生産・流通(明治21~)
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明治二二年.3.8
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1889/3/8
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赤池炭坑(田川郡赤池),安川敬一郎・平岡浩太郎,共同で33万8673坪の借区出願許可をうけ,直ちに開坑準備に着手(1901年安川敬一郎単独所有となる). 1
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15
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企業・労働・災害(明治21~)
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この年
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1890
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▷岩崎彌之助,グラバー・末川久敬らと共に三菱新入・鯰田両坑を視察,案内は安川敬一郎. 457
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16
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地域社会
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この年
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1890
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▷筑豊興業鉄道会社,金融途絶し経営行詰る,安川敬一郎,多数の株を安価で買収. 457
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17
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地域社会
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明治二四年.4.22
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1891/4/22
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筑豊興業鉄道会社,臨時総会で役員改選.社長堀田正養,常議員麻生太吉・小林作五郎・安川敬一郎・磯野七平・堤猷久・小野隆基・徳弘為章,検査役高瀬九三郎・栗田安壮. 456
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18
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地域社会
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明治二六年.7.-
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1893/7
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若松築港会社,定款を改定し社名を若松築港(株)に改称.社長取締役石野寛平,取締役和田源吉・野村久一郎・堤猷久,監査役和田喜三郎・安川敬一郎. 573
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19
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二六年.11.-
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1893/11
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坑業組合,組合員の範囲に企救郡を加え,筑豊石炭鉱業組合と改称(以下鉱業組合と略称).直接各炭坑を基礎とする同業組合に改組.事務所を直方より若松町新地に移転し直方を支部とする.常議員に麻生太吉・安川敬一郎・松田武一郎・安達仁造・筒井省吾を選出. 317
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20
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企業・労働・災害(明治21~)
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この年
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1893
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▷松本健次郎,安川敬一郎と共同で安川・松本商会(門司)を創設.石炭の外国取引に専念,はじめて横浜サミュエル商会と1万tの大量直売契約を結ぶも送炭能力整わず失敗. 214/457
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21
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二七年.9.13
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1894/9/13
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九州坑業者大会開催,筑豊より安川敬一郎,山本貴三郎,許斐鷹介など15人出席. 360
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22
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企業・労働・災害(明治21~)
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この年
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1894
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*福岡県下石炭採掘高1万斤以上の炭坑名,( )内は鉱業人名.粕屋郡-旅石(八尋佐平ほか3人),植木(高山卯右衛門),仲原(大藪好太郎).遠賀郡-大辻(左納権一),第二新手(九州炭鉱),頃末(久保田信之ほか1人),名前(平田作助),吉田(安永兵太郎),水巻(春田惟),第一大隅(中西七太郎).鞍手郡-本洞直方(許斐鷹介),神田(田代又右衛門ほか4人),新西川(井上友次郎),勝野(森清高吉ほか5人),勝野(近藤廉平),本洞(山本周太郎),新手(加藤仁太郎ほか2人),瑞穂(渡辺壮兵衛),新入(三菱),大之浦第一(木村正幹),大之浦第二(木村正幹),鴻ノ巣(占部三折ほか9人),京野(古野三郎ほか2人),日焼古田(許斐正雄),金剛(仲西七三郎ほか2人).嘉麻郡-笠松(麻生太吉ほか1人),碓井(三菱),嘉麻(野見山米吉),鯰田(三菱),大城(安川敬一郎ほか3人).穂波郡-忠隈穂波(久保盛明),相田(中野徳次郎ほか2人),伊勢谷(山口角平),庄司(住友吉左衛門),高雄(岩崎弥之助),潤野(広岡信五郎),目尾(杉山松太郎).三池郡-三池(三井三郎介).企救郡-足立(原口大成),富野(原口大成ほか1人).田川郡-糒(平岡浩太郎ほか2人),奈良(山本喜七郎ほか1人),金田(柏村信),赤池(安川敬一郎ほか1人),田川採炭坑(福島良介),川崎(佐々木恒平ほか6人),川宮(平岡辰次郎ほか3人). 427
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23
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二八年.5.-
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1895/5
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平岡浩太郎・安川敬一郎ら各炭坑主,コレラ大流行のため伝染病予防費として600円を若松町に寄付. 542
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24
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二八年.9.15
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1895/9/15
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若松港石炭取引所役員改選,理事長安川敬一郎,理事久保太郎・金子辰三郎・的野半介・谷川済,監査役山本周太郎・和田喜三郎. 181
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25
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二八年.10.28
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1895/10/28
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鉱業組合,鉱業条例改正運動委員及び九州石炭坑業者団体に対する交渉委員として安達仁造・大木良直・杉浦譲三・安川敬一郎・筒井省吾・稲垣徹之進・長谷川芳之助・後藤健作・城野琢麿・許斐鷹介を選出. 724
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26
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地域社会
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明治二九年.2.-
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1896/2
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若松築港(株)石井寛平社長退任,和田源吉社長就任.5月安川敬一郎取締役社長に選任. 688
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27
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二九年.4.-
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1896/4
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明治炭坑(株)創立,発起人安川敬一郎・桑原政・松本重太郎・田中市兵衛・野田吉兵衛ら17人,資本金30万円本社は大阪市,社長桑原政,取締役安川敬一郎.同時に大城炭坑を明治第一坑と改称し,嘉穂郡頴田村勢田に大城支店を設置(1902年同社解散,安川の個人経営となる). 214/317
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28
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生産・流通(明治21~)
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明治二九年.7.-
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1896/7
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三菱鯰田,この頃麻生太吉・安川敬一郎・松本潜・野見山米吉らの借区を相次いで譲受ける('97年,更に瓜生長右衛門の借区を譲受け借区延坪数は当初の45万坪余が235万7000坪余に拡張). 321
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29
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二九年.8.-
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1896/8
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若松石炭問屋組合改組,取締安川敬一郎,常議員長谷川芳之助・山本周太郎ほか7人を選出. 542
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30
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企業・労働・災害(明治21~)
|
明治二九年.10.2
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1896/10/2
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幸袋工作所(資)(嘉穂郡大谷村)創業,発起人松本健次郎・伊藤伝右衛門・安川敬一郎・麻生太吉・中野徳次郎・貝島太助・平岡浩太郎ら,鉱山用機械を製作,資本金7万5000円. 23/160/442
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31
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地域社会
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明治三〇年.11.11
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1897/11/11
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若松電燈(株),筑豊鉱業倶楽部で創業総会,発起人安川敬一郎・松本潜・長谷川芳之助・山本周太郎ら,資本金5万円. 456
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32
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三一年.12.25
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1898/12/25
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安川敬一郎,井上馨・浅野総一郎らと協議し,若松築港拡張の資金を製鉄所50万円,国庫補助50万円とし残額70万円を炭坑業者,40万円を東京で分担することを決定. 457
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33
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企業・労働・災害(明治21~)
|
明治三二年.2.24
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1899/2/24
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安川敬一郎,明治第一坑の納屋制度を廃止して直轄制度に改める.7月大納屋制度廃止に伴う納屋頭解職に端を発し,第一坑で小暴動,間もなく終熄. 205/214/342
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34
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三二年.10.28
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1899/10/28
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安川敬一郎,石炭鉱業附加税案に関し県知事にその不可を陳述. 457
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35
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地域社会
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明治三三年.10.-
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1900/10
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若松築港(株)の役員と主な株主.役員-取締役安川敬一郎・麻生太吉・田島信夫・山本周太郎・白石直治・金子辰三郎・上野弥太郎,監査役久保太郎・伴野雄七郎.主な株主-三菱(資)・三井銀行・古河市兵衛・毛利五郎・貝島太助・安川敬一郎・住友吉左衛門・松本健次郎・明治炭坑・黒田長成・仙石貢・九州鉄道(株)・麻生太吉・三野村利助・渋沢栄一. 542
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36
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生産・流通(明治21~)
|
明治三四年.5.-
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1901/5
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安川敬一郎,赤池炭坑平岡浩太郎の持分を40万円で引受け個人経営(以下,明治赤池と略称). 214
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37
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企業・労働・災害(明治21~)
|
明治三四年.8.31
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1901/8/31
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重要物産同業組合法の発令により,若松石炭商同業組合,遠賀郡若松町に設立.初代組合長安川敬一郎(別説では4.29創立総会). 542/427/572
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38
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企業・労働・災害(明治21~)
|
明治三五年.4.-
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1902/4
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安川敬一郎,中堅技術者養成の目的で赤池炭坑に私立赤池鉱山学校を設立.2ヵ年制度,採鉱・冶金・土木・機械などの学科を学習し作業実習も行う('04年4月,第1回卒業生10人.'04年12月,廃校). 214/491/317
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39
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企業・労働・災害(明治21~)
|
明治三五年.11.30
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1902/11/30
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明治炭坑(株),任意解散.清算人松本健次郎・鷹取甚橘.同社所有の坑山を安川敬一郎が引受け明治炭坑と改称. 214/453/317
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40
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地域社会
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明治三六年.10.1
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1903/10/1
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門司倶楽部(炭坑経営者・石炭商・金融業者の社交施設)完工し発会式を挙行.会長安川敬一郎就任. 539
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41
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企業・労働・災害(明治21~)
|
この年
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1903
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▷安川敬一郎,鉱業組合総長に就任,'11年3月まで在住. 318
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42
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生産・流通(明治21~)
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明治三七年.5.-
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1904/5
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採掘特許件数(1月~5月),鞍手郡の新山崎炭坑(高橋千太郎経営)ほか2件,嘉穂郡熊田上山田炭坑(松岡彦太郎),田川郡上野村赤池炭坑(安川敬一郎),企救郡足立村三萩野坑(友枝只四郎). 318
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43
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全国石炭関係
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明治三八年.6.14
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1905/6/14
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大阪瓦斯,石炭の最初の購入契約を安川敬一郎と締結. 42
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44
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治四〇年.7.20
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1907/7/20
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豊国炭坑,坑内爆発,死傷者429人(死亡365人)安全灯よりガスに引火して炭塵爆発を誘発.明治期最大の炭坑災害となる.この災害に対し皇室より御救恤金下賜(以後豊国炭坑は経営難となり,9.4安川敬一郎に譲渡,'10年1月完全復旧). 311/214/453/318
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45
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地域社会
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明治四〇年.7.23
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1907/7/23
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財団法人私立明治専門学校,設立認可.理事安川敬一郎,総裁山川健次郎,校長的場中('09年4月開校). 206
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46
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生産・流通(明治21~)
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明治四〇年.9.4
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1907/9/4
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明治鉱業(安川敬一郎),閉鎖休業中の豊田炭坑を200万円で買収,所有鉱山を一括して明治鉱業(株資)を創設. 214
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47
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生産・流通(明治21~)
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明治四一年.1.7
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1908/1/7
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安川敬一郎,明治・赤池・豊国の三炭坑を併せ,明治鉱業(株資)を創立,資本金500万円. 214
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48
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治四一年.1.7
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1908/1/7
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安川敬一郎,初めて坑夫年功慰労金制度,退職手当金制度を実施.業界の注目を引く. 214/317
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49
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治四一年.12.22
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1908/12/22
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明治豊国,前年7月ガス爆発により365人の犠牲者を出したが,安川敬一郎鋭意復旧に努め,全部の遺体収容を完了,再開の作業を開始. 214
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50
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治四四年.3.25
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1911/3/25
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安川敬一郎,筑豊石炭鉱業組合総長を辞任,麻生太吉を総長に選任. 9/318
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