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地域社会
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明治六年.6.16
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1873/6/16
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田川郡猪膝村の目取(米相場の通信係)に抗議に押しかけた嘉麻郡大隈村の農民との紛争が契機となって農民騒擾起り,人家打ち毀し.8郡に拡大,所謂<竹槍一揆>.6.18周辺鎮撫のため官員・兵士数百人を小竹駅へ派遣.6.24福岡県,小野組に騒擾鎮撫資金1万5000円を献金させる(7.17大蔵省,献金の取消を命ずる).6.26熊本鎮台田中陸軍中佐3小隊を率い出張.6.29鎮定. 303/537
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地域社会
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この年
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1873
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▷九州一帯干魃,米価高騰し人民困窮. 132
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地域社会
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明治七年.2.1
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1874/2/1
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佐賀の乱起る.2.15~17福岡県・佐賀県管内不穏につき,管内動揺ないよう達示,また県庁より達する外は5人以上の継立又は差出しを禁止.2.19福岡士族500人を召募し編隊.2.20内務卿大久保利通,福岡県に着県,佐賀賊徒征討の儀布令.2.24杉山英三郎・幾島徳(松本潜の弟)貫族兵を率い三瀬口に戦い,幾島戦死.3.1鎮定. 434
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地域社会
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明治七年.5.-
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1874/5
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田川郡内降雨なく,秋の収穫遅延. 126
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5
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地域社会
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明治七年.8.20
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1874/8/20
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暴風雨のため,県より災害救援金700円を田川郡に配分. 539
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1874
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▷鞍手郡目尾村の瓜生伊三郎・高野正蔵は村内で6万坪を借区,梅の木谷に斜坑と竪坑を開さく.'76年8月排水困難のため,杉山徳三郎に譲渡. 160
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全国石炭関係
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明治八年.12.4
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1875/12/4
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高島炭坑第2坑内でガス爆発,坑夫40人死亡31人負傷. 162
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1875
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▷貝島太助,田川郡糸田坑の頭領大玉五兵衛と争って田川を去る. 70
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全国石炭関係
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この年
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1875
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▷海軍省所轄の石炭坑の影響で溢水などで田畑の被害が生じているため,かかる被害を及ぼすおそれのある場所では,石炭操業を不許可とするよう,東松浦郡平山村より佐賀県へ出願. 154
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地域社会
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明治九年.10.26
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1876/10/26
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旧秋月藩の士族200余人,熊本の〝神風連の変〟に呼応して決起〝秋月の乱〟をおこす.10.27叛徒嘉麻郡大隈より田川郡猪膝村に向い,中途小区役場・巡査分屯所に乱入.10.28田川郡油須原より京都郡豊津に向け進撃.鎮台小倉分管乃木希典少佐鎮圧のため進軍を発令.10.29叛徒豊津士族の同調を得られず,到着した鎮台兵の攻撃をうけ敗退.10.31熊本鎮台兵の進撃に,朝倉郡江川村で殆ど降伏または自首.12.3福岡臨時裁判所で首謀者益田静方・今村百八郎に斬罪,18人に懲役の判決. 435
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地域社会
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明治九年.12.8
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1876/12/8
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内務省達,九州地方及び中国筋賊徒暴動平定につき臨時召募巡査を解散. 708
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地域社会
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明治一〇年.1.30
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1877/1/30
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西南戦争勃発(9.24鎮定).
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地域社会
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明治一〇年.3.28
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1877/3/28
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福岡の士族越智彦四郎等,西郷軍に呼応して決起福岡城を攻撃して敗退,〝福岡の変〟(後年の炭坑主平岡浩太郎も参加,また一時平岡をかくまった鞍手郡の許斐鷹助も西郷軍に投じようとして失敗). 640/138
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地域社会
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明治一〇年.8.26
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1877/8/26
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北九州一円暴風雨. 170
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地域社会
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明治一〇年.10.12
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1877/10/12
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(9.26~10.12)福岡県下のコレラ患者79人,うち死亡32人.
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一〇年.10.頃
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1877/10
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明治炭坑坑夫,西南の役により坑夫が軍夫に転じ労働力に不足を生じ,これを好機に数回にわたり賃上げ要求をし,会社側困惑. 394/358
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地域社会
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この年
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1878
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▷田川郡,田植期に旱魃,48日間雨なく蝗害で米作不良.米価1俵2円22銭. 469
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地域社会
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明治一二年.6~7.-
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1879/6~ 1879/7
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コレラ大流行,県令をもって郡村に予防委員を設け摂生法をすすめる.全国死者10余万人. 292/132
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地域社会
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明治一三年.5.-
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1880/5
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田川郡一帯にコレラ流行,聯合町村会を開いて対策を協議.予防費として田川郡に37円35銭2厘の御納戸金を下賜. 292/294
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一五年.6.23
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1882/6/23
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遠賀川下流,大浜水で炭坑の水没多数. 360
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地域社会
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明治一五年.6.23
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1882/6/23
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福岡・長崎・熊本3県に暴風雨,堤防決潰・家屋流失・人畜死傷など被害甚大. 432
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地域社会
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明治一六年.1.~6.-
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1883/1~ 1883/6
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福岡県下の流行病患者数と死亡者数.天然痘600・114,腸チフス193・53,赤痢2・1,その他計804・171. 695
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地域社会
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明治一六年.7.-
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1883/7
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福岡県では7月以降48日間,殆んど降雨なく,農民は灌既に苦しみ水論起る.8.15田川郡伊方村では旱害甚大のため赤坂八幡社で雨乞い祈祷が5昼夜続く.8.18旧手永大社13社は到津八幡で雨乞い祈願,翌19日雷雨沛然豪雨が一昼夜続き河川増水. 432/469
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地域社会
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明治一七年.8.25
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1884/8/25
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福岡県下暴風雨,死者24人,負傷20人,家屋倒潰1910戸,道路破損1547ヵ所,橋梁流失285ヵ所. 427
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地域社会
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明治一七年.9.17
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1884/9/17
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福岡県下暴風雨.死亡18人,負傷35人,家屋倒壊5155戸,道路破損2069ヵ所,橋梁流失294ヵ所,豊前地方も稀有の大災害,田川郡では俗にいう山潮を湧出,田川郡伊方・弁城の小学校舎倒壊,民家の納屋を借りて仮校舎とする,住民は凶作のため草根木皮で生命を繋ぐ.田川郡位登村皆川保二は凶作に悩む村民救済のため,醤油20石を施与. 132/469/13
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地域社会
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明治一八年.8.25
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1885/8/25
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大暴風雨,洪水による県内の家屋の流失倒壊6万3500戸・耕地被害5208町5反・溺死者24人・破船234艘. 432
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全国石炭関係
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この年
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1885
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▷三菱高島,坑夫死亡者数844人.その内,コレラによる者561人に上る. 395
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一九年.2.25
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1886/2/25
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帆足義方経営の炭坑(鞍手郡直方),中だきの汽罐が,火夫の不注意により爆破. 453
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一九年.4.5
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1886/4/5
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斯波炭坑(鞍手郡直方切貫)片盤13間四方崩れ落ち直方川堤防16間と家屋1軒が埋没. 453
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