筑豊石炭礦業史年表

キーワード:谷茂平
/ 1ページ
No 年表種別 年月日表記 西暦 できごと 備考
1 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1869 ▷谷茂平,林ケ谷炭坑を開坑後,坊主ケ谷炭坑の採掘に着手したが失敗. 83
ページ】: 69
2 筑豊石炭関係(天保1~明治20) この年 1877 ▷谷茂平,田川郡河原弓削田村の大藪および小松ケ浦に蒸気ポンプを据付け排水を試みる(使用は短期間でその後は従来の釣瓶式排水となる). 502
ページ】: 111
3 生産・流通(明治21~) 明治二七年.2~3.- 1894/2~
1894/3
九州炭礦(株),許斐鷹助の第二新手炭坑を譲受け,谷茂平に採掘・販売を請負わせる. 321
ページ】: 168
4 生産・流通(明治21~) 明治二八年.1.- 1895/1 谷茂平,金谷炭坑(田川郡金田)開坑.坑夫600人1日出炭平均30万斤内外.この頃金田駅を中心に納屋・商家が建ちならび市街地を形成. 83
ページ】: 174
5 企業・労働・災害(明治21~) 明治二八年.12.頃 1895/12 金谷炭坑主谷茂平,門司石炭仲買人を許可されて開業. 542
ページ】: 179
6 生産・流通(明治21~) 明治三〇年.11.頃 1897/11 谷茂平,林ケ谷炭坑(田川郡神田村)経営,カラシキ掘りで10数人を使役,日産12万斤. 321
ページ】: 186
7 企業・労働・災害(明治21~) 明治三二年.6.15 1899/6/15 田川採炭,門司貯炭場・事務所など一切の公売入札を実施.117万1000円今西林三郎,120万円稲垣徹之進,121万4525円66銭8厘谷茂平の3票入札(7.15今西・稲垣・谷三人の名儀で豊州鉄道会社より譲受,田川採炭組と改称,採掘石炭は25年間豊州鉄道で運搬することを契約して受渡.7.19受渡手続完了). 502/542
ページ】: 195
8 生産・流通(明治21~) 明治三二年.6.- 1899/6 谷茂平,請負採掘中の第二新手炭坑を九州炭坑(株)より譲りうけ,10月三尺層の開坑に着手(1900年4月,着炭). 388
ページ】: 194
9 生産・流通(明治21~) 明治三二年.9.1 1899/9/1 金谷炭坑(田川郡,谷茂平所有),門司港・大阪地方への石炭販売を帝国物産(株)に一任. 542
ページ】: 194
10 生産・流通(明治21~) 明治三三年.4.11 1900/4/11 谷茂平,多賀炭坑を16万5000円で買収,第三金谷炭坑第二坑と改称.事務所を遠賀郡水巻村におく.またこの頃古賀庸三ほか数人の田川郡伊田村の坑区を5万8000円で買収. 542
ページ】: 198
11 生産・流通(明治21~) 明治三五年.10.- 1902/10 谷角平,谷茂平より第二新手炭坑を譲り受ける(11.10吉野大三郎に譲渡). 388
ページ】: 206
12 生産・流通(明治21~) 明治三七年.8.14 1904/8/14 第二金谷坑開業式(坑主谷茂平),毎日10万斤以上出炭の予定. 453
ページ】: 214
13 地域社会 明治四四年.9.23 1911/9/23 福岡県会議員選挙,当選者(筑豊)遠賀郡-能美太一(国)・金子勝太郎(政)・石崎敏行(政),鞍手郡-青柳郁次郎(政)・高倉三吾(政),田川郡-釜木権九郎(政)・谷茂平(政),嘉穂郡-篠崎団之助(政)・田生正次(政),企救郡-三郎丸松之助(政)・安部熊之助(政). 542
ページ】: 247
14 企業・労働・災害(明治21~) 大正三年.6.21 1914/6/21 金谷炭坑(田川郡神田村字金田,谷茂平経営)で強雨のため竪坑付近の土地陥落.浸水のため坑夫63人埋没(男43,女20.7.8溺死者のうち22人の死体を収容).同日明治赤池にも浸水.梅雨による筑豊各炭坑の被害甚大,浸水8坑,陥落平山坑他4坑,増水本添田坑他5坑・湧水明治豊国他1坑. 318/542
ページ】: 265
/ 1ページ