筑豊石炭礦業史年表

キーワード:広岡信五郎
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1883 ▷この頃帆足義方,潤野坑掘の採に着手('86年広岡信五郎に売却). 321
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2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.8.- 1886/8 日本石炭会社創立,資本金30万円,本社は東京,神戸・門司に支店,若松に出張所,直方に坑務総設所を置く.社長吉田千足,取締役に広岡信五郎・帆足義方・中沢彦吉・富浜忠恕. 453
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3 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治二〇年.12.6 1887/12/6 日本石炭会社所有の潤野炭坑(穂波郡),同社株主の三野村利助(日本銀行理事)・広岡信五郎(大阪鹿島屋)が譲受け,三光社を設立.採坑監督を賀田貞一,販売を鈴木薫が担当,専門技師と資本家の協力による炭坑業は該地方の嚆矢. 453
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4 生産・流通(明治21~) この年 1888 *筑豊主要炭坑(1000万斤以上)と坑主,遠賀郡-大辻(宮田政市)・第二新手(詐斐鷹助)・金谷(南川正雄)・黒川(香月藤七郎)・筑紫(柴田多七),鞍手郡-新手本洞(許斐鷹助)・最上(西野伴七)・側筒谷(飯野双十郎)・来見(三野村利助)・大之浦(貝島太助)・白鶴(入江卯太郎),嘉麻郡-鯰田(麻生太吉)・大城(安川敬一郎)・穂波郡-平野(広岡信五郎)・目尾(杉山徳三郎)・相田(松本潜)・田川郡-起行(行実孫次郎)・峰地(久良知重敏)・小松ケ浦(和田武生)・宮尾(柳沢茂). 376
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5 企業・労働・災害(明治21~) この年 1894 *福岡県下石炭採掘高1万斤以上の炭坑名,( )内は鉱業人名.粕屋郡-旅石(八尋佐平ほか3人),植木(高山卯右衛門),仲原(大藪好太郎).遠賀郡-大辻(左納権一),第二新手(九州炭鉱),頃末(久保田信之ほか1人),名前(平田作助),吉田(安永兵太郎),水巻(春田惟),第一大隅(中西七太郎).鞍手郡-本洞直方(許斐鷹介),神田(田代又右衛門ほか4人),新西川(井上友次郎),勝野(森清高吉ほか5人),勝野(近藤廉平),本洞(山本周太郎),新手(加藤仁太郎ほか2人),瑞穂(渡辺壮兵衛),新入(三菱),大之浦第一(木村正幹),大之浦第二(木村正幹),鴻ノ巣(占部三折ほか9人),京野(古野三郎ほか2人),日焼古田(許斐正雄),金剛(仲西七三郎ほか2人).嘉麻郡-笠松(麻生太吉ほか1人),碓井(三菱),嘉麻(野見山米吉),鯰田(三菱),大城(安川敬一郎ほか3人).穂波郡-忠隈穂波(久保盛明),相田(中野徳次郎ほか2人),伊勢谷(山口角平),庄司(住友吉左衛門),高雄(岩崎弥之助),潤野(広岡信五郎),目尾(杉山松太郎).三池郡-三池(三井三郎介).企救郡-足立(原口大成),富野(原口大成ほか1人).田川郡-糒(平岡浩太郎ほか2人),奈良(山本喜七郎ほか1人),金田(柏村信),赤池(安川敬一郎ほか1人),田川採炭坑(福島良介),川崎(佐々木恒平ほか6人),川宮(平岡辰次郎ほか3人). 427
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6 生産・流通(明治21~) 明治二八年.1.- 1895/1 潤野炭坑(穂波郡鎮西村),借区83万坪に竪坑と2つの斜坑開さくに着手.坑主広岡信五郎(大阪),同夫人(浅子)は監督として自ら坑内に出入. 460/317
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7 生産・流通(明治21~) 明治三二年.10.- 1899/10 八幡製鉄所,高雄炭坑(嘉穂郡伊岐須村,松本潜所有)を骸炭製造原料炭坑として130万円で買収.12月,潤野炭坑(広岡信五郎所有)も買収,両坑併せて二瀬炭坑と呼称.12.9製鉄所二瀬出張所を設置.(以下製鉄二瀬と略称). 328/794
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