筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第3群産業
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治六年.3.2 1873/3/2 中原屋,赤池石炭役所へ石炭代金送金,金札500両,引替分29両,札10両1歩(このころ赤池石炭方改め,石炭役所となる). 360
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2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治六年.10.- 1873/10 麻生太吉,忠隈山王谷にて採炭.11月麻生太吉有井山を他の2人と共同で採炭. 9
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3 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治六年.11.17 1873/11/17 長副喜三郎,田川郡大熊村片又石炭山1ヵ所にて従前より所持の器械で採炭の旨届出る. 569
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4 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1873 ▷中野徳次郎,遠賀郡香月村名前坑を操業,若松相場1万斤1貫919文の高値つく.また伊岐須・勢田で骸炭製造に着手し造幣局(大阪)に納入を志すも失敗(中野談). 542
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5 地域社会 この年 1873 ▷田川郡採銅所村・香春村に石灰坑開坑,年間20万斤・1万8000斤をそれぞれ焼立. 654
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6 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治七年.2.24 1874/2/24 中原屋,東京方面石炭高値につき3.5までに荒塊上石炭50万斤若松着を赤池石炭取扱所に指示. 360
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7 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治七年.2.- 1874/2 安川敬一郎,兄幾島徳の戦死(佐賀の乱で)により兄松本潜と相談し鞍手郡東谷炭坑経営に着手.松本潜は大区長勤務のかたわら穂波郡相田炭坑経営. 87
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8 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治七年 1874 〔8.-〕 入江喜平,鞍手郡四郎村丸京野楠ケ元入江六助石炭借区の内,坑1口を〔昨年9月~当年4月〕まで1ヵ月1人前の揚銭60銭,〔5月~8月〕までは同40銭の条件で受負掘. 521
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9 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治七年.10.- 1874/10 中原屋より田川郡安永松市へ石炭資本金貸付. 360
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10 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治七年.11.4 1874/11/4 中原嘉左右,赤池で石炭1000万斤の買付け交渉(前借一山につき100円の条件). 360
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11 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治七年.12.3 1874/12/3 中原嘉左右,穂波郡石炭方清水清へ石炭資本金3000円貸与(但し.6.11に1000円渡し済み). 360
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12 地域社会 この年 1874 ▷田川郡上弓削田・下弓削田・見立各村で石灰坑8坑開坑,年産24万5000斤を焼立. 654
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13 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.2.2 1875/2/2 中原嘉左右,石炭山元井上壮五郎・佐々木進平へ石炭引当てで貸金. 360
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14 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.2.14 1875/2/14 遠賀郡芦屋村石炭採出人惣代中藤庄助・二場新助および田川郡下伊田の証人西部清作等は福島栄次郎・中原嘉兵衛との間に石炭売込みに関し契約. 320
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15 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.8.19 1875/8/19 田川郡宮尾村津川平次郎,'75年3月~4月の出炭量勘定書を提出.出炭荒石65万9650斤,この内欠石・粉石を除いて40万斤を赤池村送炭,代金420円で中原嘉左右に売払う(1万斤10円50銭,採炭より赤池村着まで諸入用金300円,残120円の利益). 569
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16 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.8.19 1875/8/19 田川郡後藤寺村津川勝郎治・稲田芳平より'75年11月~'76年4月の宮尾村地式字小沓ケ浦の石炭勘定書提出.出炭荒石150万6000斤,欠石・粉石を除いて74万9680斤を赤池村へ送炭,この内17万3340斤を中原嘉左右に売払い,57万6340斤を清水平次へ売る,売払代金計824円60銭(1万斤11円,諸入用費589円69銭6厘8毛を差引いて234円90銭3厘2毛が利益). 569
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17 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.8.25 1875/8/25 田川郡宮尾村谷川種七,'75年1月~2月の勘定書提出.荒石106万0300斤,同村地式字辻で採掘,うち欠石・粉石を除き51万9600斤を赤池村へ送炭,代金571円56銭(1万斤11円)で後田半五郎へ売払う(内諸入用金393円75銭を差引,残177円81銭の利益). 569
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18 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.8.25 1875/8/25 田川郡宮尾村中藤庄助より1月~2月の石炭勘定書提出.荒石209万3940斤,うち欠石・粉石を除き110万4470斤を赤池村送炭,1万斤10円で中原嘉左右へ売払う,代金1104円47銭(内諸入用金773円12銭5厘,残331円34銭5厘の利益). 569
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19 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.8.27 1875/8/27 田川郡下弓削田村士族岡村利一郎・加治勘次郎より'74年6月~12月の石炭勘定書提出.荒石111万7959斤,宮尾村地式字小原で採炭,そのうち欠石・粉石を除いて55万8979斤を赤池村へ送炭,1万斤につき12円,代金670円87銭5厘(内諸入用金592円51銭6厘,残78円35銭9厘2毛が利益). 569
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20 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治八年.8.- 1875/8 貝島太助,田川郡西弓削田4尺坑に赴き,大頭領渡辺弥右衛門の下で坑内頭領となる(この頃田川郡の炭坑頭領24人,頭領仲間と称する). 70
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21 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1875 ▷田川郡糒村西ケ浦に石炭坑開坑,年産50万斤. 654
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22 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治九年.3.16 1876/3/16 中原嘉左右,弁城の早川岩次郎へ石炭代160円前貸し. 360
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23 全国石炭関係 明治九年.7.1 1876/7/1 三井物産会社創立(社長益田孝).7.29設立許可. 196/505
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24 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1877 ▷安川敬一郎,遠賀郡芦屋町にて石炭販売業を開始.'86年店舗を若松に移し,次いで門司・唐津・神戸・大阪・東京・朝鮮に支店を設置. 318
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25 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1878 ▷片山逸太.薬司(師)炭坑(田川郡神田村字神崎)開坑.石井善七郎,土手ノ内に狸掘を開坑(後の大隈炭坑). 321
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26 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一二年.4.8 1879/4/8 穂波郡飯塚村松本潜,同郡相田村炭坑を開坑.中原屋へ買入方依頼.中原屋艜1~2艘に積下し,検査して買取る旨,返答. 360
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27 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一三年.春. 1880/4 貝島太助,斯波義兼を名儀人とし炭層枯渇とみられていた旧坑で豊富な炭層を発見し借区を取得し開坑,斯波炭坑と称する. 70
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28 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一四年.2.1 1881/2/1 安永吉平,田川郡方城村ナノミに開坑,坑区330坪('83.5.29廃坑). 469
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29 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一四年.3.2 1881/3/2 名本多平,田川郡伊方村白毛山に開坑.坑区300坪('82.12.15廃坑). 469
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30 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一四年.7.- 1881/7 六角徳太郎(田川郡金田)石炭売買に精励. 569
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31 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一四年.12.26 1881/12/26 香月藤次郎,田川郡方城村油田に開坑.坑区300坪.同日稲富儀三郎も同村ナノミに開坑,坑区300坪('82.12.15廃坑). 469
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32 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1882 ▷松本潜,相田炭坑の坑区を72万坪に拡張. 87
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33 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1882 ▷貝島太助,香月炭坑の請負採掘を開始. 68
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34 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1883 ▷麻生太吉,鯰田坑区1万7000坪を福岡県より譲りうけ,鯰田坑の坑区を拡張. 456
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35 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一七年.1.- 1884/1 麻生太吉,有井下鳥羽炭坑(嘉麻郡)を3人共同で採掘. 9
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36 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一七年.2.- 1884/2 麻生太吉,鯰田炭坑(嘉麻郡)を開さく.蒸気罐を据付け,縮緬五尺に着炭('86年捲揚機設置). 321/318/9
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37 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1884 ▷片山逸太,田川郡弓削田村に小松ケ浦炭坑を開坑. 321
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38 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1884 ▷田川郡猪国字坂谷に,石炭を採掘('97年頃大谷に猪位金炭坑を開坑,1924年休山).また浦田にも猪山炭坑を開さく(1913年に三菱会社が買収,1920年休山). 13
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39 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1884 ▷麻生太吉,嘉麻郡上三緒坑区を買収('94年9月一坑を開坑,'99年2月二坑を開坑,山内・上三緒坑区を合併,芳雄坑区と改称,1912年8月三坑を,1913年1月四坑および8月五坑を開坑). 84
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40 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1884 ▷貝島太助,弟六太郎名義で鞍手郡宮田村字大ノ浦の小山田甚平所有坑区約4000坪を買収. 321
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41 地域社会 明治一八年.2.- 1885/2 中原屋,田川郡採銅所の鉱石に着目,採銅所村の米谷治三郎に白銀・砂石・赤土・白金・緑硝石・赤石等の鉱石を取寄せさす. 360
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42 全国石炭関係 明治一八年.3.25 1885/3/25 団琢磨,三池鉱山局勝立坑長に任命される('86年依願免官,1等技師となり三池へ勤務,勝立坑の開発に尽力). 314
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43 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.4.- 1885/4 貝島太助,鞍手郡大隈村代ノ浦の坑区に更に新区を購入.増区して大之浦炭坑と呼称.雄飛の基礎を固める(以下貝島大之浦と略称). 70
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44 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.11.15 1885/11/15 貝島大之浦,最初の竪坑開さくに着手.使用機関はボイラー1台,10吋捲揚機1台.また売勘場を設置,近親者で事務を分担し経営に当る.貝島太助が総務,文兵衛・六太郎両弟が採掘,嘉蔵・杉子両人が売勘場を担当,香月坑より太助に随伴の原田勝太郎・岡藤美之助が事務,園田覚助が外交,桑野機三郎が会計.貝島陣営の基礎成る. 68
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45 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.11.- 1885/11 筑豊地方炭坑の現況-稼行炭坑700坑,1年間採掘高は凡そ5億万斤,本格的な機械使用採掘坑は鞍手郡の新入・直方(帆足義方),古田(許斐伴七),新手・本洞(許斐鷹助),遠賀郡の香月(帆足),長津村大辻(宮田正一),穂波郡の目尾(杉山徳三郎)などで,主要送炭先は阪神. 453
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46 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一八年.12.- 1885/12 蔵内次郎作,久良知政一と共同で峰地炭坑(田川郡弓削田村)を開坑.この月蒸気機関を据付ける. 321
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47 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1885 ▷田川郡添田の中村某ら3人が添田法光寺附近で石炭採掘(後の峰地二坑の坑区). 292
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48 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1885 ▷白土武市,勢田村に坑区を取得,大城炭坑を開発(後の明治一坑). 214
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49 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.2.- 1886/2 この頃県下の石炭坑数420ヵ所で,鞍手郡29ヵ村嘉麻郡21ヵ村,穂波郡16ヵ村,遠賀郡15ヵ村,上座郡3ヵ村,席田郡2ヵ村,宗像郡2ヵ村,那珂郡1ヵ村,粕屋郡10ヵ村,田川郡27ヵ村,企救郡4ヵ村の計11郡・130ヵ村にまたがる.
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50 筑豊石炭関係(天保1~明治20) 明治一九年.9.- 1886/9 道瀬炭坑(田川郡奈良村)開坑.資本金2500円,雇人108人・職工6人. 442
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