1
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生産・流通(明治21~)
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昭和二八年.3.-
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1953/3
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筑豊におけるカッペ採炭実施鉱と切羽数:日鉄二瀬6,三菱飯塚3,三菱鯰田6,住友忠隈1,麻生芳雄1,三井山野3,三菱上山田5,日鉄嘉穂2,古河下山田3,大正中鶴3,日炭高松6,三菱新入2,三井田川8,三菱方城10,古河大峯6,古河目尾1, 792
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2
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二八年.6.30
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1953/6/30
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筑豊の水害炭鉱は飯塚34,直方28,田川20,計82鉱で,田川郡大任町高平炭鉱全鉱水没,古河下山田二坑で20mにわたり陥没し湧水浸入,主な被害炭鉱は月隈,日の丸,原田,庄司,新庄司,新稲築,日鉄二瀬,井宝神田,門寺日焼,木屋瀬,小竹,貝島大之浦,笠松,大栄,原口本洞,三井田川,高平,神崎の各鉱. 485
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3
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二八年.7.22
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1953/7/22
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三井田川・三菱方城・明治赤池・同豊国・古河大峯の職員組合で鉱害紛争処理のため田川地区5山職員労働組合連絡協議会を結成. 214
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二八年.8.1
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1953/8/1
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三井鉱山,三鉱連および三社連に鉱員5738人,社員1001人の人員整理を提案,なお田川については一・四坑の有煙炭採炭中止,山野は立坑への一元的採炭の合理化を含む.8.17三鉱連・三社連,共同闘争委員会を設置し,非常事態宣言.8.22三井田川・三池で主婦デモ行進,この争議より炭婦協の活躍目立つ.8.25会社側,三鉱連に整理人員を4563人に縮少し27日より希望退職募集,次いで退職勧告,解雇発令を段階的に実施すると最後通告.8.27決起大会,デモを決行.8.28田川で400人を上廻る退職応募.8.31会社側三社連に整理人員を731人に縮少し,以後三鉱連に対すると同様の措置をとると通告,この日会社側一斉に指名解雇通達,各山24時間スト決行,労職共同の決起大会を開催し,解雇状一括回収.9.4この日を山場に解雇通告返還デモ各山で相次ぐ,とりわけ三池で激烈,山野・田川の希望退職数目標に達し闘争より離脱,遵法斗争だけを継続,北海道3山解雇者の強行就労に対し会社側立入禁止仮処分を申請.9.6三池四山,3交替指名スト,はじめて石炭搬出拒否を実施,揚炭不能とする.9.9職員の解雇発効,三鉱連24時間スト.9.12労職各方2時間スト.9.16三社連業務関係職員無期限ストに入る.9.18三池港務所労職共にストで三池の港湾業務完全停止.9.26三鉱連闘争強化を指令,これより50%減量を目標とする遵法闘争,指名スト,局部ストを続行.このため平常出炭の8月73.5%,9月54%,10月45%に低下し販売網各社に浸蝕される.10.8三池における大衆闘争激化,〝山の上事件〟をはじめ,葬式デモ,〝提灯デモ〟等相次ぐ.10.26団交再開11.4会社側解雇通告白紙撤回と譲歩.11.26了解点に達する.11.27協定書に調印,110日ぶりに就業,退職者総計3862人(三池1732人,田川642人,山野212人),勧告を拒否して後退職した者1841人. 209/33/315
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5
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生産・流通(明治21~)
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昭和二九年.5.25
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1954/5/25
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三井田川,伊加利立坑開通式挙行,工期4年,工費6億円. 485
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6
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和二九年.6.15
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1954/6/15
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三井鉱山,向後10年間に能率月13tより18tへ引あげるため,10年後に9500人の自然減員,各山ごとの独立採算制,田川における伊加利への坑口集約・山野の深部開発などを骨子とする長期計画を策定し,これに伴う人員問題につき三鉱連に団交申入れ.10.15三鉱連,無補充撤回入替制度創設などの対置要求を決定.11.15会社側不補充方針を撤回し入替制度を認めて協定書締結,この協定は完全雇用を約したものとして業界より批判を浴びる. 208
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7
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生産・流通(明治21~)
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昭和三二年.4.-
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1957/4
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三井田川の一部鉱区開発のため白鳥鉱業所(株)を設立. 208
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三二年.5.24
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1957/5/24
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三井田川労組,事務所を三井鉱士館横に新築. 554
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三四年.6.26~27
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1959/6/26~ 1959/6/27
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三井鉱山,三鉱連・三社連に対し6月分給料の分割支払いを提案し夏季手当はゼロ回答,田川市等の商店街への影響深刻化. 209/367
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三四年.7.24~26
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1959/7/24~ 1959/7/26
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三鉱連第13回臨時大会.予測される第2次合理化案対策をめぐり田川・山野・砂川・芦別4山は柔軟戦術を,三池・美唄は白紙撤回を主張して対立. 209
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三四年.10.15
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1959/10/15
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三井三池・田川・山野労組・西鉱連・九炭労,賃金遅配につき会社を告発. 208
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三五年.4.23
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1960/4/23
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三池を除く三鉱連5山労組,企業整備問題について妥結.この結果山野より135人,田川より1020人を希望退職募集,賃金引下げ,入替採用の中止,家庭用電力代の徴収となる. 307
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生産・流通(明治21~)
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昭和三五年.5.8
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1960/5/8
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三井田川,総合選炭機第一期工事完了.バウム主洗機2台を備え,1時間の処理作業力240t. 399
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三五年.5.15
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1960/5/15
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三井田川・山野両労組,西鉱連を結成し,新労と連絡協議機関設置を決定. 399
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生産・流通(明治21~)
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昭和三五年.10.1
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1960/10/1
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三井鉱山,総額15億円に上る6山の設備資金融資について開銀などと交渉を開始.田川は2本の竪坑を中心とする集約生産設備のため約3億円,山野は第二竪坑の深部開発のため約5億円を予定. 367
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三六年.9.21
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1961/9/21
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三井田川,保安抗議のため時限スト決行. 307
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三六年.10.6
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1961/10/6
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三井田川労組,山野とともに企業合理化反対第3波実力行使を行ない,各番方昇坑時1時間50分の時限スト. 399
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三七年.2.10
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1962/2/10
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三井鉱山,'61年上期で赤字5億円を計上し,5山の能率25.9tに対し20.4tにとどまった田川鉱業所の合理化のため1012人退職募集,夏吉鉱閉山を提示.2.22労組,合理化反対総決起大会,山元交渉から中央団交に移る.3.24中央交渉決裂.4.2山元48時間スト,三池鉱連同調2時間スト.4.3妥結.4.11退職募集応募者566人. 399
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生産・流通(明治21~)
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昭和三七年.2.19
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1962/2/19
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三井田川宇井所長,鉱命はあと数ヵ年と発表,地元に衝撃を与える. 399
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三七年.3.1
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1962/3/1
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三井田川・三菱方城・古河大峯・明治赤池各労組,炭労の運動方針にもとづき退職金増額とじん肺協定締結を要求してストに突入. 399
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三七年.7.27
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1962/7/27
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三井田川川崎坑でガス突出し,死者4人.7.31三井田川労組は,事故に抗議して24時間スト.三鉱連4山も時限スト・職場大会で同調. 399
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三七年.9.12
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1962/9/12
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炭労の石炭政策転換要求,坑内災害激増に抗議の統一行動で三井田川・明治赤池などが時限スト.
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三七年.11.29
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1962/11/29
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炭労全山24時間スト.筑豊では日炭高松・貝島大之浦・古河目尾・三菱新入など同調,三井田川労組,時限スト,また田川地区労主催の総決起大会,赤池労組の団結集会のほか,筑豊三地区労共催の総決起大会を飯塚市で開き,〝たいまつデモ〟を行なう. 399
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生産・流通(明治21~)
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昭和三七年.12.-
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1962/12
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三井田川,川崎坑無煙炭層掘りつくし半無煙炭出炭となったため,人工乾留で無焼炭化するため三鉱化成を設立('63年5月工場建設,8月以降川崎鉱業の出炭を製品化). 399
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三八年.2.16
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1963/2/16
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三井鉱山,田川の閉鎖を労働組合に対し正式に提案.4.26石炭鉱業審議会部長会議で田川・山野の2山の閉山を見合わせ第二会社で継続させることを決定.4.27三井鉱山,審議会の決定に基き第二会社方式として協議することを申入れ.5.22~25三鉱連臨時大会.5.30労働条件の現行維持,雇用転換完全確保,産炭地振興,賃金要求を申入れ.6.3会社側,賃金期末手当の削減,田川・山野の第二会社を正式提案,併せて対置要求に回答.6.13団交決裂,会社側,美唄の7.1採炭停止通告.6.14三鉱連,21日全山24時間ストを決定.6.21 5山24時間スト.三池労組同調スト.6.22組合25日以降の無期限スト突入を決定.6.26全山無期限ストに突入.6.28三鉱連,美唄閉山,田川・山野の第二会社移行,美唄より芦別へ400人,三池へ閉山各坑より2200人(うち田川より1350人)配転を認め,賃下げ率10%を6%とすることで妥結.7.1三社連・三鉱連,閉山について正式調印. 209
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三八年.3.7
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1963/3/7
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三井田川労組,主婦会は閉山反対10万人署名運動をはじめる. 399
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生産・流通(明治21~)
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昭和三八年.5.13
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1963/5/13
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三井田川の半無煙炭を無煙化する三鉱化成田川工場完成. 485
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三八年.8.25
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1963/8/25
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三井田川より三池へ配転となった労働者の第1陣大牟田へ出発. 399
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生産・流通(明治21~)
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昭和三九年.1.-
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1964/1
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全国炭鉱技術協会,三井田川が'53年7月に達成した沿層水平坑道掘進月間延422.1mの新記録を公認し授賞する. 792
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和三九年.3.15
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1964/3/15
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三井田川鉱労組,解散大会を開催,組合旗を三池労組へひきつぐ. 399
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生産・流通(明治21~)
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昭和三九年.3.27
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1964/3/27
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三井田川鉱業所閉山.4.1第二会社田川鉱業(株)発足操業式挙行,従業員1171人,1日の出炭目標1800t. 399
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32
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生産・流通(明治21~)
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昭和三九年.5.4
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1964/5/4
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三井田川の伊加利竪坑捲揚機解体され,三池へ向って送られる. 399
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生産・流通(明治21~)
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昭和三九年.9.9
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1964/9/9
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三井田川(年産84万2240t),買上げ交付決定. 59
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企業・労働・災害(明治21~)
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昭和四〇年.4.1
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1965/4/1
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田川鉱業所構内に三井鉱山田川鉱業所・伊加利竪坑の門標をはめこんだ石碑の除幕式を挙行. 485
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生産・流通(明治21~)
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昭和四〇年.7.17
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1965/7/17
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白鳥鉱業所(田川市,三井田川の第二会社),閉山提案を労組承認. 209
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地域社会
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昭和四二年.6.8
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1967/6/8
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三井田川鉱専用水道,市に移管,覚え書き正式調印. 367
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地域社会
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昭和四二年.7.下旬
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1967/7
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三井田川専用水道の市営移管に伴う伊田地区4000世帯との補償交渉妥結. 367
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38
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地域社会
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昭和四二年.10.上旬
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1967/10
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三井田川の離職者で設立された田川段ボール,田川市東町団地へ進出. 189
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