1
|
全国石炭関係
|
明治六年.2.-
|
1873/2
|
開拓使,雇外人米人ライマンを主任とし道内の地質・鉱床を調査. 71
|
|
2
|
全国石炭関係
|
明治六年.4.-
|
1873/4
|
ライマン,北海道地質鉱床調査中のところ,茅沼炭坑を測量. 64
|
|
3
|
地域社会
|
明治六年.4.-
|
1873/4
|
福岡県は小倉に医学校病院を設立('78.7.26廃止となり,12年9月に企救郡立小倉医学校兼病院として再発足). 539
|
|
4
|
地域社会
|
明治六年.6.10
|
1873/6/10
|
太政官布告をもって,これまで府県において目安箱設置のところ,以後廃止.但し,建言・上書等は集議院並に各地方庁へ直ちに差出すことを命ずる. 708
|
|
5
|
全国石炭関係
|
明治六年.8.2
|
1873/8/2
|
工部省,鉱業のため外国技術方を雇入れる者は鉱山寮へ協議せしめ,資本金なき者には稼方を許さない旨,通達. 708
|
|
6
|
全国石炭関係
|
明治六年.8.末~12.-
|
1873/8~ 1873/12
|
榎本武揚,イクシベツ空知川沿岸の石炭産地を調査,石狩石炭山運送コース・資金調査についてケプロンと対立. 593
|
|
7
|
地域社会
|
明治六年.12.4
|
1873/12/4
|
福岡県各駅に陸運会社,大阪陸運元会社規則に準じ開業. 434
|
|
8
|
全国石炭関係
|
この年
|
1873
|
▷大鳥圭介,洋行して鉱山調査,器械購入にあたる. 593
|
|
9
|
全国石炭関係
|
明治七年.1.16
|
1874/1/16
|
高島炭坑を官営とし,長崎浦五島町に鉱山寮仮出張所を設置,鉱山権助伊東保義を派遣して主任とする. 162
|
|
10
|
全国石炭関係
|
明治七年.2.-
|
1874/2
|
政府は釜石鉱山を官営とし,5.21釜石支庁を設置. 162/221
|
|
11
|
全国石炭関係
|
明治七年.4.-
|
1874/4
|
ライマンは岩内煤田報告を,補助手モンローは煤炭分析報告をそれぞれ提出. 71
|
|
12
|
全国石炭関係
|
明治七年.11.10
|
1874/11/10
|
後藤象二郎・小室信夫,工部省へ高島炭坑売与を請願(のち後藤1人を以て担当するを東京府より具申).工部省は太政官に稟議.12.23工部大輔山尾庸三長崎に派出,当炭坑の営業をその買受人に交付.払下げ代金55万円,うち20万円即金上納. 162/29
|
|
13
|
全国石炭関係
|
明治八年.1.-
|
1875/1
|
高島炭坑払下げに伴い,高取伊好は工部省を辞し,後藤象二郎の雇員となり,同坑の技術を管掌.また,竹内綱も差配にあたる. 290/29
|
|
14
|
全国石炭関係
|
明治八年.4.-
|
1875/4
|
ライマン,幌内炭田を測量し,幌内より幌向太に至る運炭鉄道路線を定める. 71
|
|
15
|
全国石炭関係
|
明治九年.5.18
|
1876/5/18
|
ライマン,<日本北海道茅沼地質及び地理的概測の図>を完成.9.23<北海道地質総論>を提出. 64
|
|
16
|
筑豊石炭関係(天保1~明治20)
|
明治九年.8.-
|
1876/8
|
貝島太助,鞍手郡直方村切貫江田助次郎の借区500坪に開坑,このときはじめて坑夫納屋に畳を敷く. 70
|
|
17
|
全国石炭関係
|
この年
|
1876
|
▷ライマン,工部省の委嘱で2ヵ年にわたり,信濃・越後方面の油田調査を行なう. 386
|
|
18
|
全国石炭関係
|
明治一〇年.1.11
|
1877/1/11
|
工部省に鉄道・鉱山・電信・工作・灯台・営繕・書記・会計・検査・倉庫の10部門設置(1.27工部省達).同時に各鉱山支庁をそれぞれ,佐渡・生野・三池・阿仁・院内鉱山分局とし,各製作所等を長崎・兵庫・赤羽・深川工作分局と称する.工部大学校に鉱山学科・冶金学科を設置(鉱山寮は鉱山局と改称). 162
|
|
19
|
地域社会
|
明治一〇年.3.-
|
1877/3
|
≪筑紫新聞≫創刊. 650
|
|
20
|
地域社会
|
明治一〇年.8.21
|
1877/8/21
|
小倉船頭町の大阪屋を校舎として,医学校開校.病院も附設.'78年医学校は廃止,病院は公立として継続. 169
|
|
21
|
地域社会
|
明治一〇年.8.28
|
1877/8/28
|
≪福岡新聞≫発行. 802
|
|
22
|
全国石炭関係
|
明治一〇年.9.8
|
1877/9/8
|
東京大学理学部に採鉱学科を設置(4.12東京開成学校・東京医学校を合併して東京大学と改称,法・理・文・医の4学部を設置). 649
|
|
23
|
地域社会
|
この年
|
1877
|
▷西南の役を契機に,田川郡内に博愛会を設置. 292
|
|
24
|
全国石炭関係
|
明治一一年.2.-
|
1878/2
|
後藤象二郎,高島炭坑代理人ジャーディン=マジソンを解約,蓬莱社の直接経営に移す.'79年6月に示談成立. 703/410
|
|
25
|
地域社会
|
明治一一年.12.-
|
1878/12
|
≪めさまし新聞≫,福岡で創刊. 640
|
|
26
|
全国石炭関係
|
明治一二年.3.-
|
1879/3
|
工部省,傭外人技師を漸次解任することを決定('84年までに全員解雇). 162/221
|
|
27
|
地域社会
|
明治一二年.6.27
|
1879/6/27
|
太政官布告,コレラ病予防仮規則布告. 708
|
|
28
|
地域社会
|
明治一三年.4.17
|
1880/4/17
|
≪筑紫新報≫,≪福岡日々新聞≫と改題発刊.社長諏訪楯本.
|
|
29
|
全国石炭関係
|
明治一三年.9.10
|
1880/9/10
|
釜石鉱山製鉄所,25t高炉火入れ.12.15木炭欠乏のため操業中止. 162
|
|
30
|
全国石炭関係
|
明治一八年.9.29
|
1885/9/29
|
日本郵船会社,設立認可.10.1開業. 202/767
|
|
31
|
全国石炭関係
|
明治一八年.10.-
|
1885/10
|
三菱会社,海運事業を日本郵船会社へ移管.新たに代理店を横浜・神戸・大阪・函館・上海の各地に置き高島炭の販売を周旋. 510
|
|
32
|
全国石炭関係
|
明治一九年.5.20
|
1886/5/20
|
三菱高島,各納屋便所を悉く改築し住民の清潔をはかる.5.29昨年流行病患者発生の場所の床下に石炭酸水を撒布. 395
|
|