筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第2群災害
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 地域社会 嘉永六年.4.4 1853/4/4 〔2.26〕 田川郡糒蔵出火,役所・長屋・番所・蔵3棟全焼. 569
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2 地域社会 嘉永六年 1853 〔7.-〕 大干魃のため鞍手郡木屋瀬・野面・感田村田方養水取のため,木屋瀬村上六本松の遠賀川に井手築立.遠賀川川下26ヵ村と対立,1000人余の農民対峙. 237
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3 地域社会 安政一年.12.24 1854/12/24 〔11.5〕 筑豊肥にわたり大地震. 432/132
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4 地域社会 安政二年.7.31~8.28 1855/7/31~
1855/8/28
〔6.18~7.16〕 干天.遠賀地方,雨乞火立行なわれる. 553
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5 地域社会 この年 1857 ▷田川郡内大雪,風邪流行. 292
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6 地域社会 安政五年.9.29 1858/9/29 〔8.23〕 幕府,全国的なコレラ流行に対し,治療・予防法を頒布.〔9月〕豊前・筑前,悪病流行. 17/82
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7 地域社会 安政五年.10.25 1858/10/25 〔9.19〕 田川郡香春の吉松七三郎,種痘実施. 358
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8 地域社会 安政六年 1859 〔7.-〕 コロリ流行.〔8.15〕小倉でコロリ退除の祈祷. 435/436
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9 地域社会 安政六年.9.3 1859/9/3 〔8.7〕 伝染病防止のための打上げ花火により田川郡香春町40余戸焼火. 358
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10 地域社会 安政六年.10.4 1859/10/4 〔9.9〕 地震,〔9.23〕まで続く. 436
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11 地域社会 文久一年 1861 〔6.-~7.-〕 田川郡内50日余も日照り,大干魃. 239
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12 地域社会 文久二年.7.24 1862/7/24 〔6.28〕 春以来悪性痲疹大流行,死者多数,物価高により生活困窮の者多数につき,郡代より施薬. 436
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13 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 慶応一年 1865 〔4.-〕 焚石役所より遠賀・鞍手山元の見ケ〆役有吉八次郎叱責をうく(前年,伊丹九郎左衛門・山内平六郎等の建山の焚石受持山元出願許可以外に余分の石炭を積出した廉による). 12
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14 地域社会 慶応一年 1865 〔4.-〕 小倉板櫃川の火薬製造所爆発. 436
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15 地域社会 慶応一年.8.7 1865/8/7 〔6.16〕 田川郡金田村先日より不穏につき手永三役,庄屋資宗彦五郎方に入込み取調べ. 569
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16 地域社会 明治四年.11.1 1871/11/1 〔9.19〕 田川郡の農民,旧藩主の東京出発見送りの帰途,七曲峠にて,米価下落・諸物価高騰・庄屋の不正等を理由に一揆.〔9.20〕田川郡一円に及ぶ.21人捕えられ首謀者上伊田村平四郎・中津原村伊三郎斬罪. 434/45/94
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17 地域社会 この年 1872 ▷嘉麻・穂波両郡干魃と虫害により凶作・飢饉深刻. 23
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