筑豊石炭礦業史年表

キーワード:帆足義方
/ 1ページ
No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1878 ▷在小倉の陸軍監督帆足義方,筑豊での炭坑業経営を企図して官を辞し,実弟斯波義兼および服部鉦太郎を東京より呼び寄せ,さらに実務経験者として貝島太助を招き協力を求める.貝島,帆足のために新入・植木・鯰田・香月の各坑区を案内.帆足,新入での開坑を企図したが工部省で直接試錐の意図があるため借区許可を得られず. 70
ページ】: 115
2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一二年.3.- 1879/3 貝島太助,帆足義方のため遠賀郡馬場山村々民に300円と酒2樽を贈って借区申請の了解を得て工部省より借区許可.帆足,馬場山炭坑を開坑.貝島は弟達を集め業務を統轄,また帯鉄を打ちつけた木レールを敷設し駄馬で炭車を運搬する方法を案出,これより木道と呼ばれ各坑に普及. 70
ページ】: 115
3 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一二年.4.24 1879/4/24 帆足義方,鞍手郡植木村杉山に600坪.澤邨遊生,穂波郡相田村猿バミに960坪の借区許可を受ける. 734
ページ】: 116
4 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一二年.10.24 1879/10/24 許斐直治ほか3人(鞍手郡八尋村幸ノ浦に2800坪).帆足義方(遠賀郡馬場山村荒手に3500坪)借区許可を受ける. 734
ページ】: 116
5 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一三年.1.20 1880/1/20 帆足義方(遠賀郡香月村南原に3700坪)借区許可を受ける. 734
ページ】: 118
6 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一三年.10.8 1880/10/8 帆足義方(遠賀郡香月村養生寺に2借区,計1万9390坪)借区許可を受ける. 734
ページ】: 119
7 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一四年.11.10 1881/11/10 篠原善七(鞍手郡赤地村林口に1500坪).梶原孫四郎(同郡新多村本入ほか1字に新たに2借区,計2820坪,合計4借区,5845坪).吉田幸四郎(同郡金剛村本村に1500坪).帆足義方(同郡香月村上殿に新たに2借区,計8881坪)それぞれ借区許可を受ける. 734
ページ】: 122
8 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一五年.10.16 1882/10/16 鉱山局,鞍手郡新入村へ技術家を派遣し煤田を点検.資力ある者を選び,坑法によって借区開坑を許可するよう太政官に開申,12月帆足義方に借区許可. 162
ページ】: 125
9 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一六年.2.11 1883/2/11 帆足義方(遠賀郡香月村八反田ほか14字に1702.4坪)借区許可を受ける. 734
ページ】: 126
10 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一六年.5.23 1883/5/23 帆足義方(鞍手郡植木村杉山および石山谷に新たに2借区,計3万9934.9坪,合計3借区4万0534.9坪).飯野双十郎ほか1人(同郡直方村御館山・西殿町ほかに2借区,計5万9557.7坪).帆足義方(同郡上新入村来見に1万6445坪).村上又四郎(田川郡中伊田村山ノ神ほか3字に1万1661,3坪)借区許可を受ける. 734
ページ】: 127
11 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一六年.12.1 1883/12/1 帆足義方(遠賀郡香月村八反田ほか14字に新たに6万4160.7坪)借区許可を受ける(同村内の合計7借区9万7834.1坪). 734
ページ】: 128
12 全国石炭関係 この年 1883 ▷この頃帆足義方・斯波義兼兄弟は,天草志岐地方の無煙炭採掘権を取得. 532
ページ】: 128
13 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1883 ▷この頃帆足義方,潤野坑掘の採に着手('86年広岡信五郎に売却). 321
ページ】: 128
14 地域社会 明治一八年.7.- 1885/7 鞍手郡直方は,帆足義方を始め多数の炭坑業者が居住し,市況繁華.福岡・博多に劣らぬ活気あり,演劇・角力などは大入満員の盛況. 453
ページ】: 135
15 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.8.- 1885/8 吉田千足,門司に石炭輸出会社を設立.帆足義方経営の香月・直方・新入・潤野炭の上海輸出を企図したが不成功に終る. 457
ページ】: 135
16 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.11.- 1885/11 筑豊地方炭坑の現況-稼行炭坑700坑,1年間採掘高は凡そ5億万斤,本格的な機械使用採掘坑は鞍手郡の新入・直方(帆足義方),古田(許斐伴七),新手・本洞(許斐鷹助),遠賀郡の香月(帆足),長津村大辻(宮田正一),穂波郡の目尾(杉山徳三郎)などで,主要送炭先は阪神. 453
ページ】: 136
17 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.12.6 1885/12/6 行実孫次郎(田川郡宮尾炭坑々主)帆足義方(鞍手郡直方斯波炭坑主)の両人は筑豊炭坑主の代表として,来県中の海軍中佐田中常民に対し,海軍御用炭として筑豊炭買上方を陳情. 453
ページ】: 136
18 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.1.10 1886/1/10 坑業組合,委員会開催.委員は1郡2人宛の坑業実行者より選挙された帆足義方・杉山徳三郎・松本潜・行実孫次郎・久保田良蔵ら10人. 453/317
ページ】: 136
19 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.2.25 1886/2/25 帆足義方経営の炭坑(鞍手郡直方),中だきの汽罐が,火夫の不注意により爆破. 453
ページ】: 137
20 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.8.- 1886/8 日本石炭会社創立,資本金30万円,本社は東京,神戸・門司に支店,若松に出張所,直方に坑務総設所を置く.社長吉田千足,取締役に広岡信五郎・帆足義方・中沢彦吉・富浜忠恕. 453
ページ】: 140
21 生産・流通(明治21~) 明治二一年.5.28 1888/5/28 帆足義方,借区(鞍手郡下新入村)を三野村利助に譲渡. 453
ページ】: 146
22 全国石炭関係 この年 1896 ▷帆足義方・小野金六・吉田千足の天草炭業(株),練炭製造を開始,資本金50万円('99年機械不良のため中止). 532
ページ】: 182
/ 1ページ