1
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生産・流通(明治21~)
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昭和二年.6.6
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1927/6/6
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三井田川,三菱筑豊礦業所と両鉱区炭壁保存協定を締結. 141
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2
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生産・流通(明治21~)
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昭和三年.1.6
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1928/1/6
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三井田川,川崎無煙坑の請負掘を廃止,直轄とする. 141
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3
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三年.10.5
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1928/10/5
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三井田川,人員整理を断行,仕繰夫など146人. 453
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4
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三年.12.1
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1928/12/1
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三井三池・田川・山野・砂川鉱業所,工手長以下坑内勤務の者には入坑一方につき坑内勤務手当を支給.但し入坑3時間に満たない時はその支給額を半減. 576
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5
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生産・流通(明治21~)
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昭和四年.1.22
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1929/1/22
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三井田川,田川マテ炭(煽石)を彦島窒素工場水性瓦斯発生用コークス代用に積出を開始.
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6
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和四年.9.30
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1929/9/30
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三井田川,稼働者賃金支払方法は従来現金で支払っていたが直接袋詰に改善. 502
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7
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生産・流通(明治21~)
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昭和四年.11.7
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1929/11/7
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三井田川,製作所構内に電話交換所(現在の田川特設電話交換所)を建設.通信連絡の中枢となる. 502
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8
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1929
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▷三井田川,携帯用電気安全燈の出現により'29年末には揮発油安全燈は減少し全山に3241個となり,かわって電気安全燈1200個備える. 502
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9
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1929
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▷三井田川,彦山川の水洗悪水のため給水場濾過池の機能耐久力は著しく弱められ,給水場構内に内井戸1箇を増設し湧出水の増加をはかる. 502
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10
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生産・流通(明治21~)
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昭和五年.1.3
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1930/1/3
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三井田川,坑内従業員はエジソン帽子・シャツ・脚絆・靴下または足袋・ゴム靴の全員使用を決定. 502
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11
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生産・流通(明治21~)
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昭和五年.5.21
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1930/5/21
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三井田川,変災防止改善事項として,発破回数,ガス測定,乾電池安全発破器の使用管20項目を決定. 502
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12
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和五年.5.21
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1930/5/21
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三井田川,変災防止改善に関する事項として,発破回数,ガス測定,乾電池安全発破器の使用請負名義人24人を廃止,これにより請負人制度を完全廃止. 502
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13
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和五年.10.12
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1930/10/12
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三井田川,送炭制限のため事業縮小.全山で469人を解雇. 502
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14
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1930
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▷三井田川,クロード窒素工業(のち東洋高圧)へ煽石中小塊を骸炭代用として月1000tを納入することになり,従来の選炭方法を改造,煽石選炭機を設置. 502
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15
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和六年.4.26
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1931/4/26
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三井田川,全山をつうじ236人を解雇.9月には171人を解雇. 502
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16
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1931
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▷三井田川,微粉炭の用途処理としてピッチを助成材料とする煉炭製造に成功. 502
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17
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和七年.1.-
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1932/1
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三井田川,174人解雇.8.30さらに230人解雇にあたり人選に困り,募集解雇の方法をとり話題となる. 502
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18
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和七年.2.-
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1932/2
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三井田川,救護隊員を職員および従業員中から選抜任命し専門的に訓練を実施することにする. 502
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19
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生産・流通(明治21~)
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昭和七年.4.1
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1932/4/1
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三井田川,はじめて練炭の鉄道納炭契約成立,製造を開始,7月,'31年鉄道省は超特急燕号を煉炭で運転するに至ったので,鉄道需要を目的として煉炭工場を新設,1時間生産能力2.5tの極めて小規模の設備を完成,操業を開始. 502/141
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20
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生産・流通(明治21~)
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昭和七年.7.-
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1932/7
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三井田川,鑿岩機は従来外国製品のみに依存していたが'32年7月以来国産品のみを採用. 502
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21
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和七年.9.3
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1932/9/3
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三井田川,抜打ち的稼働者整理をせず退職希望者を募集,予想に倍する230人が応募. 141/453
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22
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和八年.2.10
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1933/2/10
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三井田川,組織改称.坑夫主任を労務主任,坑夫係を労務係と改称. 141/502
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23
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生産・流通(明治21~)
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昭和八年.4.-
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1933/4
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三井田川,容量12tのスチル2台を建設しピッチ製造を開始. 502
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24
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生産・流通(明治21~)
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昭和八年.12.8
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1933/12/8
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三井田川,採掘あとの古坑道に自然発火やガス発生を防止するため,採掘終了の場合各層とも坑道の確実な個所に入排気を遮断する遮断壁を築造. 502
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25
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1933
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▷三井田川,截炭機を第一坑三尺層に鎖型を,第二坑に棒型をふたたび試験的に使用,成績良好により各坑各層共にはじめて截炭機を使用. 502
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26
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1934
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▷三井田川,坑内の低圧油入れ開閉器を全廃,耐爆型電磁接触器を採用. 502
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27
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地域社会
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この年
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1934
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▷小倉工廠で防護および燈火管制講習会開催,三井田川から5人参加. 502
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28
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生産・流通(明治21~)
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昭和一〇年.12.25
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1935/12/25
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三井田川,各坑排気坑道に観測所を設置,その個所の風量,ガス量,温度観測日時を明記して観測のつど記録. 502
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29
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企業・労働・災害(明治21~)
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この年
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1935
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▷三井田川,棹取という名称を廃して運搬夫と改称. 502
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30
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1935
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▷三井田川,増産五ヵ年計画を樹立.年産200万t出炭を企画し新坑の開鑿通気保安の改善,各種機械の容量増加および新設など電気設備を改善. 502
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31
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和一一年.10.-
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1936/10
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三井田川,はじめて作業競技会を開催,枠入最高記録10分50秒・掬込み549.5t・鉄管継27分10秒・穿孔2分29秒. 502
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32
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1936
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▷三井田川,坑木使用量激増し適材涸渇,納入業者,杉材の使用を依頼. 502
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33
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生産・流通(明治21~)
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昭和一二年.1.3
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1937/1/3
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三井田川,田川四尺層の採掘計画上,排気・排水・送電の必要から下伊田排気坑の開鑿に着手.('38年6月貫通). 502
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34
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和一二年.1.12~15
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1937/1/12~ 1937/1/15
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三井田川,無駄征伐週間実施.材料の節約,無駄の廃止を各工場で行ない不用品整理班を設置. 542
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35
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和一二年.2.13
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1937/2/13
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三井田川,月2回の稼働者賃銭支払方法を1回払に変更実施. 141
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36
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和一二年.7.-
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1937/7
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三井田川,各坑の屋外燈を発電所から一斉に消燈出来るように改造.8.21九州および第五師団管内に防空および警備発令.三井田川,防空監視哨,警報信号のサイレン吹き鳴らし方の改正,防空監視哨勤務者の出勤取扱いなど実施. 502
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37
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和一三年.2.11
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1938/2/11
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三井田川鉱業所本部の移転は田川郡後藤寺・伊田両町間に激しい設置運動が行われたが妥協成立,両町の境界に新築移転. 502
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38
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和一三年.7.1
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1938/7/1
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三井田川,坑内夫より慣行的に徴収していた安全燈油代,稼働一方につき2銭あてを廃止. 504
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39
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企業・労働・災害(明治21~)
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この年
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1938
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▷三井田川,非常時対策展覧会と銘打って廃物利用・再生使用・代用品などの展覧会を開催. 502
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40
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和一四年.1.-
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1939/1
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三井田川,委託合宿を廃止し直轄合宿を置く.従来の委託者を賄方とし,労務係員を舎監とする.賄方には出役世話料を廃し,賄手当,寄宿生1人につき1日10銭を支給.9月寄宿人出役のときは1方20銭,欠役5銭を支給.年末賄方全坑で76人,寄宿者1017人. 502
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41
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生産・流通(明治21~)
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昭和一四年.3.27
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1939/3/27
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三井田川,救命器練習坑道の開鑿に着手. 141
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42
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和一四年.5.-
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1939/5
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三井田川,5月から毎月第1休業日の翌日に燈火管制の訓練を実施するよう通達.各分団共これを実施. 502
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1939
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▷三井田川,ガソリンの配給統制によりガソリンカーを廃し木炭燃料ガスに代えたが,不経済のため,電気機関車3台を使用. 502
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