筑豊石炭礦業史年表

キーワード:柏木勘八郎
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 慶応二年 1866 〔8.-〕 小倉藩は軍費調達のため慶応2年8月より2ヵ年の間に荒塊石炭1億斤(1万斤につき12両2歩)を若松港で渡すことを条件に,小今井助九郎・柏木勘八郎・中原嘉右衛門(のちの嘉左右)の3人から慶応1年1月~2年7月に前金として元利7万7480両を収納したが,第2次長州征伐で藩は契約履行が出来ないため,小今井ら3人は石炭採掘並びに御下金を藩に出願.これに対し藩より石炭を以って返済するので暫時猶予方の回答あり.慶応4年3人は本件について藩と再談し,次の決定をみる.①慶応2年2月以来,利息月1歩を1歩5朱に引上げる.②石炭は若松で1万斤18両3歩で藩から引渡す.③引渡し石炭は毎年清算し5年以内に完済する,若し石炭採出量が不足の場合は,明治5年秋の収納米を以って引当てる. 58
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2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治四年 1871 〔10.-〕 小今井助九郎・柏木勘八郎・中原嘉左右の藩よりの石炭受取高は累計1293万斤(明治1年2月~明治4年10月)に達したが,予約高1億斤の4分の1にも満たず,元利合計にて11万7234両7合6分の不足. 58
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3 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1887 ▷蔵内次郎作,神戸の鉄道用に峰地炭を納入,また柏木勘八郎・久良知重敏と共に田川郡添田村の10坑区を6坑区84万3609坪に統合. 321/383
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4 生産・流通(明治21~) この年 1891 ▷金田炭坑(田川郡神田村),豊永長吉・柏木勘八郎,海軍予備炭田の解放地区を取得し開坑('92年柏村信に譲渡,'96年3月毛利元昭に譲渡). 188
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5 生産・流通(明治21~) 明治二六年.7.- 1893/7 貝島太助,植木炭坑(鞍手郡植木村字東堤田)4万4575坪を買収し瑞穂炭坑と改称.柏木勘八郎・渡辺壮兵衛と共同経営.坑長貝島嘉蔵. 68
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6 地域社会 明治二八年.10.6 1895/10/6 金辺鉄道(株)創立出願,路線小倉・嘉麻郡熊田村間.発起人加東徳蔵・小室信夫・小沢武夫・安場保和・渋田見与衛・高田善一・山崎忠門(以上東京),守永久吉・清水可正・堤猷久・秋元増太郎・熊谷直侯・柏木勘八郎・日高武八郎(以上福岡県),田川・嘉穂地方の石炭を小倉に直送する目的,申込株数は資本金150万円の18倍に達する.10.24東京で発起人会(1905年経済事情悪化のため任意解散). 736
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7 地域社会 明治二九年.12.1 1896/12/1 筑豊骸炭製造(資),戸畑村に創業,資本金18万5000円,出資者貝島太助・柏木勘八郎・久良知重敏・神崎岩蔵(のちの三菱牧山骸炭工場). 68
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8 地域社会 明治四〇年.7.27 1907/7/27 田川団体設立.同会は蔵内治郎作・熊谷直候・柏木勘八郎の斡旋により各政派一団となり県議候補を予選推挙するもの.8.7初会合,蔵内治郎作を団長に推挙. 542
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9 生産・流通(明治21~) 明治四〇年.9.- 1907/9 峰地炭坑,第一・第二・第三坑を統合して峰地炭坑(田川郡添田町,経営者蔵内保房・柏木勘八郎)と改称する. 318
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10 生産・流通(明治21~) この年 1909 ▷柏木勘八郎,峰地炭坑(田川郡添田村)に15Kw600V発電機1台を据付け,50馬力タービンポンプおよび長さ30尺の撰炭機を設置,電燈にも給電. 318
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11 地域社会 明治四五・大正元年.3.27 1912/3/27 宇の島鉄道(株)設立,発起人柏木勘八郎・友枝梅次郎・蔵内保房ほか('14.1.21宇の島・耶馬渓間開通). 459
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