筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第3群塩田
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 全国石炭関係 明治六年.9.- 1873/9 日本坑法の実施に伴い,唐津岩屋地方の薩摩坑区は海軍予備炭田に編入され,ついで平山・岸山・稗田等の優良坑も編入. 91
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2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治六年.10.6 1873/10/6 石炭不況のため,鞍手地方において炭価軒並み1割値下げ. 521
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3 全国石炭関係 この年 1873 ▷久留米・肥後山は,閉鎖と同時に海軍予備炭田に編入. 44
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4 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.1.- 1875/1 長雨による製塩用石炭の需要減退に災いされ,安川敬一郎の炭坑経営苦境,博多商人堺惣平より資金の融通をうけ危機を脱出. 214
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5 全国石炭関係 この年 1875 ▷坂本経懿は予備炭・剰余炭の払下げを一手に引きうけ,海軍剰余炭売捌所を設立,また高取伊好・松尾金三らと共に予備炭田の解放を出願. 62
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6 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この頃 1875 ■福岡県における石炭礦場数 遠賀郡-野間1,戸切2,虫生津1,香月1,中間2,岩瀬3,吉田1,〓(エブリ)1,計12礦. 鞍手郡-直方町1,山部2,新多5,勝野5,赤地4,御徳13,中泉2,下境6,中山1,木月3,古門1,新延4,長谷3,八尋4,蟻光2,鶴田3,上大隈2,宮田4長井鶴1,四郎丸5,計71礦. 穂波郡-馬敷1,元吉1,大分1,忠隈2,南尾1,潤野1,花瀬1,伊岐須1,相田7,庄司1,中2,目尾2,計21礦. 嘉麻郡-勢田7,鯰田10,佐与1,有井6,立岩4,有安2,下三緒3,上三緒4,綱分2,山野3,鴨生2,才田1,漆生2,下山田3,光代1,牛隈2,西ノ郷1,計54礦. 粕屋郡-志免1,井野1,炭焼8,宇美4,新原1,篠栗2,立花口1,合計18礦. 宗像郡-池田1,朝町1,合計2礦. 席田郡-平尾1,下月隈1,雀居1,合計3礦. 早良郡-麁原1.総計182礦. 435/433
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7 全国石炭関係 明治九年.2.4 1876/2/4 政府は越後地方で石油試掘に着手. 221
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8 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治九年.4.- 1876/4 石炭不景気,上等1万斤8円60銭・中等7円80銭・下等7円20銭.11月には上等1万斤9円以下・中等8円内外・下等7円内外,米1俵1円36銭位. 521
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9 全国石炭関係 明治九年.12.5 1876/12/5 政府,高島石炭の輸出を長崎経由から直輸出に改めることを許可. 467
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10 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治九年.12.13 1876/12/13 海軍省,企救郡田ノ浦に石炭囲場を設置.'78.1.10長崎出張所の管轄とする. 467
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11 全国石炭関係 この年 1877 *西南の役のため九州の出炭が減少し,京浜地方への石炭供給不足となり,常磐炭田が注目される. 225/7
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12 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一一年.1.10 1878/1/10 海軍省,豊前国企救郡田ノ浦の石炭庫を長崎出張所所轄とする. 628
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13 全国石炭関係 この年 1878 ▷唐津に唐津海軍炭田用所を置き,相知村に同出張所を置く.一方艦船に積込みの便利な呼子殿の浦に貯炭場を設置. 91
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14 全国石炭関係 明治一二年.5.26 1879/5/26 三井物産,英国風帆船「リディア号」・独国船「ヘルマン号」を雇い石炭の清国上海輸出を工部省より許可される. 162
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15 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1879 *県内石炭採掘箇所502ヵ所,粕屋郡24・遠賀郡37・嘉麻郡119・穂波郡71・鞍手郡156・田川郡87,採掘坪数58万9481坪. 442
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16 全国石炭関係 明治一三年.2.20 1880/2/20 陸軍省・海軍省・工部省連署して太政官に製鉄所建設を稟議.2.27聴許. 162/536
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17 全国石炭関係 この年 1881 ▷防州三田尻塩田の需要炭,第1位若松,第2位船木・元山,第三位三池,1ヵ年約6000万斤. 95
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18 全国石炭関係 明治一五年.4.29 1882/4/29 唐津炭を直接海外に輸出することを許可(従前は長崎に送り輸出),また三池煤炭を口ノ津より輸出することを許可. 536
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19 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1883 *福岡県出炭高-合計4億0878万2460斤,粕屋郡3135万5780斤,遠賀郡1億2837万1498斤,鞍手郡1560万1080斤,嘉麻郡5464万6900斤,穂波郡7199万3602斤,田川郡3391万0400斤. 442
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20 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1884 *福岡県坑数631ヵ所,客年中自ら廃したもの23ヵ所,坑区税未納または1ヵ年以上休業のため廃業処分28ヵ所,新借区許可21ヵ所. 427
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21 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.5.- 1885/5 炭価の下落により筑豊の各炭坑主は苦境.しかし川艜船頭は人手不足から高運賃で悦ぶ. 453
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22 全国石炭関係 明治一八年.11.18 1885/11/18 海軍省,海軍予備炭田唐津地区を一部解放.代替地として福岡県の炭田封鎖を決定,その準備措置として県下一帯の借区出願を差止める(解放した唐津・相知地区の芳ケ谷・相知・牟田部・岸嶽・厳木の各坑は民営として操業開始). 221
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23 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.11.18 1885/11/18 海軍省調度局,唐津の海軍予備炭田の一部放棄する代替措置として田川郡を封鎖することとし,農商務省と協議のうえその準備に福岡県下一帯の増借区出願を停止. 221
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24 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.12.6 1885/12/6 行実孫次郎(田川郡宮尾炭坑々主)帆足義方(鞍手郡直方斯波炭坑主)の両人は筑豊炭坑主の代表として,来県中の海軍中佐田中常民に対し,海軍御用炭として筑豊炭買上方を陳情. 453
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25 全国石炭関係 明治一九年.5.- 1886/5 石炭界不況,日清貿易の第1位は石炭,日本炭の売込みはますます増加するも炭価は下落.長崎港石炭相場,高島(塊炭)4ドル51セント・三池(同)3.50・唐津2.75・多久2.75,上海の貯炭も3万~4万t. 336/376
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26 全国石炭関係 明治一九年.6.3 1886/6/3 海軍省,唐津石炭用所章程を廃止し,同所官制を制定.唐津石炭用所は横須賀鎮守府の管理に所属,'90.1.24同石炭用所廃止. 376/467/628
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27 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.7.5 1886/7/5 福岡県告示,当分の間次の地区の石炭試掘借区共出願を差止める.粕屋郡高田村・津波黒村・田仲村・大熊村・尾仲村・篠栗村・和田村・酒殿村・宇美村,田川郡赤池村,鞍手郡上新入村・中泉村. 453
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28 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.7.- 1886/7 海軍省,海軍用炭採掘中の唐津炭山が埋蔵量僅少のため,他の炭山の物色にとりかかり,このため粕屋・嘉麻両郡の新借区願いを禁止するか,稼行中の高島・三池両炭坑に振替えるかを,大蔵・農商務両省に照会中と新聞報道. 453
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29 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.8.- 1886/8 日本石炭会社創立,資本金30万円,本社は東京,神戸・門司に支店,若松に出張所,直方に坑務総設所を置く.社長吉田千足,取締役に広岡信五郎・帆足義方・中沢彦吉・富浜忠恕. 453
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30 全国石炭関係 明治一九年.11.18 1886/11/18 海軍省,艦政局に石炭調査委員を設け全国各地の炭質を調査.新原海軍炭山の端緒となる. 61
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