No |
年表種別 |
年月日表記 |
西暦 |
できごと |
備考 |
1
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
天保一三年
|
1842
|
〔1.-〕 松本潜,福岡藩士徳永貞七の次男として早良郡鳥飼村に出生. 456
|
|
2
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
この年
|
1871
|
▷旧福岡藩士松本潜と幾島徳の兄弟(安川敬一郎の兄),協力して福岡県内に小炭坑を開坑. 214
|
|
3
|
地域社会
|
明治七年.2.1
|
1874/2/1
|
佐賀の乱起る.2.15~17福岡県・佐賀県管内不穏につき,管内動揺ないよう達示,また県庁より達する外は5人以上の継立又は差出しを禁止.2.19福岡士族500人を召募し編隊.2.20内務卿大久保利通,福岡県に着県,佐賀賊徒征討の儀布令.2.24杉山英三郎・幾島徳(松本潜の弟)貫族兵を率い三瀬口に戦い,幾島戦死.3.1鎮定. 434
|
|
4
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
明治七年.2.-
|
1874/2
|
安川敬一郎,兄幾島徳の戦死(佐賀の乱で)により兄松本潜と相談し鞍手郡東谷炭坑経営に着手.松本潜は大区長勤務のかたわら穂波郡相田炭坑経営. 87
|
|
5
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
この年
|
1876
|
▷松本潜は穂波郡中村・幸袋村と同郡川津村・伊岐須村に至る地所鉱区72万0351坪の採掘権を得て,4月先づ二瀬村大字相田字梅の木谷に開坑し,中野徳次郎を坑主代理とする. 160
|
|
6
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
明治一二年.4.8
|
1879/4/8
|
穂波郡飯塚村松本潜,同郡相田村炭坑を開坑.中原屋へ買入方依頼.中原屋艜1~2艘に積下し,検査して買取る旨,返答. 360
|
|
7
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
明治一二年.9.4
|
1879/9/4
|
吉田忠治郎(鞍手郡金剛村トチトチに新たに891.5坪,計1391.5坪となる,'83.5.29廃業).松本潜(穂波郡相田村片鉾に1020坪)借区許可を受ける. 734
|
|
8
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
明治一二年.12.25
|
1879/12/25
|
服部正太郎(嘉麻郡佐与村奥ノ谷に8000坪).入江勝次(穂波郡相田村寺浦に2借区,計1700坪).松本潜(同郡相田村鬼ケ原および伊岐須村井手浦に計5400坪)借区許可を受ける. 734
|
|
9
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
明治一四年.9.22
|
1881/9/22
|
松本潜,穂波郡相田村片鉾に新たに1750坪の借区許可を受ける. 734
|
|
10
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
この年
|
1882
|
▷松本潜,相田炭坑の坑区を72万坪に拡張. 87
|
|
11
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
明治一九年.1.10
|
1886/1/10
|
坑業組合,委員会開催.委員は1郡2人宛の坑業実行者より選挙された帆足義方・杉山徳三郎・松本潜・行実孫次郎・久保田良蔵ら10人. 453/317
|
|
12
|
企業・労働・災害(明治21~)
|
明治二一年.2.14
|
1888/2/14
|
松本潜出願の石炭坑(穂波郡潤野村ほか)に坑夫取締りのため巡査1人の配置許可される. 453
|
|
13
|
生産・流通(明治21~)
|
この年
|
1888
|
*筑豊主要炭坑(1000万斤以上)と坑主,遠賀郡-大辻(宮田政市)・第二新手(詐斐鷹助)・金谷(南川正雄)・黒川(香月藤七郎)・筑紫(柴田多七),鞍手郡-新手本洞(許斐鷹助)・最上(西野伴七)・側筒谷(飯野双十郎)・来見(三野村利助)・大之浦(貝島太助)・白鶴(入江卯太郎),嘉麻郡-鯰田(麻生太吉)・大城(安川敬一郎)・穂波郡-平野(広岡信五郎)・目尾(杉山徳三郎)・相田(松本潜)・田川郡-起行(行実孫次郎)・峰地(久良知重敏)・小松ケ浦(和田武生)・宮尾(柳沢茂). 376
|
|
14
|
生産・流通(明治21~)
|
この年
|
1890
|
▷松本潜,嘉穂郡相田村の奥野与四郎借区14万坪余を買収(のち相田炭坑を開坑し漸次増区). 321
|
|
15
|
生産・流通(明治21~)
|
明治二四年.4.-
|
1891/4
|
松本潜,高雄炭坑(穂波郡二瀬村)を開坑.支配人中野徳次郎・伊藤伝六('97年旧相田炭坑区を漸次増区し72万5000坪に拡張). 321
|
|
16
|
生産・流通(明治21~)
|
明治二九年.7.-
|
1896/7
|
三菱鯰田,この頃麻生太吉・安川敬一郎・松本潜・野見山米吉らの借区を相次いで譲受ける('97年,更に瓜生長右衛門の借区を譲受け借区延坪数は当初の45万坪余が235万7000坪余に拡張). 321
|
|
17
|
地域社会
|
明治三〇年.11.11
|
1897/11/11
|
若松電燈(株),筑豊鉱業倶楽部で創業総会,発起人安川敬一郎・松本潜・長谷川芳之助・山本周太郎ら,資本金5万円. 456
|
|
18
|
生産・流通(明治21~)
|
明治三一年.2.3
|
1898/2/3
|
三菱,松本潜より貸金返納につき,高雄炭坑を同人名義に書き替え変更. 510
|
|
19
|
生産・流通(明治21~)
|
明治三二年.10.-
|
1899/10
|
八幡製鉄所,高雄炭坑(嘉穂郡伊岐須村,松本潜所有)を骸炭製造原料炭坑として130万円で買収.12月,潤野炭坑(広岡信五郎所有)も買収,両坑併せて二瀬炭坑と呼称.12.9製鉄所二瀬出張所を設置.(以下製鉄二瀬と略称). 328/794
|
|
20
|
生産・流通(明治21~)
|
明治三三年.3.中旬
|
1900/3
|
八幡製鉄所,二瀬村松本潜所有の坑区10万7000余坪を3000余円で買収.5.1大谷村・二瀬村の松本健次郎所有坑区72万5000余坪を119万3000余円で買収.二瀬村・鎮西村の松本潜所有坑区4900坪を買収.10.9穂波村の麻生太吉所有坑区31万8000坪,野見山米吉所有の坑区15万9000余坪を11万7000余円で買収. 542
|
|
21
|
企業・労働・災害(明治21~)
|
明治三四年.2.15
|
1901/2/15
|
松本潜,没. 87/214
|
|
22
|
生産・流通(明治21~)
|
大正四年.7.-
|
1915/7
|
相田炭坑,中野徳次郎の個人経営となる(徒来は松本潜・伊藤伝六らとの共同経営). 482
|
|