1
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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弘化一年.2.28
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1844/2/28
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〔1.11〕 貝島太助,筑前直方に出生. 70
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2
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1867
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▷貝島太助,親類・知人より資金を借り,筑前新入および直方で独立の採炭業を開始,排水術に窮し廃業. 70
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3
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治五年
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1872
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〔10.-〕 貝島太助,頭領渡辺弥右衛門の世話で田川郡豊国坑の副頭領となる(石炭100斤につき口銭20文・酒2合半・米4合を給せられる). 70
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4
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治八年.8.-
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1875/8
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貝島太助,田川郡西弓削田4尺坑に赴き,大頭領渡辺弥右衛門の下で坑内頭領となる(この頃田川郡の炭坑頭領24人,頭領仲間と称する). 70
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5
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1875
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▷貝島太助,田川郡糸田坑の頭領大玉五兵衛と争って田川を去る. 70
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6
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1875
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▷貝島太助,妻の親戚江田助次郎から300円を借用,鞍手郡山部坑の再開に着手したが湧水で失敗. 70
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7
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治九年.6.-
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1876/6
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貝島太助,6人で組合設立,長崎に赴き,2900円で蒸気機関を購入,直方炭坑に据付けたが失敗. 70
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8
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治九年.8.-
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1876/8
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貝島太助,鞍手郡直方村切貫江田助次郎の借区500坪に開坑,このときはじめて坑夫納屋に畳を敷く. 70
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9
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1877
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▷貝島太助,直方切貫坑でマニラ綱を用い10インチ蒸気機罐で捲揚げを試みる. 532
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10
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一一年.10.-
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1878/10
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貝島太助,蒸汽器械の運用に失敗したうえ炭価下落で打撃をうけ直方切貫炭坑を放棄,一家離散. 70
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11
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1878
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▷在小倉の陸軍監督帆足義方,筑豊での炭坑業経営を企図して官を辞し,実弟斯波義兼および服部鉦太郎を東京より呼び寄せ,さらに実務経験者として貝島太助を招き協力を求める.貝島,帆足のために新入・植木・鯰田・香月の各坑区を案内.帆足,新入での開坑を企図したが工部省で直接試錐の意図があるため借区許可を得られず. 70
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12
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一二年.3.-
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1879/3
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貝島太助,帆足義方のため遠賀郡馬場山村々民に300円と酒2樽を贈って借区申請の了解を得て工部省より借区許可.帆足,馬場山炭坑を開坑.貝島は弟達を集め業務を統轄,また帯鉄を打ちつけた木レールを敷設し駄馬で炭車を運搬する方法を案出,これより木道と呼ばれ各坑に普及. 70
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一三年.春.
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1880/4
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貝島太助,斯波義兼を名儀人とし炭層枯渇とみられていた旧坑で豊富な炭層を発見し借区を取得し開坑,斯波炭坑と称する. 70
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1882
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▷貝島太助,香月炭坑の請負採掘を開始. 68
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15
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1884
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▷貝島太助,弟六太郎名義で鞍手郡宮田村字大ノ浦の小山田甚平所有坑区約4000坪を買収. 321
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一八年.4.-
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1885/4
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貝島太助,鞍手郡大隈村代ノ浦の坑区に更に新区を購入.増区して大之浦炭坑と呼称.雄飛の基礎を固める(以下貝島大之浦と略称). 70
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17
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治一八年.11.15
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1885/11/15
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貝島大之浦,最初の竪坑開さくに着手.使用機関はボイラー1台,10吋捲揚機1台.また売勘場を設置,近親者で事務を分担し経営に当る.貝島太助が総務,文兵衛・六太郎両弟が採掘,嘉蔵・杉子両人が売勘場を担当,香月坑より太助に随伴の原田勝太郎・岡藤美之助が事務,園田覚助が外交,桑野機三郎が会計.貝島陣営の基礎成る. 68
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18
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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明治二〇年.4.7
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1887/4/7
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貝島文兵衛(貝島太助の弟)没.39歳. 68
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19
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筑豊石炭関係(天保1~明治20)
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この年
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1887
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▷貝島太助,資金を借入れ蒸気機関購入のため大阪へ出行. 68
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20
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生産・流通(明治21~)
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明治二一年.6.-
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1888/6
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貝島太助,鞍手郡香井田村字菅牟田に,坑区4万3600坪を買収,竪坑開さく(後の菅牟田本坑).また大之浦第二坑開さくに着手('99年4月まで採掘). 68
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21
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二一年.11.26
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1888/11/26
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貝島太助,鞍手郡上大隈村村民に石炭借区出願承認の報酬として金1600円を贈与.営業中は1カ年毎に100円ずつを'91年より8月を期限として贈与することを契約. 453/69
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22
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二一年.11.26
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1888/11/26
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貝島太助,私財を投じ私立大之浦小学簡易科を設立,全国鉱業界教育施設の嚆矢.校舎は2間に5間の小屋,収容定員40人のところ本年は男10人,女5人,教員1人. 68/453
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23
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生産・流通(明治21~)
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明治二一年.12.-
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1888/12
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貝島太助,鞍手郡大隈村外2ヵ村の44万8837坪をそれぞれ入江卯太郎・瓜生伝平,同郡長井鶴村外2ヵ村の21万3597坪を借区許可される. 453
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1888
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*筑豊主要炭坑(1000万斤以上)と坑主,遠賀郡-大辻(宮田政市)・第二新手(詐斐鷹助)・金谷(南川正雄)・黒川(香月藤七郎)・筑紫(柴田多七),鞍手郡-新手本洞(許斐鷹助)・最上(西野伴七)・側筒谷(飯野双十郎)・来見(三野村利助)・大之浦(貝島太助)・白鶴(入江卯太郎),嘉麻郡-鯰田(麻生太吉)・大城(安川敬一郎)・穂波郡-平野(広岡信五郎)・目尾(杉山徳三郎)・相田(松本潜)・田川郡-起行(行実孫次郎)・峰地(久良知重敏)・小松ケ浦(和田武生)・宮尾(柳沢茂). 376
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25
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二二年.1.24
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1889/1/24
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貝島太助,穂波郡長尾村民と石炭坑区につき約定,塊炭に限り1万斤につき9銭を村の炭坑委員に支払う. 69
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26
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二二年.10.6
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1889/10/6
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貝島太助,鞍手郡大隈村村民と石炭借区出願承認の報酬として1600円,営業中は1ヵ年100円宛('91年8月まで)を贈与することを約定. 69
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27
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企業・労働・災害(明治21~)
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この年
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1889
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▷貝島太助,直方多賀町に新居完成.三層楼の個人邸宅として九州にその比なしと評判. 68
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28
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二四年.3.3
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1891/3/3
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井上馨,田川郡金田炭坑視察の目的で直方着,貝島家に休息し貝島太助を知る. 68
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29
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1891
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▷中野徳次郎,香月新三郎・貝島太助・添田美稔ら所有の穂波村平恒地区の借区を買収('92年の冬鬼山炭坑を開坑,五尺層の煽石採掘). 321
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30
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生産・流通(明治21~)
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明治二六年.7.-
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1893/7
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貝島太助,植木炭坑(鞍手郡植木村字東堤田)4万4575坪を買収し瑞穂炭坑と改称.柏木勘八郎・渡辺壮兵衛と共同経営.坑長貝島嘉蔵. 68
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地域社会
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明治二八年.4.15
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1895/4/15
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貝島太助,直方町会議員に当選. 68
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二八年.5.7
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1895/5/7
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貝島太助,遠賀郡香月村の地主総代久野次八郎ほか4人と香月炭坑開坑につき契約書を手交.坑業人は将来の鉱害に対して仕戻しその他の義務を負うことを約定. 70
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33
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生産・流通(明治21~)
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明治二九年.1.15
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1896/1/15
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貝島太助,京野炭坑(鞍手郡笠松村)の30万3100坪を古野三郎ほか2人より買収し第二大之浦大谷坑を開坑(のち満之浦第一坑と改称).大谷炭坑の運炭-撰炭は手選法,積載量600斤の横開き木製鉄接合四輪炭車で1車1人が押し,専用9封度車道単線路を1200間東方の宮田村長井鶴羅漢川端に搬出.犬鳴川川艜は積載量6000斤~1万斤,炭仲仕が積み込み3里川下の植木村花の木堰で大型川艜(1万斤~1万5000斤)に積替える.舟行4里の芦屋港或いは堀川降り7里の若松港に達し,風向きを選び本船に積込む. 68/465
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34
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生産・流通(明治21~)
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明治二九年.1.-
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1896/1
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鞍手郡笠松村古野惣五郎・入江伝十・同卯太郎,所有の日本形小廻舟7艘を直方町貝島太助へ売却.代金70円. 465
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35
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生産・流通(明治21~)
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明治二九年.5.-
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1896/5
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貝島太助,水害で休止中の香月炭坑を第二大辻香月炭坑と称し機械による排水作業に着手('97年4月排水完了). 321
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36
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二九年.6.-
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1896/6
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貝島太助,一切の負債を皆済して坑区名儀および実権を恢復(この年事務所を直方町に設置). 68
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37
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生産・流通(明治21~)
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明治二九年.8.12
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1896/8/12
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貝島太助,鞍手郡笠松村・西川村に互る20万6618坪の坑区を瓜生卯太郎ほか4人より買収(のち満之浦坑区に合併). 68
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治二九年.10.2
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1896/10/2
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幸袋工作所(資)(嘉穂郡大谷村)創業,発起人松本健次郎・伊藤伝右衛門・安川敬一郎・麻生太吉・中野徳次郎・貝島太助・平岡浩太郎ら,鉱山用機械を製作,資本金7万5000円. 23/160/442
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39
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地域社会
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明治二九年.12.1
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1896/12/1
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筑豊骸炭製造(資),戸畑村に創業,資本金18万5000円,出資者貝島太助・柏木勘八郎・久良知重敏・神崎岩蔵(のちの三菱牧山骸炭工場). 68
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40
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生産・流通(明治21~)
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明治二九年.12.-
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1896/12
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貝島太助,扇之浦炭坑(遠賀郡長津村)9万9082坪を林彦三より買収,第三大辻中間炭坑と改称('97年坑区27万6972坪を更に買収し総坪数37万6054坪となる). 68
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41
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生産・流通(明治21~)
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この年
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1896
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▷貝島太助,中野徳次郎に続いて大分坑区(嘉穂郡)の買収に乗り出す.両者で坑区の出願を競う. 87
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42
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三〇年.6.21
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1897/6/21
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貝島太助,旱魃のため河水枯渇に悩む川艜業者に毎日男女老幼を問わず1人5銭づつ扶助. 68
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生産・流通(明治21~)
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明治三〇年.6.26
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1897/6/26
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貝島太助,大辻炭坑(遠賀郡長津村字大辻)坑区56万3562坪と附属施設・若松石炭販売所を含めて15万円で買収,第一大辻炭坑と改称稼行. 68/542
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44
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三〇年.7.23
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1897/7/23
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降雨により遠賀川増水,堀川筋の各炭坑(とくに長津・第二香月坑)採炭を中止.第二香月坑では貝島太助排水の指揮をとる. 542
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45
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地域社会
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この年
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1897
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▷貝島太助,安川・麻生と共同して洞海北湾埋渫(資)を設立. 68
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三一年.5.15
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1898/5/15
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貝島太助,貝島鉱業(名)を組織し社長に就任,本社直方町,資本金200万円. 68/542
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生産・流通(明治21~)
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明治三一年.6.24
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1898/6/24
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香月炭坑事務所・大辻炭坑事務所・中間炭坑事務所(貝島太助所有)に至る電話線架設が許可される. 630
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三一年.7.23
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1898/7/23
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貝島太助,長年勤務の役員,職工115人を自邸に招いて慰労宴を開催,876人に10万円の慰労金を贈呈. 542
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企業・労働・災害(明治21~)
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明治三一年.10.30
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1898/10/30
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井上馨,貝島太助邸で事業拡張のため鉱業組合に清国視察をすすめる. 630
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50
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生産・流通(明治21~)
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明治三二年.2.13
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1899/2/13
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貝島太助,笠松村・勝野駅間4マイル30チェーンの専用運炭鉄道許可を申請(1900年1月起工,1901年2月竣工,工費14万0064円余). 68/333
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