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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.1.27
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1946/1/27
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明治赤池・日鉄二瀬・三井田川・三井山野・日炭高松・真岡の6労組は政治的無色を標榜して筑豊地方鉱山労働組合聯合会(筑鉱聯)を結成,このほか貝島大之浦・明治平山・同天道・金丸大隈・赤池発電等加盟15組合約3万5000人を糾合.執行委員長坂田寿人(日鉄二瀬),副委員長植木作造(明治赤池),書記長武茂内(三井山野). 116/209
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.2.18
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1946/2/18
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三井三池・田川・山野3山の労組代表田川に参集し三井炭鉱鉱員労働組合九州連合協議会を結成.3.4三池で罷業の場合には同一歩調をとると誓約. 208/219/498
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3
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.3.1
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1946/3/1
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三井田川鉱業所従業員組合,徴用解除手当,精励者に対する手当支給,有給休暇の承認,物価手当など15ヵ条の要求書を提出.3.15会社側はほぼ要求を認めると回答,また増産褒奨金として15万円を従組へ寄贈. 219/503
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4
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.3.10
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1946/3/10
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三井田川従業員労組,三池鉱従組のストに呼応し5人がハンスト,3.13三池の妥結により解除. 219/503
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5
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.3.30
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1946/3/30
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スマトラの鉱業開発に派遣されていた三井田川従業員11人復員. 503
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.5.1
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1946/5/1
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三井田川経営協議会発足. 219
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7
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.5.27
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1946/5/27
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三池・田川・山野および三井系大島は中立的立場から西日本三井鉱山労働組合連合会(西鉱連)を田川鉱士館で結成,加盟労働者約4万人を有する九州有数の連合体で,その後続々と結成された資本系別労働組合連合体組運動の先駆となった.委員長松本武雄(三池),副委員長宮本一(田川). 116
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8
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.5.30
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1946/5/30
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西鉱連聯合委員総会を大牟田市で開催.団体交渉権確認,労働契約締結,退職養老手当の引上げ,身分差別改正,臨時物働手当の本給繰り入れなどの要求書をまとめ,5.31提出.6.10三井田川は要求貫徹のための上京委員の激励会を開催.6.10~15にかけ要求貫徹増産運動実施.6.15会社回答でほぼ全面的に認められる. 503
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.6.-
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1946/6
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三井田川,従業員に栄養剤の配給を実施. 503
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10
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.7.25
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1946/7/25
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三井田川鉱業所の従業員中5分の1におよぶ生活困窮者に食糧危機突破資金として世帯主1000円,単身者300円を3ヵ月間に限り貸附. 503
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.8.-
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1946/8
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三井田川,停年制を実施. 219
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.9.20
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1946/9/20
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三井三池・田川・山野の3山所長で三井鉱山九州所長協議会を設置,西鉱連との間に,三山経営協議会を設置. 208
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13
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.9.-
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1946/9
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三井三山職員労働組合連合会結成. 209
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.10.18
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1946/10/18
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三井三山聯合経営協議会で坑内外8時間労働制確立の覚書を交換. 503
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二一年.12.-
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1946/12
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九州地方炭鉱21鉱に技能鉱員養成所を設立,筑豊では新手・三井田川・三井山野・三菱飯塚・明治赤池・麻生吉隈・住友忠隈・嘉穂・貝島大之浦・日鉄二瀬・大正中鶴・古河大峰・日炭高松などの各鉱が設置. 110
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生産・流通(明治21~)
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昭和二二年.4.-
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1947/4
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三井田川,伊加利竪坑ボーリングに着手. 833
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二二年.8.22
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1947/8/22
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三井田川今任炭坑,鉱員解雇問題で紛争. 452
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18
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二二年.10.30
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1947/10/30
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三井田川,鉱員解雇について紛争. 452
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二二年.11.1
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1947/11/1
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三井田川従業員労働組合,炭労の賃金闘争が長期化し労組員は生活難に陥り会社に生活資金を要求.12月給料の一部を内払するという会社側覚書で解決. 219
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1947
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*福岡県本年度出炭規模別炭鉱名,100万t以上,三池・三井田川,50万t以上,大之浦・高松,30万t以上,新入・三井山野・鯰田・勝田(粕屋を含む)・赤池・二瀬・大峰,15万t以上,方城・飯塚・上山田・嘉穂・忠隈・目尾・中鶴・芳雄・志免,12万t以上,吉隈・新手・早良・小倉・宝珠山・新屋敷,5万t以上,大辻・豊国・平山・高田・稲築・山田・下山田・綱分・昭嘉・築紫・豊州・東豊・上山・新山野・漆生・島廻・真岡・笹原・金丸大隈・木城・福吉・下相田・木屋瀬・本洞. 735
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二三年.2.12
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1948/2/12
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三井田川労組は期末手当の件外5件の要求書を提出,臨時本店協議会で交渉の結果,2.25協定締結. 219
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22
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生産・流通(明治21~)
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昭和二三年.6.5
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1948/6/5
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国管実施に伴い三井田川・三井山野・貝島大之浦・嘉穂鉱業等第一次指定炭鉱に指定される. 208
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生産・流通(明治21~)
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昭和二三年.11.9
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1948/11/9
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三井田川,今任坑の下請業者7人が公共職業安定法違反で告発され,鉱業所が接収して直営とする. 485
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地域社会
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昭和二三年.12.17
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1948/12/17
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三井田川鉱業所鉱産税納入につき,関係市町村で分割協定,田川市80.4%,川崎町13.3%,勾金村3.9%,大任村3.9%とする. 485
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25
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二四年.3.21
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1949/3/21
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三井田川,組合に対し労働協約改訂に関して申入れ.5.7労働協約締結までの経過措置に関する覚書をとり交す. 219
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二四年.4.5
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1949/4/5
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三井鉱山,三鉱連に対し4月以降賃金の8割払いを通告,創業以来の賃金分割払い.この頃筑豊地区の各炭鉱は4月分給料から2割の棚上げを実施鉱続出. 208
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27
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二四年.5.21
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1949/5/21
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三井鉱山,低能率者の整理を中心とする企業合理化を組合に申入れ.7.29仮協定を締結,8.17~21会社側,各山の該当者1062人に解雇通告,他に同期間に自発退職者1190人,都合2393人を整理,9.20職員90人を解雇(三池789人,職員24人,田川334人,山野112人). 208
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二四年.10.31
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1949/10/31
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三井三鉱連,賃金,退職手当,労働協約についての交渉が進展しないため,一番方よりストを指令,会社側3200円案を提出し中闘は了承しスト中止.11.14山元は不満として三鉱連臨時大会で中闘を改選し,新しい闘争方針を確立11.30職・労共同闘争委は12.3一番方より10日間の実力行使を決定.12.2仮調印を結び解快. 219
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地域社会
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昭和二四年.12.24
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1949/12/24
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田川地区労働組合会議(地区労)結成大会,三井田川労組で開催,参加組合19,組合員2万1800人. 8
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地域社会
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この年
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1949
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▷三井田川,古河大峯等の炭鉱労働者を中心に,新日本文学会田川支部結成('51年頃自然解体).
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二五年.7.5
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1950/7/5
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三井田川労組,スト規制法反対ストの指令に反対し中止,緊急代議員総会で非難をうけ,執行部総辞職. 219
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二五年.11.6
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1950/11/6
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三井鉱山,三鉱連に退職募集に関する団交申入れ.11.8三社連にも同様申入れ.11.25協定締結.12.-全山の労務者1万1795人,職員405人応募,そのうち三池3685人.田川2937人.山野1493人,各山とも坑内夫・若年労働者の退職者予想を上廻る. 208
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地域社会
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この年
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1950
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▷三井田川,社有田156町8反のうち80町歩を解放. 408
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34
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二六年.11.21
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1951/11/21
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三鉱連期末手当1人平均1万3000円を要求.12.13三井田川労組スト申入れ,スト突入前に団交が開かれる.12.14全山スト突入後7100円の最終案を中闘了解しスト解除を指令. 219
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生産・流通(明治21~)
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昭和二七年.1.11
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1952/1/11
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炭鉱節に唄われた三井田川伊田竪坑の赤煙突は,炭鉱の電化によって使命を了え,ボイラー用として残されるだけとなる. 8
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36
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企業・労働・災害(明治21~)
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この年
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1952
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*筑豊各炭鉱技能職員養成所設置状況;(炭鉱名・養成職種・養成人員・期間)三菱上山田・掘進・12~15人・6ケ月,三菱鯰田・採炭・掘進仕繰・20人・6ケ月,大正中鶴・仕繰・掘進・100人・6ケ月,三井山野鉱業学校・123人・3ケ年,三井田川鉱業学校・123人・3ケ年,古河大峯・採炭・機械化要員・60人・4ケ月,貝島大之浦・採炭掘進・仕繰20人・3ケ月,日炭高松・採炭・仕繰・掘進・60人・3ケ月,古河目尾・坑内・機械化要員・20人・6ケ月,明治平山・採炭・掘進24人・6ケ月. 307
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