筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第4群災害
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 企業・労働・災害(明治21~) 明治二一年.10.- 1888/10 鞍手郡勝野村塩頭溜池の貯水が減少.原因は炭坑の鉱害と推定. 453
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2 企業・労働・災害(明治21~) 明治二一年.11.2 1888/11/2 斯波炭坑(鞍手郡直方切貫),鉱害による2ヵ年間の堤防修築工事は期限を過ぎるも施行が遅延.下境村外2ヵ村の惣代,小倉治安裁判所へ修理履行を訴訟. 453
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3 地域社会 明治二二年.7.4~5 1889/7/4~
1889/7/5
未曽有の豪雨のため県下各河川氾濫,筑後川・遠賀川流域の被害甚大.田川郡の被害,冠水村数11,同戸数495,死者1,家屋流失10,家屋破壊16,穀類腐敗流失数量172石7斗,道路破損366個所・1万6109間,堤防決潰553個所・1万2461間,井堰破損154,山崩1612個所,冠水耕地914町3反5歩.19日~24日再び豪雨となり各河川氾濫. 432
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4 企業・労働・災害(明治21~) 明治二四年.3.中旬 1891/3 岩瀬炭坑(遠賀郡長津村)の鉱害で田畑陥落,井水涸渇,各地主から借区取消を訴願. 453
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5 企業・労働・災害(明治21~) 明治二四年.7.下旬 1891/7 遠賀川流域の大洪水による炭坑災害-田川郡の峰地炭坑は貯炭200万斤余流失・ポンプ鉄管水没し当分休業.豊国炭坑は坑内大破損.鞍手郡の本洞・新手炭坑も被害甚大,採掘着手は見込なく,坑夫3000人に旅費を与えて解雇.これらの坑夫は目尾・新田炭坑に赴き帰郷者も少なからず,居残ったのは器械方(7歩は解雇)・納屋頭・事務員・坑主ら約100人.京野炭坑は竪坑の減水1ヵ月後の予定,流出炭量140万斤.嘉穂郡の笠松炭坑は休業100日の見込み.鯰田炭坑は運搬車道100日間使用不能,流失炭1500t,沈没炭600t,貯蔵白米50石損失.忠隈炭坑は堤防決潰・坑内浸水・通気坑水没・死者5人・排水作業督励中の麻生太吉危く避難,損害約1万円.遠賀郡の新手炭坑は坑内浸水・復旧まで60日~200日,岩滝・筑紫・御輪地の各炭坑も排水復旧まで30日~60日の見込み.宗像郡の漆山炭坑は坑内満水,流出炭25万斤.池田・多礼の両坑も浸水,復旧30日の見込み.若松港でも大波襲来,船の沈没,破損するもの無数,搭載炭は海中に投ずるか陸揚げする. 453/456
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6 地域社会 明治二五年.2.1~15 1892/2/1~
1892/2/15
第2回衆議院議員選挙.各地で干渉が行われ三池・三潴・山門・上妻・嘉麻・穂波・上座・御笠の各郡で刺傷・家屋破壊事件が瀕発,被害者89人・加害者160人・検挙55人.2.11田川郡赤池でも坑夫50人,抜刀で飯塚におしよせ街頭示威行進. 223
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7 企業・労働・災害(明治21~) 明治二五年.8.29 1892/8/29 新原海軍の坑夫約200人と同村消防組員200余人が新原に対陣して不穏,箱崎警察署員が馳せつけ説諭,翌朝無事鎮静する.原因は新原坑の請負人解雇が問題化. 456
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8 全国石炭関係 明治二五年.9.12~14 1892/9/12~
1892/9/14
三菱端島,坑夫300人が採炭の紛争から罷業. 394
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9 地域社会 明治二五年.11.2 1892/11/2 直方駅午後5時発上り列車に,発車直前に坑夫体の者7人が乗り込み,若松港加嶋組員を煉瓦で乱打.原因は人夫雇入れ話のこじれ. 456
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10 企業・労働・災害(明治21~) 明治二五年.12.7 1892/12/7 田川採炭,川宮借区坑主倉地重敏・平岡辰次郎へ,田川採炭第三坑に近い峰地炭坑の坑内ガスの爆発で洪水の被害を受けたため,今後の浸水防禦と危害を生じたときの弁償方を申し入れる. 583
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11 地域社会 明治二六年.2.- 1893/2 福岡県下に天然痘流行.1月~2月末の各郡患者発生数,遠賀郡70人・鞍手郡2・嘉麻郡3・穂波郡1・企救郡34・上毛郡12・築城郡3・中津郡1・田川郡2,計128人.郡長予防接種につき訓示. 542
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12 企業・労働・災害(明治21~) 明治二六年.5.26 1893/5/26 穂波郡鯰田の村民,三菱と鯰田炭坑鉱害による陥落復旧につき一時打切補償を契約. 140
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13 地域社会 明治二六年.6.- 1893/6 福岡県下に赤痢大流行,総患者数5966人,死亡者1140人.うち田川郡患者183人,死亡31人. 542
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14 企業・労働・災害(明治21~) 明治二六年.7.21 1893/7/21 仲間炭坑(遠賀郡)納屋頭の子分2人,福岡病院に入院中の親分の復讐のため,同郡唐戸炭坑納屋頭を襲い負傷させる. 456
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15 地域社会 明治二六年.7.- 1893/7 旱天,各地で雨乞い行事.遠賀郡6ヵ村で水喧嘩あり数百人が乱闘. 736
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16 地域社会 明治二六年.8.- 1893/8 旱魃続く,約60日間降雨なく稲作畑作物が枯死,田川郡糸田村泌池で雨乞祈願,参詣人多数で露店が出る.各地で雨乞いするも降雨なく祈祷師も夜逃げ. 469/542
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17 地域社会 明治二六年.10.14 1893/10/14 暴風雨,北九州の被害甚大,鞍手郡木屋瀬で川艜の流失58艘・破損100艘・倒壊家屋28戸・半壊43戸,田川郡でも金田駅付近5戸・猪位金2戸の家屋倒壊,中元寺川堤防も大破損,宇島港(築上郡)は海嘯のため潰滅('95年3月復旧工事竣工). 175/83/13/542
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18 企業・労働・災害(明治21~) 明治二七年.1.6 1894/1/6 三菱鯰田,陥落地6町6段5畝の収穫減の補償として毎年米25俵宛支給することを認許.この年以降鉱害補償続く. 510
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19 地域社会 明治二七年.1.- 1894/1 田川郡弓削田・糸田・伊田・神田各村に天然痘流行,患者124人.9月に至って漸く止む. 20
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20 企業・労働・災害(明治21~) 明治二七年.3.13 1894/3/13 三菱新入(鞍手郡新入村)第一坑で坑内火災.入坑者58人中,雇員・小頭・坑夫ら焼死18人. 376/510/695
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21 企業・労働・災害(明治21~) 明治二七年.5.26 1894/5/26 田川採炭本坑で坑内火災発生,村の消防組の応援を求め消火に当ったが負傷者続出,100人の決死隊を組織し防火作業を続行し鎮火.6.7再開.
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22 企業・労働・災害(明治21~) 明治二七年.6.5 1894/6/5 三菱鯰田,陥落地32町5段1畝に対し5100円余を打切り補償. 510
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23 企業・労働・災害(明治21~) 明治二七年.6.27 1894/6/27 小松炭坑(田川郡弓削田村川宮)で汽罐が破裂し死者4人・重傷者5人. 542
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24 企業・労働・災害(明治21~) 明治二七年.7.9 1894/7/9 小松炭坑,宅地の陥落事故,坑夫47人溺死. 376
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25 地域社会 明治二七年.8.- 1894/8 田川郡旱魃.7.26~8.24の30日間降雨なし.猪位金村の被害120町,稲は秣用にする.金国で雨乞いのため杖楽を奉納し降雨をみる.9月猪位金・川崎・赤の各村,旱害のため出穂不良. 13/432/542
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26 地域社会 明治二七年.11.7 1894/11/7 田川郡に悪疫流行,猪位金小学校9.16~11.7臨時休校,後藤寺の赤痢患者225人・天然痘患者74人(内死亡34人),予防事務所2ヵ所を設置(翌年に至って終熄). 13/295
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27 地域社会 明治二八年.5.15 1895/5/15 田川郡にコレラ発生,伊田村でも20人余りの患者は殆んど死亡. 542/295
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28 地域社会 明治二八年.7.12 1895/7/12 豊州鉄道,油須原トンネル開さく工事中,東口付近で100間余にわたり土砂崩壊,死者20人. 542
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29 企業・労働・災害(明治21~) 明治二八年.7.18 1895/7/18 三菱新入,コレラ流行.第一坑10人・第二坑5人計15人の患者を出し,うち6人死亡.同鯰田では病室不足のため20坪を増築. 510
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30 地域社会 明治二八年.7.19 1895/7/19 三菱鯰田,穂波郡頴田村の鉱害被害田15町2反に対し反当り20円を打切補償.これ以後の補償にも同様基準で補償することを契約,また村に1700円を寄附. 542
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31 地域社会 明治二八年.7.24 1895/7/24 県下大暴風雨,秒速36.6米は福岡測候所開設以来の記録.県内の被害状況,家屋倒壊1万5060棟,死者78人負傷者315人,家屋倒壊8639棟,田畑荒廃55町7反9畝24歩,堤防決潰2164ヵ所.若松港で沈没船600隻,沈没石炭650万斤,小倉で倒壊家屋290戸,木屋瀬で同じく19棟,町立病院1棟,田川郡猪位金で倒壊家屋31戸,半壊12戸など. 432/175
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32 地域社会 明治二八年.10.- 1895/10 3月以来門司を中心にコレラ流行,10月初旬までの総患者数401人,うち死亡者283人. 542
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33 企業・労働・災害(明治21~) この年 1895 ▷田川採炭坑の古川・江口両納屋が紛争,白昼平松坂で大衝突,死者10余人,重軽傷者数10人を出す. 542
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