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年表種別 |
年月日表記 |
西暦 |
できごと |
備考 |
1
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1874
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▷鞍手郡目尾村の瓜生伊三郎・高野正蔵は村内で6万坪を借区,梅の木谷に斜坑と竪坑を開さく.'76年8月排水困難のため,杉山徳三郎に譲渡. 160
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2
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全国石炭関係
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この年
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1877
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▷杉山徳三郎(神奈川県横浜製鉄所),第1回内国勧業博覧会に蒸気機関を出品. 535
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3
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1879
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▷杉山徳三郎,技師キングからスペシャルポンプの話を聞き,8吋2台を購入.目尾坑7万坪を出願開坑して同ポンプを使用するも能力不十分('81年は成功). 502
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4
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一三年.5.12
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1880/5/12
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杉山徳三郎(穂波郡目尾村山ノ谷に3借区,計8万3975坪)借区許可を受ける. 734
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5
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一三年.12.8
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1880/12/8
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杉山徳三郎,目尾炭坑でスペシャルポンプ試用に成功,片山逸太ほか2人が見学.12.9同様に成功,小竹より男女見物に来る. 692
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6
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一八年.4.24
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1885/4/24
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穂波郡麻生賀郎・杉山徳三郎は出炭の売捌を中原屋へ依頼.下堺(境)村炭坑主許斐鷹助も大阪および上海での石炭売捌方を中原屋に依頼,中原屋は長崎の鹿谷利平太へ筑前炭の上海輸出を交渉.5.1本洞・新手・目尾の3種の見本炭を送る.10.3輸出取止めとなる. 360
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7
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一八年.7.21
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1885/7/21
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杉山徳三郎より中原屋へ月40万~50万斤の石炭積出しを依頼. 360
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8
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一八年.11.14
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1885/11/14
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4月に結成された筑豊五郡の各炭坑同業組合を統合して筑前国豊前国石炭坑業組合を結成.(以下坑業組合と略称)直方に組合取締所,芦屋・若松に取締出張所を開設.11.18第1回総会で議員選挙.11.21若松蛭子神社で開業式.先に決定した若松取締出張所を取締所に改め,石炭一括販売所を併設,直方・芦屋を支部とする.12.25総長に石野寛平が就任,一手売捌人に目尾村杉山徳三郎を選任. 317
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9
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一八年.11.-
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1885/11
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筑豊地方炭坑の現況-稼行炭坑700坑,1年間採掘高は凡そ5億万斤,本格的な機械使用採掘坑は鞍手郡の新入・直方(帆足義方),古田(許斐伴七),新手・本洞(許斐鷹助),遠賀郡の香月(帆足),長津村大辻(宮田正一),穂波郡の目尾(杉山徳三郎)などで,主要送炭先は阪神. 453
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10
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一九年.1.10
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1886/1/10
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坑業組合,委員会開催.委員は1郡2人宛の坑業実行者より選挙された帆足義方・杉山徳三郎・松本潜・行実孫次郎・久保田良蔵ら10人. 453/317
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11
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生産・流通(明治21~)
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明治二一年.2.-
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1888/2
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若松の杉山徳三郎,神戸港への石炭輸送用として数万円の汽船1隻を注文.これで数十艘の和船を曳行する予定. 453
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12
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1888
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*筑豊主要炭坑(1000万斤以上)と坑主,遠賀郡-大辻(宮田政市)・第二新手(詐斐鷹助)・金谷(南川正雄)・黒川(香月藤七郎)・筑紫(柴田多七),鞍手郡-新手本洞(許斐鷹助)・最上(西野伴七)・側筒谷(飯野双十郎)・来見(三野村利助)・大之浦(貝島太助)・白鶴(入江卯太郎),嘉麻郡-鯰田(麻生太吉)・大城(安川敬一郎)・穂波郡-平野(広岡信五郎)・目尾(杉山徳三郎)・相田(松本潜)・田川郡-起行(行実孫次郎)・峰地(久良知重敏)・小松ケ浦(和田武生)・宮尾(柳沢茂). 376
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13
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生産・流通(明治21~)
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明治二三年.7.11
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1890/7/11
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第3回内国博覧会において穂波郡大谷村杉山徳三郎,進歩3等賞を受賞. 642
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14
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生産・流通(明治21~)
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明治二九年.9.1
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1896/9/1
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古河市兵衛,郵船勝野炭坑を買収,安達事務長以下事務員は留任,旧態のまま引継ぐ.11月杉山徳三郎開坑の目尾炭坑の借区21万坪も取得. 542/86
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