筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第1群水運
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 地域社会 天保一年.6.22 1830/6/22 〔5.2〕 鞍手郡岡森井手の掘立て間にあわず,金田盤のうち15艘井手上に繋ぎ止め. 569
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2 地域社会 天保一年.6.27 1830/6/27 〔5.7〕 鞍手郡岡森井手附渡船完成(〔4.23〕とりかかり). 82
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3 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保二年.7.26 1831/7/26 〔6.18〕 田川郡金田村庄屋,人見山にて採掘した石炭のうち荒塊炭80万斤を若松へ積下し販売のため,舟運許可を筋奉行へ願い出,許可され,大庄屋の証明にて積み出す. 527
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4 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保二年.8.23 1831/8/23 〔7.16〕 川筋積下しの人見山焚石,草場番所にて差留めとなる.大庄屋または上野七左衛門の証拠にては通舟を認めず(金田茂五郎の証拠によってのみ通舟を認めるという理由から).2日後代官出郡の上折衝,差留めの舟は一応通過を許可され,今後のことは協議することで落着. 569
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5 地域社会 天保四年 1833 〔1.-〕 田川郡の舟運による献上米の輸送は,役所の証明にて,番所通行料免除. 527
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6 地域社会 天保四年 1833 〔3.-〕 岡森井堰着工以来紛糾を続けた田川郡15ヵ村と下流筑前各村との水利権をめぐる抗争,小倉・福岡両藩の交渉により解決. 436
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7 地域社会 この年 1840 ▷田川郡の舟運仕法改正,猪膝盤設置. 569
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8 地域社会 天保一二年.10.19 1841/10/19 〔9.5〕 嘉麻郡綱分触,舟改めを実施. 12
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9 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保一三年 1842 〔12.-〕 筑前4郡より積出しの焚石は,これまで芦屋洲口にて売りさばきのところ,天保13年春より,若松にても売りさばくことになり,この旨堀川請持の吉田村円蔵に通報. 433
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10 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 天保一三年.3.3 1842/3/3 〔1.22〕 遠賀郡吉田村円蔵,遠賀・鞍手免方役所より,赤池焚石旅売吟味ならびに御国焚石旅売吟味を申付けられる. 433
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11 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この頃 1842 ■石炭御仕組一時中止のため,川艜積載焚石の販売・旅船よりの手形受取り・元金渡方などにつき福岡藩で審議. 50
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12 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 弘化一年.4.13 1844/4/13 〔2.26〕 赤池石炭山御郡方御用掛植木六郎右衛門着任. 569
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13 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 弘化一年.4.13 1844/4/13 〔2.26〕 赤池会所の名称,初見. 569
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14 地域社会 弘化一年 1844 〔9.-〕 岡森井手定番善蔵より上境村大庄屋加藤仁助宛に田川郡の通船数を報告.〔1.2~2.30〕400艘.〔3.20~4.20〕108艘.〔5.15~9.22〕250艘. 82
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15 地域社会 弘化一年 1844 〔9.-〕 田川郡上野・金田両盤では,添田盤,伊田・糒舟,猪膝舟などの組合新設のため,赤池蔵米の運送による収益激減,よって両盤をあげ従前通りの積荷割当方を請願. 569
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16 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 弘化一年.10.27 1844/10/27 〔9.16〕 田川郡筋奉行,積荷配分に関し糒・赤池両御蔵,赤池村石炭山および岡森井手見分. 527
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17 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 弘化一年.11.13 1844/11/13 〔10.4〕 田川郡船庄屋金田村実平,苗字を公許され志満津姓を名乗る(後に志摩津または島津). 569
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18 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この頃 1844 ■彦山川と中元寺川との合流点赤池村岩渕にて,下航して来た舟の石炭を大型船に積み替える. 83
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19 地域社会 弘化二年.9.5 1845/9/5 〔8.4〕 岡森井手請持ち上境村加藤仁助より郡代役所へ,田川郡の通船数報告.〔天保15.10.4~弘化2.4.17〕の御米船750艘,〔弘化1年冬~2年7月〕の諸売荷12艘(納銭丁銭600文). 82
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20 地域社会 弘化二年 1845 〔9.-〕 田川郡の舟運組織である金田・上野両盤は猪膝盤の新設によって積荷減少し難渋のため,同盤廃止方を郡方役所に出願. 569
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21 地域社会 弘化四年 1847 〔3.-〕 田川郡上野・金田・添田各盤の船主は,毎年8月に行う貢米運送船の修理につき,小倉船大工の出張をやめ地元田川の船大工にさせるよう,3盤船庄屋および3手永大庄屋の添書を付し,筋奉行へ出願.これに対し小倉船大工惣代肝入りの連名で,従来通りの修理権を認めるよう御船方役所へ願い出る.なお,修理は1日240文の定めであるが,請負にして1艘50匁のところを45匁としてもよい旨申し添える. 527
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22 地域社会 嘉永一年.4.1 1848/4/1 〔2.28〕 田川郡筋奉行,上野・金田・添田3盤に各1艘の場船新規設置方許可. 569
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23 地域社会 嘉永一年 1848 〔10.-〕 鞍手郡岡森定番善蔵,上境村大庄屋加藤仁助へ岡森井手通船報告.(〔弘化3.1.9~12.24〕諸荷物通船数,川艜453艘.〔同年10.6~弘化4.4.14〕豊前米船734艘.〔弘化4.1.12~12.24〕諸荷物通船,川艜497艘.〔同年10.14~翌4.15〕米船630艘.〔弘化3.1~弘化4.12〕諸荷物売の鞍手・遠賀両郡行きの川艜数43艘.納銭丁銭2貫150文). 82
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24 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 嘉永三年.10.25 1850/10/25 〔9.20〕 福岡藩,川艜船頭の焚石積み鑑札改めを実施. 16
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25 地域社会 嘉永四年.4.30 1851/4/30 〔3.29〕 田川郡草場川口の入運上を免除. 569
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26 地域社会 この年 1852 ▷赤池蔵米船として94艘の川舟延556回運航(内訳上野盤172回,金田盤180回,添田盤134回,猪膝盤70回). 569
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