筑豊石炭礦業史年表

キーワード:第5群採掘
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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 生産・流通(明治21~) 明治二九年.7.13 1896/7/13 赤池炭坑,撰炭機械をはじめて採用. 1
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2 企業・労働・災害(明治21~) 明治三〇年.10.- 1897/10 この頃門司鉄工会社,田川採炭より20インチ捲揚機械をはじめ各炭坑より注文多数,本年上半期の製作個数120点,代価4万6840円35銭,職工170余人. 542
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3 全国石炭関係 この年 1897 ▷三菱高島,坑内にトーマス安全燈の使用を開始. 308/532
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4 生産・流通(明治21~) この年 1897 ▷この年以降,新入・赤池・忠隈・明治・豊国の諸炭坑で改良ウォーシントンポンプを採用. 317
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5 生産・流通(明治21~) 明治三一年.3.- 1898/3 田川郡22坑の坑外運搬法,木道運搬5坑,普通道路運搬6坑,鉄道11坑,若松港までの本運搬は鉄道によるもの15坑,水陸両用7坑. 542
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6 生産・流通(明治21~) 明治三一年.3.- 1898/3 貝島菅牟田鉱業所と小竹積場との間にザーベル式電話機を設置. 390
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7 生産・流通(明治21~) 明治三一年.4.- 1898/4 後藤寺駅へ車力・馬車運搬する川崎村池尻の中島炭坑・獅子鹿炭坑・日高炭坑・佐々木炭坑は炭車不足のため1日出炭の半ば以上が坑所貯炭となる.1日出炭量24万斤の佐々木炭坑は貯炭920万斤に上る.坑主佐々木恒平はその対策として自家専用の炭車を発注. 542
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8 生産・流通(明治21~) 明治三一年.6.24 1898/6/24 香月炭坑事務所・大辻炭坑事務所・中間炭坑事務所(貝島太助所有)に至る電話線架設が許可される. 630
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9 地域社会 明治三一年.7.20 1898/7/20 内務省雇外国技師,イ=デレーキ(オランダ),洞海湾浚渫につき調査. 630
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10 生産・流通(明治21~) 明治三一年.8.6 1898/8/6 豊国炭坑,自家発電により点灯開始.9.21赤池炭坑でも点灯. 720
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11 生産・流通(明治21~) 明治三一年.11.15 1898/11/15 古河下山田,火力発電機(電圧500w,80Kw直流複巻)を設置.炭坑での電力利用の嚆矢.この年筑豊ではじめて電気捲揚機を据付ける. 318/720
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12 企業・労働・災害(明治21~) 明治三一年.12.25 1898/12/25 安川敬一郎,井上馨・浅野総一郎らと協議し,若松築港拡張の資金を製鉄所50万円,国庫補助50万円とし残額70万円を炭坑業者,40万円を東京で分担することを決定. 457
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13 生産・流通(明治21~) 明治三一年.12.- 1898/12 三井山野,本卸坑口に最初の曳揚機,汽筒径16インチ衝程36インチ,単汽筒,横置式,単胴式揚機を設置,軌道は12封度軌条単線. 576
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14 生産・流通(明治21~) 明治三二年.3.17 1899/3/17 田川採炭,伊田坑・大藪坑・本坑間の電話を架設し使用開始.田川における直通電話の嚆矢. 502
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15 生産・流通(明治21~) 明治三二年.3.28 1899/3/28 赤池炭坑,鉱業用電話線の架設許可される. 630
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16 生産・流通(明治21~) 明治三二年.3.- 1899/3 貝島鉱業,全部デビル式電話機に改め,本社に電話交換課を設け,菅牟田・桐野・満之浦・大辻の各坑業所および石炭積場等へ電信を開始. 390
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17 全国石炭関係 この年 1899 ▷三井三池,小塊炭水洗工場完成,トロンメル・ヂッガー鎖状および螺旋輸送機を設置,わが国はじめての大規模な水洗場. 532
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18 生産・流通(明治21~) この年 1899 ▷金剛試錐法,この年以降田川採炭・二瀬・明治・忠隈・鯰田・赤池等諸炭坑で実施. 317
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19 生産・流通(明治21~) 明治三三年.3.11 1900/3/11 三井鉱山,田川採炭組を165万円で買収,鉱業人三井三郎助.三井田川炭坑と呼称(以下三井田川と略称). 502
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20 生産・流通(明治21~) この年 1900 ▷三菱上山田,はじめてスリースロー電気ポンプ(三連式喞子型)使用('02年,三池勝立坑も採用). 532/379
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21 生産・流通(明治21~) 明治三四年.2.13 1901/2/13 三井田川,はじめて電話交換台(50人付)設置,伊田・後藤寺・大藪に直通電話,また山野炭礦事務所と田川炭礦事務所間の電話架設を出願,'02.3.24施設認可. 504/576/502
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22 生産・流通(明治21~) 明治三四年.12.31 1901/12/31 三井田川.鉱山監督署の命により坑内にカンテラの使用を厳禁. 502
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23 生産・流通(明治21~) この年 1901 ▷三井田川,伊田竪坑の木製炭車を鉄製炭車に改める. 502
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24 生産・流通(明治21~) この年 1901 ▷三井田川,譲受け直後から蒸気の強化をはかり,ランカシャ型汽罐を本坑1台,大藪坑3台,伊田坑3台,更に大藪坑3台,伊田坑3台増設.また本坑々外に165Kw3相交流発電機を据付け,深部採掘に対する動力の試験の結果,電力の安全軽便なのを確認し更に1台増設,坑内電気使用を本坑々内全般に拡張. 502
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25 生産・流通(明治21~) 明治三五年.2.- 1902/2 三井田川,第一坑々外に8万8000立方フィートのチャンピオン蒸気扇風機据付け,第二坑々外に5万立方フィートのギーバル蒸気扇風機を据付け落成. 502
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26 企業・労働・災害(明治21~) 明治三五年.4.12 1902/4/12 三井田川,警務方の名称を鉱夫方と改称.工務に所属. 502
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27 生産・流通(明治21~) 明治三五年.5.- 1902/5 金田炭坑,坑内本部と坑内要部に電燈設備. 542
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28 生産・流通(明治21~) 明治三五年.6.2 1902/6/2 三井田川,第一坑々内機械座と本線に電燈設備,またスリースロー喞筒6台を運転. 502/504
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29 生産・流通(明治21~) この年 1902 ▷この頃明治炭坑でカンカン法と称する一種の長壁式採炭法を実施.三尺層を長壁払で先行し,カンカン層を自然に沈下させおよそ6ヵ月後炭柱式により採掘. 214
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30 生産・流通(明治21~) 明治三六年.3.12 1903/3/12 三井田川,動力改善に着手,まず本坑の坑内ポンプ・引揚機・扇風機に電力使用. 502
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31 生産・流通(明治21~) 明治三六年.6.- 1903/6 三菱鯰田,50Kw単相交流発電機を運転して,約485灯の電灯を点灯. 390
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32 生産・流通(明治21~) この年 1903 ▷三井田川,四尺層では従来天井に4寸~8寸の炭層を残す方式を採用していたが,重圧のため落盤の原因となること判明.天井炭層を残さず,本層と共に採掘,片盤付荷担枠を入れ,採掘跡の重圧を防ぐ跡バラシ法を採用. 502
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33 企業・労働・災害(明治21~) 明治三七年.9.3 1904/9/3 三井田川,消防ポンプを伊田坑・大藪坑に備付ける.流用を禁止し保管者2人以上を配置. 502
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34 生産・流通(明治21~) 明治三八年.3.5 1905/3/5 三井田川,伊田坑坑内運搬用に馬車使用を開始,新野新次郎請負,馬匹は以後'26年9月まで継続. 502
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35 企業・労働・災害(明治21~) 明治三八年.7.31 1905/7/31 三井田川,農商務省令により保安係員を置く. 502
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36 生産・流通(明治21~) この年 1905 ▷三井田川,大藪・小松ケ浦両坑を廃坑,伊田斜坑にシロッコ式通風機備付,芳ケ谷坑の坑内ポンプをスリースローの電気ポンプに改装(更に'06年タービンポンプ採用).一部採炭用に電気雷管を始めて使用. 502
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37 生産・流通(明治21~) この年 1905 ▷三井山野,第一坑に残柱式長壁法を試用し好成績.また一坑内の一部にガス発生を認め安全灯以外の使用を厳禁.エアークロシングを新設.同第二坑に蒸気大型ポンプ,デュプレッキスポンプ2台を据付,以後各坑に使用増加. 576
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38 企業・労働・災害(明治21~) 明治三九年.2.28 1906/2/28 住友本店,住友忠隈と住友若松支店との間に特設電話認可.6.30工事完成. 240
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39 生産・流通(明治21~) 明治三九年.9.17 1906/9/17 三井田川,電気ポンプを購入,大藪坑の平時排水に使用. 502
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40 生産・流通(明治21~) 明治三九年.10.- 1906/10 古河鉱業,9坑区を買収,新目尾炭坑の名称で機械採掘を開始. 479
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41 生産・流通(明治21~) この年 1906 ▷貝島大之浦,ポンプ電化のため中央発電所を起工('07年11月完成).菅牟田・桐野・満之浦の各坑に配電. 379
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42 生産・流通(明治21~) 明治四〇年.3.7 1907/3/7 三井山野,第二坑で排気口に容量8万立方フィートのチャンピオン式扇風機を据付,蒸気運転を開始.この頃より扇風機による坑内通気法が次第に採用され,7月,三井田川では15万立方フィートのシロッコ型扇風機を坑外に据付け,運搬坑道を入気,人道を排気とする中央式通気法を採用.また貝島では大之浦・桐野の両坑に10万立方フィートのチャンピオン式扇風機設置,明治鉱業でも豊国第二坑にシロッコ型扇風機を設置. 576/379/532
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43 生産・流通(明治21~) 明治四〇年.7.- 1907/7 金田炭坑,神田村に新坑開さく,坑外にコルニッツ式汽罐2台を据付け,坑内排水用としてバッハロー社製タービン電気ポンプ17台を購入据付け. 379
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44 生産・流通(明治21~) 明治四〇年.8.- 1907/8 三好炭坑,貯炭場より積込場に至る運搬は従来馬匹を用いていたが距離800余間のため,エンドレス機設置に着手. 480
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45 生産・流通(明治21~) この年 1907 ▷三井田川,採炭法に総払式長壁法を採用,以後筑豊の各炭坑でこれにならうもの次第に増加('08年新入,'09年鯰田・本洞・金田・豊国などの各坑). 379/317
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46 生産・流通(明治21~) この年 1907 ▷豊国炭坑,ウルフ式安全灯を試用,坑内照明に劃期的な影響をもたらす.従来の石油提灯に対し光度高く,煤煙を生じないの利点があり,各坑これにならう('08年芳雄'10年明治・三池). 502/379
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47 生産・流通(明治21~) 明治四一年.3.- 1908/3 三井田川,伊田竪坑附属設備の動力用として,芝浦製宮原水管式汽罐12台の据付を完了.同時にドラフト用の高さ150フィート丸型煉瓦作りの大煙突2本が完成(後に炭坑節のシンボルとなる). 502
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48 生産・流通(明治21~) 明治四一年.8.21 1908/8/21 三井田川,ウルフ式揮発油安全燈を購入,本坑と大藪坑で使用.明治豊国も同品を採用,貝島大之浦坑ではキャンブリアン旋錠安全燈を採用. 502
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49 生産・流通(明治21~) 明治四一年.10.- 1908/10 三井田川,本坑長壁払で,チェーンコールカッターをはじめて採用,使用不馴れと捲揚機の電力不足とで間もなく使用中止. 502
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50 全国石炭関係 この年 1908 ▷三井三池,各坑のカンテラ使用を全廃,安全燈にきりかえ. 508
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