筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第4群産業
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 生産・流通(明治21~) 明治二一年.3.- 1888/3 杉山炭坑(鞍手郡植木村)開坑,蒸気機関2基,25馬力を据付. 442/453
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2 生産・流通(明治21~) この年 1888 ▷第二御輪地炭坑(遠賀郡吉田村)開坑. 499
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3 生産・流通(明治21~) 明治二二年.3.8 1889/3/8 赤池炭坑(田川郡赤池),安川敬一郎・平岡浩太郎,共同で33万8673坪の借区出願許可をうけ,直ちに開坑準備に着手(1901年安川敬一郎単独所有となる). 1
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4 生産・流通(明治21~) 明治二二年.3.- 1889/3 宮尾炭坑(田川郡弓削田村)開坑(1901年末現在資本金1万円,職工9人,蒸気機関2台). 442
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5 生産・流通(明治21~) 明治二二年.4.- 1889/4 三菱,新入石炭坑区(鞍手郡剣村)37万7970余坪を三野村利助より譲受け,新入炭坑を経営(以下三菱新入と略称).また麻生太吉より鯰田炭坑第一坑を譲受けて以後第二坑より第六坑までを開さく(以下三菱鯰田と略称). 510/669
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6 生産・流通(明治21~) 明治二二年.4.- 1889/4 薬師炭坑(田川郡神田)開坑,資本金2500円・職工21人・蒸気機関1台・35馬力. 442
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7 生産・流通(明治21~) 明治二二年.5.26 1889/5/26 赤池炭坑(田川郡),児島哲太郎を主任に第一坑竪坑開さくに着手.目的は捲揚坑,開さくは昼夜を6期とし4時間毎に工夫8人を使役.切込抜換法とし枠内幅13尺縦9尺,松材を使用(1900年6月250尺で五尺層に着炭). 1
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8 生産・流通(明治21~) 明治二二年.5.- 1889/5 伊田組炭坑(田川郡伊田村)開坑,資本金1万1000円・職工4人. 442
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9 生産・流通(明治21~) 明治二二年.6.15 1889/6/15 金剛炭坑(鞍手郡木屋瀬村),加藤周助・仲西七三郎・松尾利貞の共同で開坑(1903年松尾と関係を断つ). 321
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10 生産・流通(明治21~) 明治二二年.6.- 1889/6 笠松炭坑(嘉麻郡下三緒),麻生太吉が開坑し竪坑を開さく,'91年出水のため廃坑. 9/456
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11 生産・流通(明治21~) 明治二二年.7.- 1889/7 日本郵船,安達仁造を通じ勝野炭坑を11万円で買収.12月安達は技師兼事務長に就任. 321
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12 生産・流通(明治21~) 明治二二年.9.- 1889/9 この月開坑炭坑,植木炭坑(粕屋郡須恵村),資本金4950円・職工6人・蒸気機関1台・12馬力.藤田組炭坑(田川郡伊田村),資本金25万円・職工25人. 442
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13 生産・流通(明治21~) 明治二三年.1.- 1890/1 田川採炭,小松ケ浦坑区を買収.弓削田村平松に斜坑を,小松ケ浦・大藪に竪坑を開さく.竪坑は八尺層を目標に掘下げたが,火山岩多く少量の煽石を得たのみで失敗,技師長以下技術者は引責辞職. 502
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14 地域社会 明治二三年.4.9 1890/4/9 田川郡採銅所字古宮銅鉱,1万3055坪を企救郡藤井昇吉に許可,仮坑区券を付与. 456
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15 生産・流通(明治21~) 明治二三年.4.- 1890/4 この月開坑の炭坑,糸田炭坑(田川郡糸田村),資本金5万円・職工12人・蒸気機関3台・16馬力.北ノ浦炭坑(鞍手郡木屋瀬村),資本金2700円・職工5人. 442
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16 生産・流通(明治21~) 明治二三年.9.- 1890/9 西炭坑(遠賀郡水巻村)開坑,資本金1000円・職工18人・蒸気機関2台・38馬力. 442
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17 企業・労働・災害(明治21~) この年 1890 ▷白土善太郎・中野徳次郎・山田文右衛門,明治第一坑の採炭請負となる,実費支払のため資金に難渋. 205/398
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18 生産・流通(明治21~) この年 1890 ▷室木炭坑(鞍手郡西川村)船津光彦ほか数人で開坑. 321
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19 生産・流通(明治21~) 明治二四年.2.- 1891/2 名前炭坑(遠賀郡長津村)開坑,資本金1万4000円・職工18人・蒸気汽罐2台・20馬力. 442
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20 生産・流通(明治21~) この年 1891 ▷田川採炭,大藪付近の田川八尺層・田川三尺層・田川四尺層を露頭より開坑,また弓削田村猫ケ谷・身内谷の旧坑を再開し煽石を採掘. 502
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21 生産・流通(明治21~) 明治二五年.12.- 1892/12 三菱,碓井炭坑第一坑を嘉穂郡碓井村字臼井の借区内に開坑('95年6月第二坑開坑). 321
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22 生産・流通(明治21~) この年 1892 ▷香春炭坑(田川郡勾金村不動)開坑('1908年三井が買収). 94
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23 生産・流通(明治21~) この年 1892 ▷泉水炭坑(鞍手郡),長谷川芳之助が開坑(1914年5月大正鉱業が経営). 132
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24 生産・流通(明治21~) この年 1892 ▷向坂茂馬・弟昇の両人,穂波郡穂波村南尾で狸掘式による石炭採掘(後の南尾炭坑,'93年小林某が譲受け坑内火災で失敗). 509
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25 生産・流通(明治21~) この年 1892 ▷鳳炭坑(遠賀郡水巻村吉田)開坑. 499
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26 企業・労働・災害(明治21~) 明治二六年.1.25 1893/1/25 三菱,鯰田・佐与両坑区を併合,総坪数75万9870坪. 510
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27 生産・流通(明治21~) 明治二六年.3.- 1893/3 堀本洞炭坑(鞍手郡勝野村),開坑.また小正炭坑(嘉穂郡穂波村潤野)を堀伴成が20万坪の借区内に開坑. 321/442
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28 生産・流通(明治21~) 明治二六年.7.- 1893/7 貝島太助,植木炭坑(鞍手郡植木村字東堤田)4万4575坪を買収し瑞穂炭坑と改称.柏木勘八郎・渡辺壮兵衛と共同経営.坑長貝島嘉蔵. 68
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29 生産・流通(明治21~) 明治二六年.9.- 1893/9 貝島,鞍手郡宮田村桐野に斜坑開さく,35間で三尺層に着炭.坑長貝島六太郎(後の桐野第一坑). 68
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30 生産・流通(明治21~) 明治二六年.10.- 1893/10 三笠炭坑(鞍手郡西川村)開坑. 442
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31 地域社会 明治二六年.11.- 1893/11 西谷鉄工所(直方町)創業,鋳鉄管・短管製作. 430
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32 生産・流通(明治21~) 明治二六年.12.22 1893/12/22 築城郡下城井村大字深野久良知寅次郎・企救郡足立村大字三萩野竹腰虎太郎,田川郡弓削田村の坑区を買い受け,12.15特許証書換を出願.12.22明治27年度礦業施業案を福岡鉱山監督署長中村清左衛門宛提出.施業案の内容,①工程は横坑方6尺掘延60尺,竪坑方6尺掘延34尺,②工員数は延人員1500人,実人員25人,③原動機はランカシャ式38公称馬力汽罐1台,④機関は排水用としてスペシャル式26公称馬力喞筒1台,ハンドル噴水口径3吋喞筒1台スペーシャル式4公称馬力汽罐喞筒1台,⑤当坑は浮殿炭坑と名付け,下川原に横坑を開穿,坑内は径8寸以上の木材で3尺毎に枠を入れ,枠の四面には厚さ2寸以上の松板2枚をめぐらし翌年2月~3月に着炭の予定,⑥出炭の運搬方法は横坑口より中元寺川岸迄(凡そ40間)車力を使用,その後は水利により金田村迄送り,同地よりは適宜汽車又は川艜に積載,門司港・若松港に輸送する予定. 583
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33 企業・労働・災害(明治21~) この年 1893 ▷松本健次郎,安川敬一郎と共同で安川・松本商会(門司)を創設.石炭の外国取引に専念,はじめて横浜サミュエル商会と1万tの大量直売契約を結ぶも送炭能力整わず失敗. 214/457
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34 生産・流通(明治21~) 明治二七年.1.- 1894/1 田川採炭,炭況の好転に乗じて伊田村に伊田坑を(後の伊田斜坑)開さく,平松に八尺坑及び三尺坑を,稲荷山に三尺坑を開坑し田川八尺層煽石を採掘. 502
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35 企業・労働・災害(明治21~) 明治二七年.1.- 1894/1 田川採炭(株)解散,田川採炭坑の名称で別会社を創立,資本金100万円,鉱業者福島良助・代理人千田正二郎(鉄道と炭坑の兼業は法律で禁じられているためで,炭坑の経営方針には変更なく豊州鉄道の採炭部). 502
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36 生産・流通(明治21~) 明治二七年.2.12 1894/2/12 赤池炭坑,第二坑斜坑開さくに着手.曳揚坑道18度の斜坑,工夫実人員11人,延人員1万2950人を使役して598尺を掘進,枠内幅11尺・高さ6尺5寸. 1
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37 生産・流通(明治21~) 明治二七年.2~3.- 1894/2~
1894/3
九州炭礦(株),許斐鷹助の第二新手炭坑を譲受け,谷茂平に採掘・販売を請負わせる. 321
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38 生産・流通(明治21~) 明治二七年.4.8 1894/4/8 麻生太吉,忠隈炭坑の五尺層で70尺の断層を切抜きに失敗して苦境におちいり,前鉱山局長和田維四郎の斡旋で住友吉左衛門に譲渡を交渉. 9
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39 生産・流通(明治21~) 明治二七年.5.1 1894/5/1 住友吉左衛門,麻生太吉所有の忠隈炭坑41万6049坪・穂波坑区11万9362坪の施設一切を譲り受け,野見山米吉などよりの譲受分も加え穂波村・笠松村・飯塚町に跨る66万2661坪の坑区を取得(以下住友忠隈と略称).不成績の忠隈炭坑も本卸より三尺層に着炭,この年4668万斤を出炭. 388
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40 生産・流通(明治21~) 明治二七年.8.10 1894/8/10 京野炭坑,鞍手郡笠松村京野の坑区15万8179坪に更に6万8794坪の増区を出願. 465
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41 生産・流通(明治21~) 明治二七年.9.- 1894/9 麻生太吉,上三緒第一坑(嘉麻郡)開坑に着手('96年機械を据付け採掘開始,'99年第二坑開さく). 9
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42 生産・流通(明治21~) 明治二八年.1.- 1895/1 潤野炭坑(穂波郡鎮西村),借区83万坪に竪坑と2つの斜坑開さくに着手.坑主広岡信五郎(大阪),同夫人(浅子)は監督として自ら坑内に出入. 460/317
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43 生産・流通(明治21~) 明治二八年.1.- 1895/1 谷茂平,金谷炭坑(田川郡金田)開坑.坑夫600人1日出炭平均30万斤内外.この頃金田駅を中心に納屋・商家が建ちならび市街地を形成. 83
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44 生産・流通(明治21~) 明治二八年.2.18 1895/2/18 三井鉱山,'93年頃から嘉麻郡上山田坑区の買収を計画したが中絶.井手豊・井手市三郎所有の稲築・庄内・熊田村地内に坑区187万8387坪を3万6715円余で買収に成功. 576
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45 生産・流通(明治21~) 明治二八年.3.22 1895/3/22 上山田炭坑(嘉麻郡熊田村),松岡嘉七郎所有の特許坑区,試掘地3ヵ所を買収.11月坑区合併し増区を出願(1907年10月増減区変更を登録,坑区180万4664坪となる). 510
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46 企業・労働・災害(明治21~) 明治二八年.4.- 1895/4 筑豊炭坑(株)(企救郡足立村)創立,資本金1万3800円.小浦炭坑(穂波郡穂波村)開坑. 442/427
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47 生産・流通(明治21~) 明治二八年.春. 1895/4 貝島,鞍手郡香井田村に斜坑開さく(冬に着炭,のち菅牟田第一坑と称し1910年まで採炭). 68
ページ】: 174
48 生産・流通(明治21~) 明治二八年.7.- 1895/7 松山炭坑(鞍手郡西川村)創立,1901年末職工数男42人・女33人. 442
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49 生産・流通(明治21~) 明治二八年.8.- 1895/8 下山田炭坑,頭山満から古河市兵衛が譲受け開坑(以後古河下山田と略称)'98年80Kw発電機1台・汽罐2台・電気捲揚機1台を据付ける.炭坑における電力使用は本邦の最初. 462
ページ】: 176
50 生産・流通(明治21~) 明治二八年.9.- 1895/9 佐々木恒平らの共同経営であった池尻炭坑(田川郡川崎村),豊州炭坑として再開. 321
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