筑豊石炭礦業史年表

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No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 地域社会 昭和二八年.2.15 1953/2/15 田川・飯塚・直方・柳川・戸畑などの五市競輪組合,小倉競輪場で第1回競輪を実施. 485
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2 地域社会 昭和二八年.2.- 1953/2 田川市伊加利小野芳香,≪田川地方民謡・童話集≫(第5版)出版,炭鉱民謡の指導について関心高まる. 485
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3 地域社会 昭和二八年.5.15 1953/5/15 筑豊炭坑労働者文芸工作集団≪地下戦線≫創刊,編集上野英信.
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4 地域社会 昭和二八年.9.10 1953/9/10 田川市立図書館自動車文庫〝いずみ〟巡回を開始(年間利用者5万人に上り,うち三井田川炭住街での利用70%強をしめる). 485
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5 地域社会 昭和二八年.9.15~21 1953/9/15~
1953/9/21
田川自由労組,賃金問題で闘争に入る.基本給242円で妥結. 485
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6 地域社会 この年 1953 *福岡県人口379万8109人,筑豊人口94万9370人,・直方市5万8711人,・飯塚市6万2059人,・田川市9万3291人,遠賀郡13万4537人,(岡垣村1万5865人,遠賀村9432人,水巻町3万1907人,中間市,4万1731人,香月町2万1009人,芦屋町1万4593人),・鞍手郡13万4423人,(小竹町1万9181人,宮田町5万0098人,木屋瀬町7274人,植木町5553人,剣町1万5803人,古月村4920人,西川村1万1164人,笠松村6441人,若宮町9544人,吉川村4445人),・嘉穂郡,(29万1361人,碓井町1万2427人,千手村4394人,足白村1783人,宮野村2701人,山田町3万9640人,大隈町1万0465人,稲築町4万5342人,庄内村2万2468人,頴田村1万1468人,二瀬町2万7225人,幸袋町1万5326人,鎮西村9611人,穂波村4万1493人,大分村8959人,上穂波村1万1342人,桂川町2万4101人,内野村2616人),・田川郡17万4988人,(香春町5622人,勾金村1万0421人,採銅所村3331人,赤村4894人,津野村2632人,添田町2万7383人,大任村9779人,猪位金村7295人,川崎町4万1712人,糸田町1万6722人,金田町1万0888人,赤池町1万7404人,方城村1万6905人). 443
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7 地域社会 昭和二九年.1.16 1954/1/16 田川地区炭鉱危機突破大会を三井鉱士館で開催,炭鉱労使代表・市町村代表など数百人参加,外国炭および原油の輸入阻止による石炭政策の転換を要望を決議. 485
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8 地域社会 昭和二九年.2.- 1954/2 この頃より炭鉱地帯の長欠児童の増加が目立ち社会問題となる. 485
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9 地域社会 昭和二九年.4.17 1954/4/17 田川郷土研究会発会式を挙行.郷土研究誌≪郷土田川≫創刊. 126
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10 地域社会 昭和二九年.5.16 1954/5/16 三井田川・三菱上山田洋画部共催の炭鉱洋画展を飯塚市金本百貨店で開催. 8
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11 地域社会 昭和二九年.6.19 1954/6/19 田川市・田川郡町村田川育英会を組織,東京板橋区に田川学生寮を開設. 297
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12 企業・労働・災害(明治21~) 昭和二九年.8.- 1954/8 三井田川病院,筑豊ではじめて血液銀行開設. 485
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13 地域社会 昭和二九年.9.14 1954/9/14 炭界不況とデフレのため田川市の炭都祭中止と決定. 485
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14 地域社会 昭和二九年.12.13 1954/12/13 福岡県教育委員会,田川市伊田の風治八幡川渡神幸祭を無形文化財に指定. 428
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15 地域社会 昭和三〇年.1.1 1955/1/1 田川郡津野村,添田町に合併,人口2万7656人.鞍手郡,剣町・西川村・古月村合併し鞍手町,嘉穂郡大隈町・千手村・足白村・宮野村,合併し嘉穂町となる. 577/438
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16 地域社会 昭和三〇年.1.- 1955/1 田川市,≪田川市誌≫刊行. 485
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17 地域社会 昭和三〇年.2.3 1955/2/3 全炭鉱福岡地本の指導で,筑豊地区失業者組合を結成.2.18上田川失業者組合結成. 115
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18 地域社会 昭和三〇年.5.2~15 1955/5/2~
1955/5/15
田川郷土研究会・日本陶磁協会・毎日新聞・福岡県教育委員会と共同で上野焼釜ノ口・本窯古窯発掘調査実施. 485
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19 企業・労働・災害(明治21~) 昭和三〇年.6.上旬 1955/6 福炭鉱田川支部傘下の12組合,田川地区労加盟を決議. 485
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20 地域社会 昭和三〇年.9.4 1955/9/4 田川地区母親大会を,民主団体婦人組織などが参加して開催. 485
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21 地域社会 この年 1955 *福岡県人口385万9759人,筑豊人口88万4755人,直方市6万2518人,飯塚市6万1650人,田川市10万0071人,山田市3万5752人,遠賀郡11万5043人(岡垣村1万5629人,遠賀村1万0115人,水巻町3万2245人,中間町4万0423人,芦屋町1万6631人),鞍手郡11万6308人(小竹町1万9843人,宮田町5万1795人,鞍手町3万0794人,若宮町1万3876人),嘉穂郡23万4647人(碓井町1万2008人,嘉穂町1万8733人,稲築町4万3412人,庄内村2万0727人,頴田村9799人,二瀬町2万2484人,幸袋町1万4500人,鎮西村8833人,穂波村4万2185人,筑穂町1万9359人,桂川町2万2607人),田川郡15万8766人(香春町6108人,勾金村1万0131人,採銅所村3190人,赤村4952人,添田町2万7978人,大任村8849人,川崎町4万0878人,糸田町1万4423人,金田町1万0283人,赤池町1万6131人,方城村1万5843人). 443
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22 地域社会 昭和三一年.3.10 1956/3/10 田川市糸飛地区の住民,日本セメント香春工場の降灰に対する補償を求めて住民大会を開催,同工場周辺をデモ行進. 485
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23 地域社会 昭和三一年.4.1 1956/4/1 NHK福岡テレビ局開局,福岡地区のテレビ放送開始.
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24 地域社会 昭和三一年.7.13 1956/7/13 田川市伊田鉱害被害者組合総決起大会,鉱害賠償交渉方式の改善要求を決議. 485
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25 地域社会 昭和三一年.12.3 1956/12/3 筑豊ではじめて田川演劇協会発足,第1回公演. 8
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26 生産・流通(明治21~) 昭和三二年.1.- 1957/1 この頃より田川地区のボタ山植樹盛んとなる. 8
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27 企業・労働・災害(明治21~) 昭和三二年.6.5 1957/6/5 福炭鉱田川支部を解散,田川地区炭鉱労組連合会に改組. 8
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28 地域社会 昭和三二年.10.1 1957/10/1 戦後第2回目の国勢調査,田川市人口10万人を突破,川崎町4万3428人,いずれも過去の最高を記録. 297/574
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29 地域社会 昭和三二年.12.- 1957/12 田川地方民謡集成≪郷土田川No.12≫刊.多くの炭坑民謡を記録. 126
ページ】: 545
30 地域社会 昭和三三年.6.13 1958/6/13 田川市社会教育課,はじめて老人学級を開設.老人クラブの組織化奨励に着手. 8
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31 企業・労働・災害(明治21~) 昭和三三年.6.22 1958/6/22 田川地区炭労連合会(9山)は全炭鉱田川支部連合会と改称. 367
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32 地域社会 昭和三三年.10.- 1958/10 火野葦平,≪燃える河≫刊,草創期の筑豊炭業界を主題とする.
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33 地域社会 昭和三三年.12.25 1958/12/25 田川郷土研究会,綜合研究報告書≪英彦山≫刊.
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34 地域社会 この年 1958 *福岡県人口400万4437人,筑豊人口91万9271人,直方市6万6506人,飯塚市6万3140人,田川市10万6886人,山田市3万9182人,遠賀郡11万7344人(岡垣村1万3532人,遠賀村1万0099人,水巻町3万5663人,中間町4万3349人,芦屋町1万4701人),鞍手郡12万0647人(小竹町1万9592人,宮田町5万5648人,鞍手町3万1784人,若宮町1万3623人),嘉穂郡23万9909人(碓井町1万0867人,嘉穂町1万8528人,稲築町4万5901人,庄内村2万0839人,頴田村1万1433人,二瀬町2万4533人,幸袋町1万4940人,鎮西村9042人,穂波町4万2034人,筑穂町1万8804人,桂川町2万2988人),田川郡16万5657人(香春町1万9454人,赤村4936人,添田町2万8968人,大任村9085人,川崎町4万3656人,糸田町1万5511人,金田町1万1274人,赤池町1万6206人,方城町1万6567人). 443
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35 地域社会 昭和三四年.7.24 1959/7/24 田川市の失業者男2375人,女351人,過去1年間に倍増.
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36 地域社会 昭和三四年.8.22 1959/8/22 炭鉱離職者救済のため福岡県社会党・県総評・母親の会代表者〝黒い羽根運動〟の規約・綱領を決定.9.10募金はじまる. 367
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37 地域社会 昭和三四年.10.7 1959/10/7 田川市,廃山地区に日赤よりの救援物資を配布. 367
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38 地域社会 昭和三四年.10.28 1959/10/28 田川市に筑豊で初めての市立体育館竣工,落成式を挙行. 297
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39 地域社会 昭和三四年.10.末 1959/10 県下炭鉱地帯の長欠児童小学校661人,中学校1753人,欠食児童小学校1258人,中学校1035人に達する.なかでも田川郡川崎中学校の長欠,欠食生徒は35%におよび田川市郡での炭鉱合理化による影響激甚.
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40 地域社会 昭和三四年.12.上旬 1959/12 田川郡方城町,町ぐるみで三菱方城炭鉱閉山反対署名運動を行なう. 367
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41 地域社会 この年 1959 *福岡県下炭鉱関係失業者数;福岡市216人,小倉市329人,若松市58人,大牟田市180人,八幡市240人,直方市2651人,飯塚市1498人,田川市2726人,山田市1226人,粕屋郡宇美町871人,同篠栗町131人,同志免町183人,同須恵町51人,同志賀町88人,同粕屋町201人,同久山町12人,宗億郡玄海町187人,同水巻町282人,同岡垣町407人,鞍手郡宮田町378人,同小竹町187人,同鞍手町756人,嘉穂郡嘉穂町33人,同幸袋町492人,同二瀬町370人,同稲築町603人,同碓井町164人,同桂川町318人,同筑穂町29人,同頴田町377人,同庄内町40人,同穂波町292人,同鎮西村14人,朝倉郡宝珠山村7人,田川郡香春町203人,同添田町121人,同金田町144人,同川崎町1181人,同糸田町644人,同赤池町66人,同方城町21人,同大任村142人▷合計1万8446人▷失業の理由 石炭合理化法6156人,炭鉱企業整備閉鎖6366人,関連失業者1893人,その他4031人 計1万8446人▷失業の期間6ケ月未満8046人,10年未満3151人,十年6ケ月未満1925人,2年未満772人,2年6ケ月未満578人,3年未満594人,3年以上3380人,計1万8446人. 740
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42 地域社会 昭和三五年.1.1 1960/1/1 田川郡大任町,町制施行. 45
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43 地域社会 昭和三五年.2.15 1960/2/15 炭鉱離職者援護会田川支所発足. 399
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44 地域社会 昭和三五年.2.- 1960/2 福岡県魚市場,田川市市役所裏に魚市場を新築.5.18市営として開場. 399
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45 地域社会 昭和三五年.4.30 1960/4/30 田川市西区弓削田で幼児水死,この事故にはじまり7月末まで田川地区の水死事故5件発生,幼児生徒の水死者8人,公営プール建設促進の機運高まる. 399
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46 地域社会 昭和三五年.6.28 1960/6/28 〝黒い羽根診療班〟田川地区を巡回診療. 399
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47 地域社会 昭和三五年.10.1 1960/10/1 筑豊の小中学校児童・生徒の長欠児約700人と新聞報道,うち飯塚市小学校12人・中学校32人,直方市20人・51人,田川市57人・85人,山田市9人・15人,嘉穂郡70人・130人,鞍手郡28人・46人等,田川郡では川崎町のみで74人・43人を記録. 367
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48 地域社会 昭和三五年.11.3 1960/11/3 英彦山,山伏の入峯行事復活. 399
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49 企業・労働・災害(明治21~) この年 1960 *筑豊地区の失業者数および発生原因;地区,失業者数(発生原因) 直方地区,4439人,(石炭2665人・その他1794人)飯塚地区,1万1373人,(石炭8244人・その他3129人)田川地区,6439人,(石炭5176人・その他1313人)失業者総数2万2251人,(石炭1万6025人・その他6226人). 756
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50 地域社会 この年 1960 ▷土門拳写真集≪筑豊のこどもたち≫(パトリア書店)≪るみえちゃんはお父さんが死んだ-続・筑豊の子どもたち≫(研光社).富山妙子≪炭坑と私≫(毎日新聞社). 399
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