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全国石炭関係
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嘉永六年.5.23
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1853/5/23
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〔4.16〕 ペリーの旗艦サスケハナ号,上海を出航.〔4.19〕ペリー艦隊那覇へ入港. 466
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全国石炭関係
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嘉永六年.6.14
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1853/6/14
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〔5.8〕 ペリー,軍艦2艘を率いて小笠原二見港に入る.ついで,貯炭所用地を買収. 75
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全国石炭関係
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嘉永六年.7.2
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1853/7/2
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〔5.26〕 ペリー,那覇を出航.〔6.3〕浦賀に来航.〔6.6〕江戸湾内小柴沖に進出.〔6.9〕ペリー,久里浜に上陸,大統領親書を幕府に手交. 466/17
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4
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全国石炭関係
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嘉永六年.7.20
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1853/7/20
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〔6.15〕 幕府,ペリー来航を奏聞.〔7.12〕米国大統領親書訳文を提出し,朝廷内に議論沸騰(米国大統領親書は,食料・水の供給のほか,蒸気船燃料としての石炭購入を力説). 584
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5
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全国石炭関係
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嘉永六年.7.26
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1853/7/26
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〔6.21〕 ペリーと艦隊参諜長アダムス,琉球中山府有司と会見.石炭約600tを入れ得る貯炭所の設置(琉球政府において建設して賃貸しするも可),物品購入などを要求.〔6.23〕拒絶の際は王城を占領し国王に直談の旨通牒.〔6.24〕中山府受諾.〔6.24~25〕泊台瀬に貯炭所建設を決定. 17/75/78
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全国石炭関係
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嘉永六年.8.22
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1853/8/22
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〔7.18〕 プチャーチンの率いる4隻の露国艦隊長崎に来航.〔8.19〕国書手交(幕府,回答を延期)〔10.23〕退去. 17/75
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全国石炭関係
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嘉永六年
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1853
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〔9.-〕 幕府,長崎奉行を通じ,軍艦・銃砲・兵書の輸入をオランダ商館長クルチウスに依頼,〔10.5〕購入. 17
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全国石炭関係
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安政一年.1.3
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1854/1/3
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〔12.5〕 プチャーチンの率いる露艦4隻,再度長崎に来航.〔12.20〕国境および和親通商の交渉開始,妥結せず. 17
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全国石炭関係
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安政一年.1.12~24
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1854/1/12~ 1854/1/24
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〔12.14~12.26〕 ペリー艦隊,那覇に集結.〔1.6〕ペリー,琉球王城訪問,貯炭所に衛兵配置の承認等を求める.〔1.16〕ペリー艦隊7隻,小柴沖に投錨.〔2.6,2.21〕各1隻増加. 78/17
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全国石炭関係
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安政一年.3.31
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1854/3/31
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〔3.3〕 横浜にて日米和親条約調印.〔安政2.1.5〕下田にて批准書交換. 17
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全国石炭関係
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安政一年.10.14
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1854/10/14
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〔8.23〕 日英和親条約を長崎で調印. 17
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全国石炭関係
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安政二年.2.7
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1855/2/7
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〔12.21〕 日露和親条約を下田で調印. 17
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全国石炭関係
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この年
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1855
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▷クリミヤ戦争により石炭の需要増大,肥前産石炭(高島・山代)増産.(高島炭の本年出炭量2368万斤).長崎港外に英仏魯軍艦10数隻碇泊.長崎貿易変貌の契機となる. 357
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全国石炭関係
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この年
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1855
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▷オランダ国王,幕府に汽船1隻(観光丸)を贈る(これより幕府・諸藩競って外国より軍艦を購入,石炭需要急激に増加.九州では高島炭・唐津炭が使用される).
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全国石炭関係
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安政三年.1.2
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1856/1/2
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米国ニューヨーク,ブルックリン海軍工廠試験所にて,ペリー艦隊購入の日本炭2種を試焚,カンバーランド炭・基隆炭と比較,日本炭はクリンカーおよび灰分が多い.その原因は露頭採掘のためとされ,深い掘進により品質の良質化は確実と断定される(のちにより綿密な工業分析と原素分析も行なう). 584
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全国石炭関係
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安政三年.1.30
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1856/1/30
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〔12.23〕 日蘭和親条約を長崎で調印. 17
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17
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全国石炭関係
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安政三年
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1856
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〔6.-〕 箱館奉行,白糠へ幕吏を派遣して試掘.見本をイギリス人に鑑定させ,極めて有望の返答により,白糠開発をきめる. 660
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全国石炭関係
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安政三年.8.10
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1856/8/10
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〔7.10〕 オランダ理事官クルチウス,英使節の渡来を幕府に知らせ,列国との通商条約締結を勧告. 17
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全国石炭関係
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安政五年.7.29
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1858/7/29
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〔6.19〕 日米修好通商条約・貿易章程調印.石炭は第二類に属し,輸出税は5分ときめられる. 166
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全国石炭関係
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安政六年.6.28
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1859/6/28
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〔5.28〕 幕府,布告して〔6月〕以降商人の神奈川・長崎・箱館3港における,露・仏・英・蘭・米5国との自由貿易を許可. 17
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全国石炭関係
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安政六年.7.28
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1859/7/28
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〔6.29〕 英国総領事オールコック,幕府に対し,横浜港での石炭・牛・食料品等供給方法確立方を要請.〔7.4〕再度要請.同日,老中,薪水食料を小船にて送ることを承認. 284
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全国石炭関係
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安政六年.10.14
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1859/10/14
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〔9.19〕 T=B=グラバー,上海より長崎に来る(間もなくF=グルームとグラバー商会設立). 665/666/669
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全国石炭関係
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安政六年.11.21
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1859/11/21
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〔10.27〕 長崎町年寄高木源之丞,長崎奉行へ石炭取扱量増大のため専任の取締役の必要を上申. 284
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1859
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▷P=F=シーボルト,江戸参府の途中,筑前にて,炭山開坑につき,福岡藩役人の相談をしばしば受ける(シーボルトは,フオン=ボードインが代理人の和蘭商事会社の利益に鑑み,石炭採掘事業に注目していた). 584
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全国石炭関係
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文久一年.6.3
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1861/6/3
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〔4.25〕 英国公使オールコック,長崎から江戸へむかう途中,肥前武雄附近で炭坑を視察. 281
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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文久一年.6.8
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1861/6/8
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〔5.1〕 オールコック,内野・木屋瀬間の遠賀川土手に貯炭場を見,川艜に関心を持つ. 281
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全国石炭関係
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文久三年.6.25
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1863/6/25
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〔5.10〕 長州藩,軍艦2艦をして豊前田の浦沖仮泊の米船を砲撃(この後,下関事件拡大). 17
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全国石炭関係
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この年
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1863
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*台湾の基隆・高雄両港開港,船舶の出入増加し,基隆附近の年間出炭額6000tないし1万8000tに達する.輸出炭に対し,輸出税の半額に相当する釐金税を賦課. 532
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地域社会
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元治一年.9.4
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1864/9/4
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〔8.4〕 英仏米蘭4国連合艦隊18艘,田野浦沖に来泊.〔8.5〕馬関砲撃.大砲,朝より暮方まで大小372発町家郡屋に響き,壁の破損も生ずる. 569/436
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全国石炭関係
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元治一年.10.3
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1864/10/3
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〔9.3〕 4国連合艦隊,姫島(国東半島沖)に結集し,石炭の補給を行なう.この時,英艦隊旗艦ユーリアラス号,石炭150tを積み込む. 21
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地域社会
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慶応一年.2.5
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1865/2/5
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〔1.10〕 英国軍艦4隻,筑前の海岸測量のため,博多湾に来航. 581
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全国石炭関係
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明治一年
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1868
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〔12.-〕 英・蘭・普の三国公使,長崎運上所が汽船自用の石炭に課税したのを不法とし,その停止を幕府に要求.幕府,これを長崎奉行に諮問.この月奉行河津祐邦,無税を可とする旨を答申. 17
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全国石炭関係
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明治三年.3.14
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1870/3/14
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〔2.13〕 樺太開拓使設置. 708
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全国石炭関係
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明治三年.10.10
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1870/10/10
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〔9.16〕 長崎英領事館においてグラバー商会の債権者会議開催,商会は破産の宣告を受け解散. 669
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全国石炭関係
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この年
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1870
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▷台湾で従来の禁制を改め,一定の地域に限り石炭の採掘を公許,当時基隆方面の炭坑数92ヵ所のうち開掘中のもの48坑.鉱業人(煤戸)は鉱山の外国人への賃貸を禁ぜられ,外国洋行とかって関係あるものは不許可. 532
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