筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第2群塩田
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 全国石炭関係 この年 1854 ▷長州藩,九州炭の不足を見越し,国産炭の他国売りを厳禁. 551
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2 全国石炭関係 この年 1855 ▷佐賀藩,高島・香焼島から石炭約1606万斤,山代・北方・多久地方で230万斤を採炭(前者の分はオランダと取引). 179
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3 全国石炭関係 この年 1855 ▷オランダ国王,幕府に汽船1隻(観光丸)を贈る(これより幕府・諸藩競って外国より軍艦を購入,石炭需要急激に増加.九州では高島炭・唐津炭が使用される).
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4 全国石炭関係 安政六年.8.21 1859/8/21 〔7.23〕 幕府海防掛,江戸表へ三池炭回漕を計画.必要日数,代価などにつき,立花出雲守家臣塚本七右衛門に諮問(海上およそ60日余,値段はおよそ100斤につき正銀10匁余と返答). 436
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5 全国石炭関係 万延一年.1.10 1860/1/10 〔12.18〕 英国総領事オールコック,神奈川奉行に対し,石炭500ピクルの供給を要請. 284
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6 全国石炭関係 文久一年 1861 〔12.-〕 長州藩,下関にて,神奈川より長崎へ廻航の英国船に,石炭2万4200斤を,銀1貫694匁で売却. 551
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7 全国石炭関係 文久一年.3.13 1861/3/13 〔2.3〕 露国軍艦1隻,下関に来泊.長州藩搭乗邦人の要請により,石炭を支給. 17
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8 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 文久一年 1861 〔4.-〕 田川郡赤池村坊主ケ谷焚石は長州三田尻塩浜にて制限なく引受け,代金は時相場で半方現金,半方30日の延渡しとし,会所より支払う旨の約定書を,小倉焚石方役所と三田尻塩浜大会所の間にとりかわす. 500
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9 全国石炭関係 文久一年.5.8 1861/5/8 〔3.29〕 長州塩浜大会所,翌晦日に三池炭・赤池炭の値立(価格決定)を行なうため年寄と惣代一両人宛出会を,4ヵ所浜へ申達. 500
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10 全国石炭関係 文久二年.8.13 1862/8/13 〔7.18〕 長州三田尻塩浜石炭高値となる.そのため炭積船入津の時,会所へ通達し地下・問屋にて見分けの上値段を決め,会所で商うことを大会所より炭問屋中へ申達. 500
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11 全国石炭関係 慶応一年 1865 〔1.-〕 松平対馬守・松平備中守・小栗上野介など7人,評議の上,石炭掘取方に関する意見書をとりまとめ,その生産・供給の統制法を幕府へ献策(海軍拡張や外国船への石炭売渡しの増大に伴い,乱掘・価格つり上げの弊害が生じたため). 62
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12 全国石炭関係 慶応一年.9.1 1865/9/1 〔7.12〕 幕府,長州再征により,杵築藩に対し石炭100万斤を姫島(豊後)に貯蔵する旨達示.〔9.21〕長州再征の勅許をうける. 17
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13 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 慶応二年 1866 〔8.-〕 小倉藩は軍費調達のため慶応2年8月より2ヵ年の間に荒塊石炭1億斤(1万斤につき12両2歩)を若松港で渡すことを条件に,小今井助九郎・柏木勘八郎・中原嘉右衛門(のちの嘉左右)の3人から慶応1年1月~2年7月に前金として元利7万7480両を収納したが,第2次長州征伐で藩は契約履行が出来ないため,小今井ら3人は石炭採掘並びに御下金を藩に出願.これに対し藩より石炭を以って返済するので暫時猶予方の回答あり.慶応4年3人は本件について藩と再談し,次の決定をみる.①慶応2年2月以来,利息月1歩を1歩5朱に引上げる.②石炭は若松で1万斤18両3歩で藩から引渡す.③引渡し石炭は毎年清算し5年以内に完済する,若し石炭採出量が不足の場合は,明治5年秋の収納米を以って引当てる. 58
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14 全国石炭関係 慶応二年.7.30 1866/7/30 〔6.19〕 幕府,横浜製鉄所需用として,従来石炭は陸奥・磐城産を購入していたが,三池藩主立花飛弾守の江戸邸吏に伝達し,三池炭を横須賀製鉄所・横浜製鉄所に試用. 559
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15 全国石炭関係 明治二年 1869 〔2.-〕 外国人,唐津石炭を<よろしき品>として高く解価. 413
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16 全国石炭関係 明治五年.12.4 1872/12/4 〔11.4〕 【全国石炭関係補遺】海軍省,横浜製作所を横浜製造所と改称. 708
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