筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第4群借区
/ 1ページ
No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 企業・労働・災害(明治21~) 明治二一年.6.20 1888/6/20 筑豊礦業会社,設立発起人会を小竹町で開催.出席者6郡より44人. 453
ページ】: 147
2 企業・労働・災害(明治21~) 明治二一年.10.4 1888/10/4 田川石炭坑業会社,設立を出願.資本金30万円,発起人園田熊太郎・佐々木正懋・高瀬九三治・植田與六・早川龍蔵. 456
ページ】: 149
3 生産・流通(明治21~) 明治二一年.12.- 1888/12 貝島太助,鞍手郡大隈村外2ヵ村の44万8837坪をそれぞれ入江卯太郎・瓜生伝平,同郡長井鶴村外2ヵ村の21万3597坪を借区許可される. 453
ページ】: 148
4 生産・流通(明治21~) この年 1888 ▷麻生太吉等,嘉麻煽石社設立,嘉麻郡笠松村の60万坪の撰定坑区に特許を得て嘉麻炭坑(煽石炭)を開坑. 9/321
ページ】: 148
5 生産・流通(明治21~) この年 1888 *新たに撰定した石炭坑区は次の通り.鶴田坑区(22万8267坪5),大隈坑区(44万8837坪5),長井鶴坑区(21万3597坪5),植木坑区(32万3895坪5),金剛坑区(24万9200坪),高須坑区(31万1582坪),相田坑区(61万1925坪)潤野坑区(71万1802坪5),鯰田坑区(48万4912坪5),綱分坑区(61万1400坪),赤池坑区(33万6622坪5),中間第二坑区(19万3033坪),古賀坑区(24万0816坪),頃末坑区(32万3202坪),吉田坑区(35万1930坪),岩瀬坑区(24万8479坪),中間第一坑区(45万2484坪),中間第三坑区(36万7785坪),中間第四坑区(23万8430坪),楠橋第一坑区(26万4635坪),楠橋第二坑区(25万0692坪),合計746万3528坪. 404
ページ】: 150
6 企業・労働・災害(明治21~) 明治二二年.1.9 1889/1/9 中原屋,金田村人民と石炭借区14万坪の約定,承諾金500円. 360
ページ】: 151
7 地域社会 明治二二年.3.27 1889/3/27 門司セメント会社,創立願書を提出,発起人渋沢栄一・浅野総一郎・大倉喜八郎ら,4.1設立許可.その後金融逼迫し工場建設に至らず解散. 202
ページ】: 151
8 生産・流通(明治21~) 明治二二年.5.- 1889/5 三井物産社長益田孝,田川郡川崎村に27万坪を借区(1907年7坑区を所有,田川炭山出張所が管理). 502
ページ】: 152
9 企業・労働・災害(明治21~) 明治二二年.5.- 1889/5 田川郡の予備炭田解放と借区取得を目ざす各派,合同し田川採炭会社発起株主総会を東京で開催.資本金を65万円とする('90.3.3 100万円に増資).8.20~22さらに博多で総会開催し社長福島良助,委員兼支配人金子辰三郎,相談役渋沢栄一,種田誠一,委員兼会計検査中尾卯兵衛,委員兼相談役下沢善四郎,委員園田熊太郎の各役員を推薦. 728
ページ】: 153
10 企業・労働・災害(明治21~) 明治二二年.12.20 1889/12/20 田川採炭会社,本社を博多中間町から田川郡弓削田村大字奈良に移転. 728
ページ】: 155
11 生産・流通(明治21~) 明治二三年.4.- 1890/4 田川採炭,福島良助名儀で弓削田・伊田・川崎・大任の各村に跨る26万4486坪の借区許可される. 502
ページ】: 154
12 生産・流通(明治21~) 明治二三年.8.30 1890/8/30 田川郡金川村星井六郎・星井張二・友清新内の3人,赤熊炭坑約6万坪の石炭坑借区を出願. 620
ページ】: 156
13 生産・流通(明治21~) 明治二三年.10.2 1890/10/2 頭山満・平岡浩太郎ほか2人,田川郡川崎村ほか2ヵ村の借区36万2896坪を三井物産と譲渡契約なる. 293
ページ】: 156
14 全国石炭関係 明治二三年.12.20 1890/12/20 日本石油会社,米国から綱索式さく井機を購入,尼瀬油田手掘井福田泉に据付け掘進開始. 386
ページ】: 156
15 企業・労働・災害(明治21~) 明治二三年.12.22 1890/12/22 三菱炭坑事務所,鞍手郡直方町に設置,九州の各炭坑を統轄. 510
ページ】: 157
16 生産・流通(明治21~) 明治二四年.6.15 1891/6/15 香月新三郎,穂波郡平恒地区に31万坪を借区,運炭の便悪く鉄道開通まで開坑を中止. 509
ページ】: 158
17 企業・労働・災害(明治21~) 明治二四年.11.25 1891/11/25 三菱,直方の三菱炭坑事務所並に芦屋三菱炭坑出張所を若松に移転. 510
ページ】: 161
18 生産・流通(明治21~) この年 1891 ▷中野徳次郎,香月新三郎・貝島太助・添田美稔ら所有の穂波村平恒地区の借区を買収('92年の冬鬼山炭坑を開坑,五尺層の煽石採掘). 321
ページ】: 160
19 企業・労働・災害(明治21~) 明治二五年.2.2 1892/2/2 筑豊石炭取扱会社,前田清照(東京)・関運七(福岡)両人が創立出願中のところ,この日認可.資本金30万円,若松に石炭市場を設置. 453/456
ページ】: 161
20 企業・労働・災害(明治21~) 明治二六年.6.6 1893/6/6 九州炭礦(株)創立,資本金16万5000円,石炭採掘及び委託販売,事務所は若松に設置. 427/453
ページ】: 165
21 地域社会 明治二六年.7.- 1893/7 三笠コークス(鞍手郡西川村)工場創業. 430
ページ】: 167
22 地域社会 明治二六年.9.- 1893/9 浅野総一郎,大倉喜八郎の精米所を買収しセメント工場として拡張,この月浅野門司分工場と命名.はじめは和歌山産の無煙炭を使用. 198/541/427
ページ】: 167
23 生産・流通(明治21~) 明治二七年.11.24 1894/11/24 鉱業総代星井六郎,田川郡金川村大字糒石炭借区9万3874坪に,'95年鉱業施業案と鉱業条例第六章にもとづく,坑夫使役規則及び救恤規則を福岡鉱山監督署に提出.後日,許可される(採鉱予定1ヵ年間900万斤.稼業予定300日,坑夫20人,手子20人,支柱夫3人,火夫2人機械夫3人,運搬夫15人,雑夫3人,延合計1万9800人.汽鑵コルニッシ形30馬力1台,捲掲機複合汽筒15馬力1台,通気はポンプ・風抜坑.排水はスペシャルまたはドンキー喞筒による揚水.採掘は鶴嘴を使用,必要に応じ火薬またはダイナマイト使用等を計画). 620
ページ】: 172
24 地域社会 明治二八年.2.- 1895/2 亜細亜セメントと川口セメントが合併,中央セメント(株)と改称し黒崎に設立(1929.3.20小野田セメントに合併). 437
ページ】: 175
/ 1ページ